心の壁がウォールマリアでして。
朝起きたら目の前に君がいて、一番最初に言うおはようが、最後に言うおやすみが愛する人ならそれほど幸せな事はないのかもしれないね。
と、ほざきましたが何故か一年に数回恋人が欲しくなる時期があります。あれ何なんだろうね。
ある時思ったのは、他愛もない話を出来る人が、近くにいればいいと考えたのだ。それが家族とか、友達とかでもなくて。
また別の存在がいれば良かったと。
コロナ禍で普段通りが変わって、出会いの方法も変わっていった。私の知り合いたちは皆、こぞってマッチングアプリで恋人を探している。
ある人は何十人もの男性と週末に会い続け、数週間前にようやく恋人が出来たらしい。ちなみに、かけた時間は一年以上だった。
良い感じになった人のキープだった話とか。クリスマスに待ち合わせ場所に来ず一切の連絡が取れなくなった話とか。何か、人間って凄いのである。
マッチングアプリで出会いを求め続けたその人は、本気の恋愛がしたかったようだ。しかし、マッチした相手は初日から恋愛をするではなく、欲求を満たすための思考をしていた事がほとんどだったらしい。
これは本当に人によるかもしれないけど、相対的にマッチングアプリには多いのかもね。それか、いけそうだと思われたか。人は相手を下に見た瞬間、自分の要求が通ると過信する生き物だから、そう思われたのかもしれない。
最終的に見つけた人の事は、好きというよりまあ良かったっていう状態であるそうだ。けれど数えきれない人と会って、本人が言う言葉が全て本物であるか信用しきれていないらしい。人間って怖い。
マッチングアプリで出会い結婚したが、一年後に離婚した人たちもいた。その逆で、ずっと長続きしている人もいる。
詰まる所、マッチングアプリというのはただの手段なだけで、その中で自分に合う人間と完全に出会えると言われたら否なのだ。ただ、確率が上がるだけである。
Twitterでひたすら相手を探そうとしていた人もいた。結局、付き合うまではいかなかったようだけれど。何人かと会う度、帰りの電車に乗って虚無感に襲われたそうだ。
彼女は言う。
「仕事が辛かったから誰かの支えが欲しかった。友達がすぐそばにいて会って愚痴を言い合ったり、遊んだりできたなら。そしたら多分、こんな事してなかった」
僕らは結局、一人が寂しいのだと思う。だからこそ、至る所で誰かと関わる事を求める。どれだけ閉じこもっていても、たった一人でも関わらない事なんてない。
年齢が上がれば上がるほど、世界に急かされる。誰かと一緒になれと。それが男でも女でも構わない。結婚しろとか家庭を持てとか、パートナーを見つけろ、一人でいるな。
勝手な枠組みの中にあてはめられて、いつでも抜け出せるのにはまらなきゃと焦る。そうして誰かと結ばれても、上手くいかない確率が高いのが現実である。
だって、欲しがったのは誰かが決めた普通なのだから。
結婚したい!と思った誰かは結婚をゴールと決める。でも実際はゴールじゃない。またスタートラインに立つだけだ。結婚はしたいけど子供は欲しくないと考えた人は、またそこで躓く。逆に子供が欲しいから結婚したけど、出来ていや、相手はお前じゃなくて良かったなとか。
人生の悩みは尽きないものである。
さて、話を戻そう。
社会人になって改めて感じた事は、時間の使い方ひとつで人生が変わる事だ。
大学生の時はあれほど一日のほとんどを寝て過ごしていたというのに、今ではそうはいかない。ていうかそれをやると普通にしんどい。体力があったのだと思う。
前の職場にいた若い上司が恋愛中毒症だった。(私はこれを恋愛ホリックと呼んでいる)
恋人と別れたと思った一ヶ月以内にはまた新しい人と付き合っていて、別れたらまた付き合って、それの繰り返しだった。
さらに面白いのが、本人は一つ一つの恋愛に対してとても真剣だったのだ。それほど別れては付き合ってを繰り返していると、ただ遊んでいるだけなのかと思われがちだが実際は違った。
彼は、ちゃんと、結婚を視野に入れていた。
「一体何でそんなにすぐ恋人出来るんですか?」
と、その昔問うてみた事がある。すると彼は、
「休みの日に飲みに行ったりとか、友達の紹介で会うよ」
と返ってきた。
ん?ちょっと待て、休みの日毎日それやってんのか?正気か?と思った私は、
「趣味とかないんですか」
と聞いた。すると彼は
「人と会う事が趣味」
と答えた。
私はマジか……と心の中で一人呟いた。彼もマッチングアプリを使いまくっている知り合いと同じで、社会人の貴重な休みを全て、人と会う事に割いていたのだ。
まめに連絡を返し、休みには必ず人と会い、仕事で人と接し、また人と関わる。
彼は私が見てきた人間の中で、一番、人と関わっていた。
そんな時、ふと思ったのだ。
「あれ?恋人ってどうやって作るんだ?」
酸素65%、炭素18%、水素10%、窒素3%、カルシウム1.5%、リン1%、イオウ0.25%、カリウム0.2%、ナトリウム0.15%、塩素0.15%、マグネシウム0.15%、鉄0.009%、フッ素0.004%、ケイ素0.003%、他にごく微量の20元素。
で、人間は作れる。理論的には。いいか、理論的にはだ。
ずっと、どうやって恋人を作って来たのか思い出せなくなったのだ。あれ?何で?どこから湧いて出てきたの?と。
そこで、私は一つの答えに辿り着いたのである。
時間だ。
大人になってからの私の時間はほぼ全て何かしらの創作活動に当てられている。それか、趣味の時間。
仕事をしている時間でも何かしら考えていて、していない時間は次の案を考えながら他の事をしている。ゲームをしている時でもそうだ。映画を見ている時でも、ただスマートフォンを眺めている時間も全部。
私の脳内では無数のストーリーがうごめいていて、時間と天候により一番上に出てくるものが変わっていく。ある程度形になるとPCの電源をつける。
その工程が当たり前すぎて。息をするよりも簡単でそこに存在し続ける。
が、ここで問題が発生する。
少なくとも、学生時代にこんな真似をしてはいなかった。
私の時間は全て、私のために使う時間になったのだ。詳しくは、私のやりたい事のために。創作のために。求めた芸術のために。
ある時は書き、ある時は描き、ある時は空想し、そんな事をずっとしていると休日なんて一瞬にして溶ける。おまけに前職の時は一ヶ月の休みの2、3日はメンテナンスデーだったので、残りの数日はほとんど書く事に費やしていたのだ。
さて、ここで思い出してみよう。
私の前の上司も、知り合いも、皆、人と会うために時間を割く人たちなのだ。
恋人を作るために、貴重な休みを割いて会いに行っているのだ。それが先に繋がらなくとも。
つまりだ。
私が書いて作品を生み出すのと同じように、彼らも人と出会い恋を生み出しているのだ。
何かを得るには同等の対価を支払わなければならないという言葉をよく耳にするが、私は昔、全部手に入れてやろうと思っていた。
好きな仕事も、富も名声も愛も、幸せで健やかな生活も全て。手に届くなら全部かっさらってやろうと。だが、最近、これはきついのでは?と思い始めた。
何故なら、私は創作をする時間と恋を天秤かけたら、間違いなく恋が軽すぎてどこかに飛んで行ってしまう。
私の優先順位はいつも、
小説の仕事→仕事→趣味→家族→恋愛なのだ。
いつもいつも、恋とか愛は最後に回される。何故ならその時間を生み出すためには、書く時間と同等の対価を払わなければならないからである。じゃあそんなもんいらないし、私は私のやりたい事をしていたい。
変に傷ついて、気にしすぎるのも疲れるし、上手くいくように繕うのも気取るのも、いい顔をするのも大変なのだ。
同じように傷つくなら、自分自身で自分の事を傷つけたい。あ、自傷とかじゃなく。
誰かに傷つけられて、どうしようもないほど苦しむのなら。私は自分の無力さに打ちひしがれて、落ちて傷つく方がよっぽどいいのだ。だって何とか出来るから。私自身が何とかしようと思えばいくらでも、這い上がってこれるから。
そんな事を考えると、なるほど!だから出来ないんだ!納得!とつい先日感心してしまったのである。
正直、人生は一人でも楽しい。それは私が趣味があって、一人でも楽しいと思える気楽さと自由さ、そしてのめり込むものを持っているからだ。全部上手くいかなかったら、じゃあ死ぬ前に唐突に海外に飛んでみようとか。本気で実行できる人間だからだ。
でも、世の中の結構な人は趣味やのめり込むほどやりたい事が見つからない場合が多い。そうすると、恋愛は手っ取り早く自己肯定感を高めてくれる、そして相手に割く時間で充足感を得られるのだ。
つまり、これは。私が書く事を止めて、捕まえに行ったらいくらでも何とでもなるのだ。
でもそれは無理かなあ。恐らく今生では。残念ながら一日二十四時間、顔も名前も知らない誰かのために割くほど労力を持っていない。
よく、
「何で恋人いないの!?」
「絶対いるでしょ!嘘つかないで!」
と言われるが、笑えるくらいに本当にいない。私の恋人はこのPCと数多の物語である。
原因はもう一つある。
それは、私の心の壁がウォールマリアだからだ。
これは先日生まれた名言だが、遊びまくっていた友人に、何でそんなに相手がいそうなのにいないの?と言われ、咄嗟に返した言葉だった。本人はこの言葉を酷く気に入り数分ツボっていた。
そう、ウォールマリア。進撃の巨人で一番外側に存在する壁だ。およそ100年、破られた事がない壁。
私の心は、これによく似ている。
人見知りなんてしないし、話す事も大好きで、誰とでもその場では仲良く話せるが、ある一定のラインを越させないのだ。特に、恋人という点に関しては。
ウォールマリアに侵入できた人は、その後大体ずっとその場にいる。それかもう一段階先の、ウォールロゼに行く。長年付き合っている友人たちはそこら辺だ。
今まで会ってきた異性や恋人たちは皆、ウォールマリアの入り口で手を振っているレベルなのだ。そこから一歩、踏み出す度に多分足の裏の皮膚が剥がれて動けない状態になる。
私にとって唯一壁を越えてロゼまで来て消えてしまった人は、ある日突然、隕石みたいに堕ちてきて、幽霊のように消えた恋だったのだ。
さて、何故そんなにも壁が高くなったのか。
これは恐らく、これまで歩んできた人生に関係する。
幼い頃から男兄弟に囲まれて育ってきた私は、正直、女の子同士で可愛いー!と言い合うより、男子とゲラゲラ笑ってる方が気楽だった。プライドの張り合いも、牽制もしなくていい。女というのは面倒な生き物である。
しかし、ある程度の年齢になると恋心が皆の心に芽生え始めた。
するとどうだ。お互い何の気持ちもなくアホをしていた異性の友人と話すだけで陰口をたたかれ始めたのである!
何たる変わり身の早さ!これには私もびっくり!!
この現象は、私自身が女の世界になれた振りをするまでずっと続いた。さすがに私も、相手の事が好きで言われているのであればまあ仕方ないと思っていたのだが、何一つ好きでもない相手と話しただけで話せない女の子に文句を言われ仲間外れにされるのはたまったものじゃない。
いや、話せよ。他愛もない話でいいから。こちとら今週のジャンプの話してるだけやねん。
と、思っていた時期もありました。
幸いにも高校時代は理解ある友人たちに囲まれ、そういった事件には巻き込まれる回数が減ったのだが、年々、私はリスク回避のため異性と話す事を避け始めたのだ。
これは本当に、自慢でも何でもないのだけれど。
多くの知り合いに言われるのが、いい意味でも悪い意味でも目を引く存在だという事だ。容姿、感性、思考、その全てが何となく、目を引くらしい。
おかげさまで、いい意味で注目されても一定数のアンチが存在し続ける人生になった。悪い意味で注目されると、想定よりもずっと迎撃される。けれどそのほとんどは、嫉妬によるものだった。
例えば、背が高いからスタイルが良く見えると、見せつけてる!と言われたりとか、
教室で異性とゲームをしていると、媚を売っているとか。姫プとか。いいえ、むしろキャリーでした。
そんな感じで。よく分からないけど目立つのでとにかくリスク回避を徹底した結果。
人間、信用、無理。
っていうヒトモドキの悲しきモンスターが出来上がってしまったのである。
私が恐れているのは、異性と付き合う事ではなく、異性と付き合う事によって発生する誰かの妬み嫉みなのだ。誰かの妬み嫉みから発せられた言葉が、どれほど辛いものなのか。迎撃されてきたから分かる。馬鹿みたいに相手の事を考えていない。
なので個人的に。推しが誰かと結婚しても、良かったよと心から喜びを伝えられる人間でありたいと思うのだ。
そうして人が信用出来なくなると、段々と関わる場所に近づかなくなる。だって嫌じゃん、合コン引っ張って連れて行かれたと思ったら目当ての異性に色目使ったとか言われるのさ!!嫌じゃん!!嫌だよ!!
そしてどんどん高くなる壁に、外の世界は巨人が歩き回っている。時折調査兵団が現れて、巨人を駆逐していくのだ。私の心が、こっから先は来るな!と巨人とのフラグを全て潰しに行くのである。
私は今の生活が好きだ。大きな富も名声もないけれど。好きな事を出来ている。恋人もいないけれど。自由に書いている。これほど自由な時間なんて、人生であった?と思えるくらいに。
でも、時折やっぱり。誰かと一緒にいたいと感じる時がある。
特別な事なんて何もしなくていい。ただ、何もしなくていいから隣で眠って。今日のお休みも明日のおはようも、一番に言う人がいたらいいと思うのだ。
ただいまと言う相手も、おかえりと返す人も。
たまに夜のコンビニまで二人で歩いて、アイス買って帰るとか。映画をただぼーっと眺めながら、トムホランドイケメン?と問えば返事がくるとか、一人では多い料理が次の日まで残らない日が続けばいいとか。
本当に、とてもくだらなくて有り触れた話。
何かしらの欲は二の次で。ただ、息が吸えるような相手がそこにいればと。一人部屋で思ったりするのだ。
綺麗な夜景で頂くディナーも、キラキラのダイヤモンドも、眩いイルミネーションも、ブランドの時計も、綺麗な服も。別にそこまでいらないのである。だって、全部自分で叶えるから。
好きな人から貰えるなら嬉しいけれど、でも欲しい物は別に、私自身の手で買える。夜景の見えるディナーも、別に食べられるしイルミネーションだって見れるし、ダイヤモンドも持ってる。
本当に欲しいものはそうじゃなくて。ただ一緒にくだらない時間を過ごす事。その奇跡みたいな幸せが、当たり前になるまで。それだけ。
しかし笑える事に、私の中でこれを叶えるのは売れる事より難しいのである。
時間は全て私の叶えたい物のためにあるから。そこに恋とか愛とかは入る余地もないのだ。
だから、今はまだこの寂しさも見ない振りをして。今しか出来ない事が沢山存在したとしても。残念ながら、私は優先順位の一番上に、それを選ばなかったのだ。
やっぱり全てが欲しいなんて傲慢で難しいと思うよ。と一人洋楽を聞きながら、書いた文字列の色が悪いとか私にしか分からない感覚を誰かに言おうとしているあたり。
しばらくは無理だと思う。