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月日は貴方を彷彿させる


時計が壊れた。

10月12日、7時を永遠に繰り返すそれがおかしくなったのに気づいたのは、出勤してからだった。

太陽光で動く電波時計は、曇りの日や長時間伏せたままでいると時を止めてしまう。代わりに電光の下に置くと瞬く間に回復し正確な時を刻み始めるのだ。
動き始めた瞬間の秒針の速さはどこかやみつきになる速度で。ファンタジー映画でよく見るような、時計の針が回り続けるシーンに酷似していた。

そんな時計は随分と変わった壊れ方をしている。
5秒止まり5秒動くのだ。つまり一時間に30分程しか進まないしさらには7時以降にならない。時間を指し示す針だけが、同じ一日を過ごそうとしている。

はて、この時計とはいつからの付き合いだろう。

そんな事を思い出しながら、その日見た夢に私は妙に納得したのだった。


時計との出会いは恐らくだが、今から約十年前に遡る。
高校一年生だった。腕時計を持った事が無くて、その頃は必要ないと思っていたから欲しいとも思っていなかったのだ。けれど両親は、高校生になったんだから腕時計くらい持ちなさいと言った。買ってあげるから、良いのを付けなさいと言った。

結局買ってもらったのは6万円のSEIKOの時計だった。ピンクゴールドが輝く綺麗な時計だった。ストーンが時間を指し示し、日付が一日と変わっていく。人生で一番高価な物を更新した時計は、その日から私の平日を彩った。

それから約十年、時計は壊れた。

三年間つけて、大学でも一緒で、時折忘れてはいつの間にか無いと安心出来なくなった。社会に出てからは唯一無二の相棒となって、ピンクゴールドは6万の価値以上の時間を過ごした。

時間が止まったその日、ある夢で目が覚めた。

夢の中では偉く久しぶりの人間が、見知らぬ土地で見知らぬ関係性で、当たり前のように話をしていた。私はそれを受け入れて、ハッピーエンドの鐘はもう鳴らない現実を知っているくせに、夢の中ではこれが真実だと思っていた。

叶わなかった世界の終わりと、結ばれたはずの縁と、別離にそれが運命だったと、今なら言える。何にせよ私にとっての一番をさよならの後に気づかせたその人は、何年経ても鮮明に思い出し脳のどこかで生き続けているのだ。


夢の中で何を話したか忘れたけれど、いつかの自分たちがハッピーエンドで目が覚めた。目覚ましが鳴る20分前、私は何と珍しいものだとこれまた珍しく冴えた目で世界を見た。そもそも、私の目がしっかり開く事は一年で数回しかないと言えるほど朝が苦手である。

スマートフォンをいじりながら、最後に見たのはいつだっけ?と冴えてしまった脳が考え始めた。夢の中で、最後に会ったのはいつ?今年入ってから会ったっけ?その人が出てくる夢はいつも印象的だから、多分見ていたらどこかに書いているはずだ。自分の書いたものを見返す気はないけれど。

ふっきれたはずの感情は何故か突然蒸し返される。でも夢の中でその人が出てくると、必ず何かしらが起こる。それは何かを手に入れるだったり、私に覚悟をさせたり、失ったり。


そこで時計が壊れた。私は妙に納得してしまった。ああ、だからか。

帰る予定はなかったのに週末、実家に帰る事にした。まだ時計が生き返ると思ったから、以前壊れた時に直してもらった修理屋さんに行こうと考えたからだ。ついでに地元に向かうなら実家に帰るかと母に連絡した。

今週帰るよと連絡したのち、時計が壊れちゃったんだと送った。母は、何年だっけ?と言い、私は多分十年くらいと返す。すると彼女は、もう寿命だねと言った。

電波時計の寿命は十年ほどだそうだ。ちょうどそのくらい。さよならの時間だった。私はつい、思い入れがあるから直したかったとこれまた珍しく素直に本音を口にした。母は、宝箱にでも入れて大事に取っておきなさいと言った。そんなもんはない。私にある宝箱と言えばファンレター入れくらいである。

そんなこんなで、先日誕生日を迎えたので時計買ってやろうかと言われた。ありがたいなと思った。多分、自分では買わないから。私にとってこの時計が特別だったから。わざわざ自分で同じスペックの物を買おうと思えなかったのだ。腕時計はまだあるし。


どうしてこんなにも特別になったのか。

それは長年連れ添ったからというのが一番の理由であるが、夢でその人が出てきたせいでより蓋をした思い出が蘇った。

私は私の物をあまり人に触らせない。大事な物、高価であれば尚更だ。自宅に泊まりに来た友人たちが別に何をしても怒らないし文句もないけど、ジュエリーやPCなどに触られたら怒ると思う。最も、そんな事する奴はうちに入れないが。

時計は、長年私が他人につけさせなかった物の一つだった。何より高価だし、ちょっとでも貸して傷つけられたら溜まったもんじゃない。仲が良くても、ずっとそのスタンスだった。

でも十年の間に一人だけ、たった数十分この時計を着けた人がいる。


それが夢の中に現れた人だった。


未だに思い出せる。高校三年生の夏前だったと思う。いやカーディガンを着ていたから五月下旬だったかな。多分。文化祭の委員会だった私は男女四人で放課後委員会の会議に出た。

右隣に同じクラスの女の子が座った。その前にその人。私の前には彼の友人。この女の子、深くは語らないが二年半ほど一緒にいて自分が一番でないと気が済まない子だった。まあ色々あって話さなくなるんだけど、モテる+チヤホヤされたいが相まって三年生の時は別人になってしまったのかと思うくらい変わってしまい仲違いした。まあ後日の話なんだけど。

まだ彼女と仲良くしていた頃のその日、彼女は目の前に座るその人にチヤホヤされたかったのだと思う。はたから見ても分かるくらい積極的に話しかけていたからだ。その人はあまりイケメンに対して意識しない私でも分かるくらいのイケメンだった。

初めて見た時は、絶対こいつと関わるもんかと思ったものだ。顔がいい男の周りには面倒な女が集まるのは世の常識である。ちょっとでも話せば槍が飛んでくるのを、私はそれまでの人生で十二分に理解していたからだ。

ところがどっこい。そいつは逃げの姿勢を取っていた私の退路を簡単に失くしてしまった。気づいた時には隣で息をしていた。あれほどいつの間に!という経験を私はまだしていない。


話を戻そう。そんなこんなで会議が始まるが勿論高校生なんてまともに聞いていない。ケラケラ笑ってどうでもいい話をするのが学生である。その日も片耳で聞いてメモを取る私に隣の彼女は何もしていなかった。おいおい、せめてメモはしようぜと言えば前の二人と話し始めた。

「新しい時計買ったんだ」

左腕を私たちの前に置き、嬉しそうに見せた彼女に、ああそうか、その話がしたかったのね貴女は。なるほどと気づく。

ファッションが好きな子だった。新しい物を見せたくて、話したくて堪らなかったのだろう。黒の太めなベルトにパッションピンクの文字盤、レディースにしてはごついそれはG-SHOCKの時計だった。

ごつめの物が好きな彼女らしいセレクトで、パッションピンクはキャラクターにあっていた。

「買ってもらったんだけど高かったんだ」

少し前、彼女の誕生日だった。両親に買ってもらったと話す彼女に、何気なくいくらだったの?と聞いた。彼女は嬉しそうに

「1万2000円だよ、やばくない!?」

皆の時計の中で一番高いかもと言っている姿に、やべぇ値段言えねぇと口角を上げて心の内を隠した。恐らく私が6万と言えばプライドの高い彼女の事だ。一瞬で機嫌を悪くするだろう。そうなれば後が面倒である。私は当たり障りのない返事をした。

高校生の間ではG-SHOCKの時計が流行っていたが、私にはあまり良さが分からなかった。ごつめのものよりシンプルで品のよい物が好きだった。着けると自分をワンランク上にしてくれるような、上品なものだ。これに関しては好みだけど、私の価値観は当時の子供たちと違っていた。

「皆の時計見せてよ」

彼女は私と二人の時計を見せてと言った。私は外さなかった。彼女も私の時計はベルトの細さでつけられないと言った。手首が細い私の時計は調整されていたものの、つけると指が日本入るくらい隙間が残っていた。手首が細いって、別に何の役にも立たねぇし時計は回るしくそだなと思った瞬間でもあった。

他の二人は時計を外した。彼女はその人の時計をつけようと手を伸ばしたが、何故か彼は時計を渡さなかった。外したんだから一回くらい着けさせてあげればいいじゃないか。

そう思いながらまだその人の時計を着けようとしていた彼女の手を遮り、時計は私の手の平に乗せられた。

「ん」

手の平に置かれた男性物の時計は自分の時計より重くて大きかった。黒の電波時計だったと思う。文字盤にさりげなく、銀と青のラインがひかれていた。シンプルだけど彼の雰囲気にぴったりだった。

「でかいんじゃない」

着けてみろと首で促す彼に、私は大変困惑した。隣で彼女は何でお前がという目で見てくる。大変いたたまれなかった。仕方なく私は自分の時計を外す。すると彼は、貸してと言った。

「うわ細」

私の時計を器用に左手首に着けた彼は器具を止めた。隙間はなくぴったりだった。いや、お前つけられるんかーいと思った瞬間でもあった。細身だったから有り得なくはなかったけど、彼女が彼にまじで細いなとツッコんでいた。

私は男性物の時計を左手首に着けた。案の定重くてベルトに隙間があり文字盤は重力に負けて落ちていく。

「でかい」

「俺はちょうどいいよ」

「重いんだけど」

「そりゃあこんなに細いの着けてたら重いんじゃない?」

不思議な感覚だった。何故か私の手首に着けられた大きい男性物の時計はぶかぶかなのに妙に馴染んだ事だ。彼女はまだ彼の腕時計を着けようとしていたが、彼はそれをさせなかった。あまつさえ、そのまま私の時計を会議の終わりまで着け続けた。

私は困ったものの、まあ向こうが着けるのなら致し方あるまい自分もつけ続けてやろうと付けっぱなしにしながら、そういえば誰かが自分の時計を着けているのなんて初めてだなと気づく。あれだけ人に着けさせたくなかったのに、当たり前のように彼は着けていて、私は不快に感じなかった。

変な人。でも嫌ではなくて、仕方ないなあみたいな、そんな感覚だった。会議が終わった後、再び戻ってきた私の時計は彼の体温を吸い温かくなっていた。反対に冷たい私の手は彼の時計を温かくする事がなかった。

「うわ冷た」

「あったか」

着けて反対の言葉を口にするのが何だか面白くて、左手首にこもった熱は自分では作り出せない熱さだった。面白いなあと思いながら、まあこんな日も悪くないと思った。

それは、まだピカピカだった頃の、ほんの数十分だった。


以来私の時計は私以外の人間が着けた事もない。一回だけ。十年に近い年月の、たった一回。たった数十分。時計は私のためでなく、彼のために時を刻んだ。

今だから思うのは、それから前を向いてプリントにメモをする彼はどんな顔をしていたのだろうか。度々時計を触り何を思っていたのだろうか。聞く術もなければ、憶えているかも分からないけど。

私は少し楽しかったと、懐かしむように言っておこう。肘を立てれば落ちてくるそれを傷つけないように支えたのも、いつもは見ない文字盤で時を追ったのも。新鮮で楽しくて、ちょっとだけ嬉しかったのだと言おう。


だから、貴方が夢に出てきて時計が壊れた時、何だか妙に納得してしまったのだと馬鹿みたいな事を思ったのだ。

新しい時計で、新しいステージだよと母はふざけて言った。そうだね、新しいステージだ。何たって私、四半世紀生きたみたいなので。もう子供でも何でもないので。過去は過去だし、これから先を生きるために歩いているので。


私が好きになった貴方はもういなくて、貴方が好きになってくれた私も、もうどこかに消えてしまって。残るのは思い出だけだけど。


多分、私はこの時計をずっと捨てられないんだろうなと目を伏せツンとなる鼻の奥にいつかの熱を感じたのだ。

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優衣羽(Yuiha)
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