母の味は確かに小さな幸せを彷彿させた


幼年期と味覚は直結している


先日、友人たちが泊まりに来た際、料理を提供した。作るのは結構好きだという話を以前書いたが問題は量である。

その日は自分が最近食べたかったお洒落飯を存分に振舞った。

アボカドとミニトマトのキムチ和え、桃のカルパッチョ、枝豆、にらのしょうゆ漬け、大葉の韓国風漬け、牛肉のタリアータにポップコーンシュリンプ、ブイヤベース。

まあ大量に作った。

しかし、これを一人で食べるには、早くても三日はかかるだろう。朝昼晩、全て同じ食事にすれば2日で片付くだろうか。知らんけど。

先日クラムチャウダーを作った時も、ビーフシチューを作った時も、三食かけて食した。クラムチャウダーに至っては牛乳のせいで腹を壊した。

一人暮らしになってから、食べたい!と思う物を自由に作っている。好き嫌いはほとんどないような物なので、割と満遍なく食べているし、野菜も肉も、取るようにしている。

果物もそうだ。一人暮らしだと果物代がもったいないから削る方も多いらしいけど、実家から奪ってきたブルーベリーを永遠と食べている。さくらんぼは取り寄せで大量に食べたし、桃に至っては最近見つけた八百屋さんに安価で売っていた。

ありがたい事に父が果物が好きであり(これは恐らく祖母の影響である)、加えて人に施しを与えるのが好き(半ば強制だが)な性格であるため、両親がよく県外に出かけると私や兄家族の分まで勝手に買っていたりする。

ちなみに我々兄妹は、
「え?タダ?貰えるならちょうだい。ラッキー」

気分であるため特に迷惑には思わないのだが、よく義家族が押し付けてきて辛いという話を見るので、これは本当に人それぞれだなあと思う。

加えて施し好きの彼は、買った果物を家まで配達しに来る。これ、普通に面白くないか?ウーバーも顔負けの距離である。まあ皆、車で行ける距離には住んでいるけれど、わざわざ朝から買った物を兄の家、私の家に無償で届けに来るのだ。これはもう趣味である。

つい昨日もそうだった。山梨に行ったから葡萄をおすそ分けしますという言葉から始まり、私の家の冷蔵庫は果物で埋まった。ああ、何てラッキー。シャインマスカット高いから手出すの止めよと思ってたのに、一瞬で手に入りました。

持つべきものは施しに対し、否定するでも遠慮でもなく、やったーラッキーという心持ちでいる事である。どれだけお節介であれ人は施しを与えた相手が純粋に喜んでいる所を見ると、またやろうと思うのだ。反対に次が欲しくなければ否定的になるべきである。世の中、ちょっと馬鹿で純粋な体を装っていた方が上手くいくのを、私は大人になってから知った。


子供の頃から、食べ物に困った事がない。不思議な事に、いるだけで何か貰えるのだ。それを、高校生頃から自覚し始めた。

高校生にもなると学校にお菓子を持っていくのだが、よく分からないけど必ず他の人よりも多く貰えるのだ。これは現在も続いている。恐らくだが貰った瞬間に食べて、うまいうまいと言い続けているから。分かりやすく反応を出すとこれまた人はもう一回あげようかなと思うのだ。そうやって餌付けされてきている。


味覚というのは子供の頃から形成される。
最初に甘み、最後に渋みや苦みを習得するのが人間らしい。子供が甘味を欲しがるのは当然の事である。何故ならまだ、それしか美味しいと思えないからだ。

なので大人になっても苦みが駄目な人は、習得スピードが遅いだけだ。しわしわのよぼよぼになったら抹茶の味が美味しいと思えるかもしれない。

余談だが、私はコーヒーがあまり好きではない。これは単純に苦みが嫌いだという理由ではなく、コーヒーとティーどっちがいいですか?と聞かれる場面が多く、その度にティーが好きなので、ティー!ティー!と返していたらコーヒーを飲む機会が減ったからである。

コーヒーから始まる優雅な朝を、体験してみたい人生だったが残念ながら朝は時間がないので温かいコーヒーを啜っている場合など無いのだ。後どうせならティー!ティーがいい。ティー中毒患者である。


話を戻そう。

母の味って何だろうかと思った時、ふとした瞬間に食べたくなるレシピの分からない食べ物なのではないだろうかと思った。分かりやすく、ビーフシチュークラムチャウダーみたいな、ルーの箱の裏面を見れば分かるようなものではなく、作り方が分かるようで分からない。

よく食卓に並んでいたもの。

幼年期、母がよくお菓子を作ってくれた。弟が生まれるまではよく一緒にお手伝いと称した邪魔で作っていた。

その中でも特に覚えているものが三つある。

一つが白玉。幼稚園生の時よく一緒に作っていた。混ぜて丸めて茹でるだけの簡単な作業を、私と兄は楽しくやっていた。粘土感覚だったのだと思う。サイズを変えたり、自分が作った白玉をよく食べた。
ちなみに白玉は冷凍出来る事を知ったので、私の冷蔵庫に常備されている。

二つ目がシフォンケーキ。余った卵白を使って焼かれるそれは、家族皆の鉱物である。シフォンケーキに関しては型もないので食べたい時に、食べたいと駄々をこねるしかない。

そして三つ目が、リンゴの蒸しパンだった。

子供の頃から、ちょっとしたおやつや間食によく出てきた食べ物だった。小麦粉に少しの砂糖、ベーキングパウダーに牛乳、卵、ちょっとの油とリンゴ。シンプルイズベスト。何一つ無駄なものが入っていないそれは、素朴な味だった。

小さな子供にお菓子を大量に食べさせる事に抵抗感があったのだろう。ちなみに当時の優衣羽ちゃんはねるねるねるねが狂おしいほど好きだったため、連日のねるねるねるねは禁止だったのだ。

まあ自分が同じ立場であれば、なるべく害のない食べ物を与えたいと思うだろう。それも、シンプルなもの。

リンゴの蒸しパンが家にある事が分かると、私たちは争奪戦になった。味は本当にシンプルで、蒸しパンにはあまり出ないもちっとした食感とリンゴの優しい甘み、生地に混ぜたほのかな砂糖の味。

それが、どうしようもなく好きだった。

リンゴの蒸しパンの日はねるねるねるねなんて食べなかったし、コーラ味のソフトキャンディーもソーダ味の飴も、全てが蒸しパンに負けた。
手のひらサイズの蒸しパンが、あの頃の私たちにとって幸せな家庭の味だったのだ。


という事を、ふと数日前に思い出した。

最近見つけた八百屋さんで大きな桃を見つけ、ラッキーと思いながら買おうとした最中の出来事である。並べられたリンゴが目に入り、あ、蒸しパンが食べたいと思ったのだ。

とりあえずリンゴを買ったは良いものの、蒸し器がない事に気づいた。何とかして食べたいと思いながら週末を迎え母と会った時に蒸しパンを作ろうという話をした。

鍋でのやり方と必要なレシピを、彼女は帰ってから写真で送ってくれた。手書きのメモに古びたレシピ本が、過ぎた時間を物語っていた。

つい数時間前、紆余曲折の末に出来上がったリンゴの蒸しパンはやっぱり同じような味だった。うまいなあともしゃもしゃ口を動かしながら、あの頃の自分を思い出し鼻の奥がツンとした。

何も出来ないのに、何でも出来ると思っていた。愛されて満たされて、怒られるのにも理由があった。兄と取り合いながらちぎりもせず口に入れた蒸しパンは、狭いアパートの食卓で、笑いながら日々を過ごしていた小さな幸せを表していた。それは、確かに母の味だった。

きっと世の母の味というのは、こうやって懐かしむ子供が受け継いで先に繋がるのだと思う。

一人部屋で蒸しパンを食べながら、私は私の人生の中で一番優しく幸せだった時間を思い出した。


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優衣羽(Yuiha)
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