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エンドロールの最後に、君の名前は消えるだろうね
さよならを指折り数える。
エンドロールで席を立ち帰る人とはうまくいかないと言われる事があるが、正直本人たちが良ければそれでいいのである。そんな事を、ふと思いついた。
映画館に行かなくなったのはコロナのせいか、学生で無くなったからなのか。そのどちらもが作用している気がした。単純に時間の使い道が狭まっただけの事である。
大学時代、最寄り駅に映画館があった。そこは錆びついていると言えば言い過ぎかもしれないけれど、集客率などほとんどない、数十年前に栄えたのだろうが今は既に全盛期を過ぎたような場所だった。
帰り道に寄れるのに、人影などほとんどなかった。休日はどうか分からないが、そもそもあそこに行くなら近隣の栄えた映画館に行くだろう。
けれど私は何となく、その映画館が好きだった。
ダンブラウンの【インフェルノ】を見た日だった。映画は誰かと行くもので一人で足を運ぶのはほとんどない。だって今は家でも見れるから。サブスクって便利だよね。ありがとうアマプラ。
しかし、インフェルノを一緒に見てくれる人間はいなかった。それもそうだろう。若者が映画行こう!でインフェルノを選ぶ方が少ない。そもそもダンブラウンって誰?まであった。天使と悪魔?ダヴィンチコード?聞いた事あるけど……。
ダンブラウンの作品を見るのが好きだ。小説を読むのは少し気合いがいるため映画で見るくらいが自分にとっては丁度よかった。その新作、インフェルノが上映するとの事で。ああ、誘ったとも。でも誰も連れなかったんだ。
大学終わり、一人で駅に向かわず映画館に足を運んだ。チケットを買いポップコーンでも食べちゃおうかな、何か飲んじゃおうかな。煌々と光るディスプレイにほくそ笑んだ。
ポップコーンなんて一人で食べる事などなかった。食べきる自信もなかった。けれど今日くらいキャラメルポップコーンの小さいサイズを食べてしまおうか。飲み物は勿論コーラ。
見るのに夢中になって氷が溶けだし気が抜けたコーラを、個人的には美しいと思ったのだ。それほどまでに夢中になれた事がMサイズの安いコーラに反映されているのが、何だかちょっと、綺麗に思えた。
その前に時間を。ポケットに手を突っ込んだ。
スマホが、ない。
その瞬間の私の焦り様と言ったら半端なかった。季節は確か秋口。暑さなどとうに消え去ってしまったのに、額に一筋の汗が垂れた気がした。
やばい、やった。
失くしたのではなく置いてきたと確信があったのは、先程まで受けていた講義で机の中にスマホを入れていたからだ。多分、あそこにある。無かったら終わる。
チケットの時刻を確認し来た道を急いで戻った。少しでも速く。バスに乗って大学まで向かい全速力で講義室に向かった。引き出しの中に、スマホはちゃんとあった。
安心したのも束の間、すぐさま戻りバスに滑り込んだ。さすがにバスの運転手も、さっき乗っていた人間がまた乗って来るなんて思わなかったのだろう。ひどく驚いた顔をされた。
街をヒールで全力疾走しスマホを抱えたまま映画館に滑り込んだ。チケットを手渡して館内に入る。冒頭10分、映画はすでに始まっていた。上がる息を嗜めつつ席に座る。結局、ポップコーンもコーラも買えず飲みかけの水で我慢した。
あまりに全力疾走をしたせいで、最初の30分間は気持ち悪くて仕方なかった。流れる映像を横目に、人がほとんどいない座席を上から眺める。平日の夕方、インフェルノを見る人間なんていなかった。自分以外の数名とは気が合いそうだった。
地獄とは何なのだろうと思いながら、今生きているここがよっぽど地獄だと思った頃にエンドロールが流れ誰かが出ていった。黒い背景に流れる名前に、自分の人生が映画だったら一番最初に名前が流れるのかと考える。
私が主演の映画に、何の価値があるだろう?事あるごとに、価値を考える。これは意味のある物なのか。誰かにとって、価値ある作品なのか。私には思えない。私の人生に、価値があるとは思えない。
でも多分、価値なんてないんだよな。価値はそれを見た誰かが見出すもので、自分自身で作り出すものではない。何の変哲もない人生を送って来たとしても、誰かにとってはそれが十分過ぎる価値を生み出している可能性だってある。
それは、この目では分からない。
子供が適当に描いた絵に、価値はあるか。何もない空間にペンを一本置いたら、それは芸術と言えるのか。そんな事を、大学に通っている間吸収した知識で考え続けていた。
そもそも芸術って何?インフェルノを見て感じた想い?エンドロールに何かを見出す事?自分の人生の価値を、他人に委ねる事?
個人的に出した結論は芸術って多分、何かを見た時に考えさせられる事何じゃないかと思う。子供の絵を見て、ただ嬉しいとかありがとうとかじゃなく、使われた色に美しさを感じたりバランスに子供にしか出せない目線を見出したり。
何もない空間に置かれたペンに足を止め、どんな意図で置かれ何を見ようとしていたのだろう。何も考えていなかったのか。それともこの黒いペンを何かに例えたのか。真っ白な空間に真っ黒なサインペン一本って、まるで死みたいだ。とか。
我々が考える事を始めた時、それこそが芸術なんじゃないかと思う。
ただ見るだけは誰でも出来る。モネの睡蓮は綺麗だしミュシャのデザインは現代でも美しい。そんな、当たり前の事も芸術だ。
ただその中に、何を見出すか何だと思う。綺麗だから価値があるじゃなくて。
私は人間が這っても前に進み、孤独になろうが復讐に駆られようが、瞳に熱を残す様が美しいと思う。それが出来る人間を醜いとか、愚かだとか言うかもしれないけど、生きるために精一杯になって泥水啜っても生き残ってやろうとする姿勢はそう簡単に出来ない。
ゴッホの絵がただ綺麗なわけじゃなくて筆のタッチ一つ一つが殴るようで、売れない現状への不満、苦しみ、死への恐怖、その全てが混ざった所が見えるから好きなのだ。丁寧に描くなら誰だって出来る。
筆先一つにこんなにも感情が乗っている絵が、どうしようもなく苦しくて哀しくて美しいと思う。
だから、私の人生が映画になったとして。いつか映画のように報われたとして。
報われたら評価されるし価値は見出されるし称賛されるだろう。でもそうじゃなくて。
ただの報われない人生の映画に何かを見出し、エンドロールまで席を立たず、客席が明るくなっても呆然と前を向くような。
間違いだらけの道でもそう思われる二時間半でありたいと思う。
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