なぜ遺言(結言)動画メッセージを撮るのか? ~理由その2~
なぜ遺言(結言)動画を撮るのか?
2つ目の理由について書いていこうと思う。
理由その1はこちらから
https://note.com/yuigon_meechan/n/n636b6061dcef
2. 終わりに〇と思える生き方をするという決意
2009年頃、 「大人の命の授業」というイベントにゲスト出演させてもらえる機会があった。その主催者が、のちに心友となり、魂友となり、 オワマル を生み出すこととなる 小松さやか だった。
小松さやかのブログはこちらから
https://note.com/owamarudou
彼女と出会ってから、私はさらに「命」「生」「死」についてたくさん考えるようになっていった。
そして「命は有限」ということを強く意識するようになった。
どんな命にも必ず終わりが来る。
時間の長さやみ短さには違いがあるが、 誰もに平等に死は訪れる。
ならば、生きていられる今、この時間、この瞬間を大切に生きたい。。。
24歳の時、「たとえ3日間でもいいから、自分の望むように生きてみたい。」そう思って病院を出て一人暮らしを始めた。
それなりに自由で、楽しんで生きてきたが、 今考えると人や環境に流されて生きてきた部分もあったなぁと。
そして、35歳で小松さやかに出会い、命は有限ということを意識するようになり、やがって彼女が生み出した「終わりに〇マルと思える生き方」のメゾットを自分の中に取り入れるようになってから、驚くほど人生が好転し始め、それと同時に、ますます「有限である命をどう輝かせて生きていくか?」ということを意識するようになった。
「終わり(死)」から見た「いま(生)」
人生の最期を迎えた時、「私に生まれてきてよかった 」と思えるような生き方をする。
そう決めたのだ。
そして、それを全うするためにも、 私は遺言(結言)動画としてメッセージを残す必要があると思った。
「終わり方」も全て自分で決めておきたいと思ったから。
これが2つ目の理由だ。
なぜ遺言(結言)動画を撮るのか? ~理由その3に続く~