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続・どんな遺言(結言)動画を撮りたいのか?

エンディングノートや、もしもノートに手をつけられず現在に至っている…という話を前回書いたが、そこから今回は、遺言(結言)動画を撮ろうという流れに至ったことについて書いていこうと思う。

大きなきっかけとしてあったのは、ロンドンブーツ1号2号の田村淳さんの著書である「母ちゃんのフラフープ」を読んだことである。

彼は、ガンと共に生き最期まで自分の意志を貫き、人生を全うするお母様に寄り添う中で身についた死生観などをもとに、遺書動画サービスを始めていた。

「そうか、動画という方法だったら私にもできるかもしれない。」
そう思って、 淳さんの遺書動画サービスの内容を見てみたり、他の会社がやっている同じような遺言動画サービスの内容も覗いてみたりした。

でもなんだかしっくりこない。

問い合わせてみようというところまで気が進まなかった。


何が引っかかったかと言うと、 いざカメラを前にした時に、 自分が伝えたいことをスラスラと話せるようなイメージが思い浮かばなかった。
結局、何を話せばいいかわからなくなり前に進めない気がしたのだ。
それともう一つは、こういったビジネス化されたサービスを利用することはもちろん大きなメリットもあると思うが、私としては、まだ自分の中でどんなメッセージを残していきたいのか?明確になっていない部分も大きいので、 そういったものを誰かに引き出してもらいながら、自然体で話している姿を動画として残していく方が、私のイメージにはしっくりくるなと思った。

もしかしたら、既にサービス化されているものの中にはそういった方法もあるのかもしれないが、 私のことを何も知らない人に、安心して胸の内を打ち明けるにはとても抵抗があった。

そこで思いついたのが、 やっぱり「小松さやか」だった。

ライフコーチとして、私の紆余曲折を知り尽くしている彼女ならば、私の思いや考えをうまく引き出してくれるのではないか?
私も彼女になら安心してなんでも打ち明けられると思ったのだ。

そして、 彼女も快く承諾してくれて、とりあえずやってみようということになった。

私はどんな時も、この「とりあえずやってみよう!」が好きだ。
初めから色々なことを決めすぎず、 やっていきながらその先の事を考えていく 。
だから実際に、動画を撮ってみて、話してみて、どんな形で残っていくのか分からないし、 残っていくかどうかも不確実なのである(笑)

でもそんなふうに、どうなっていくかわからない面白さが、動けなかった今までの自分を大きく動かしているのかもしれない。

案の定、1回目の動画撮影はとても楽しかった。
「死」ついて話をしているのに、楽しいってどういうこと?と思われるかもしれないが、そこら辺については、また次回書くことにしようと思う。


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