インフォグラフィックが主観的で、データビジュアライゼーションが客観的?
(2016年10月に書いたものです)
インフォグラフィックが主観的で、データビジュアライゼーションが客観的だというのを見かけたので、、
センサーでデータを取得する際の選定されるセンサーのスペックや設置場所にも主観の入り込む余地はある(例えばガイガーカウンター)し、データの集計にも主観が入り込む余地がある。主観が入り込んだそれらのデータを使っている限り、データ可視化の段階でどんなに頑張っても主観的であることから逃れることはできない。
データ可視化する際も、たとえば年度の幅、スケールの幅、色の当てはめ方、並び順で印象操作は可能。
これらはできるだけ排除すべき主観なわけだけど、上記を乗り越えた上で、歓迎すべき主観もある。
「面白いモノの見方の話」「常識と違った話」「聞いたことのない話」は概ね主張は主観的でして、それで相手を説得したいからこそ、そこから根拠として参照する話やデータやデータ可視化は客観的でなければならないんじゃないでしょーか。データ可視化の文脈でいわれるナラティブとかストーリーテリングと言われている事柄ってこういうことなのかなと。
表現のスタイルとして、手書きの線や質感が少ないのは技術的な制約とミニマリズムを尊重するからだと思いますが、技術的な制約は徐々に拡張されていくと思われ。この辺は客観的であるという印象には寄与してそう。
主観と客観の定義はひとによって定義の振り幅ありそうですが、表現のスタイルではなくて視点の位置で区別するとして、公的や企業のデータ扱う際には、客観=俯瞰視点、主観=個人視点とすると整理がしやすそうです。視点があがっていくと俯瞰視点も個人視点になったりしますが。イームズ夫妻の「パワーズ・オブ・テン」みたいなノリで。