子どもの求める愛をあげられるのは親だけ。
泣きさけんでいるのは、あなたを困らせようとしてるのではなく、あなたの気を引いて「自分は存在していいんだよね」ということを確認したいだけ。
「私はここにいるよ!」を伝える方法が泣くしかないの。
「また泣いてるわ」と、知らんぷりされて歩き始められると、とても不安になるの。
立ち止まって、ただぎゅっと抱きしめてあげる、それだけで気持ちは落ち着くの。
もしできるなら「寂しかったの?」「不安だった?」言葉はなんでもいい。「ちゃんと声を聞くよ」そのメッセージが伝われば、ふっと泣き止んで、また遊び出す。
またかぁー。そんな気持ちもとてもよくわかる。
うんざりしたり、疲れていたり。
まずは自分をケアしてほしい。たまには誰かに任せてもいい。頼れる先をたくさんつくっておくのも一つかもしれません。
もし、その声を聞こえないふりして、どうせついてくるから大丈夫って無視してたら
「お母さん、お父さんは、私が泣き叫んでもきいてくれない」
「私はこの世界に生まれてきて本当に良かったのかな」
「私は本当はいらない存在なのかもしれない」
そんなことを無意識のレベルで学習します。
3歳とか、2歳でも。言語的な思考ができない年齢でも、感覚的に。
その積み重ねでその子の観る世界は形成されていくんじゃなかろうかと、これまで学んできたことから考えてます。
この子は何にもチャレンジしない子なの。
この子は自分の意見を言えない子なの。
この子はやりたいことが分からないの。
もっとやったらいいのに。
もっと言ったらいいのに。
これはもしかしたら、親である私の振る舞いがそうさせてしまったのかもしれません。
もちろん絶対とは言い切れない。
もしかしたら、と頭に浮かぶだけでも選択が変わるかも、そんな程度です。
声を聴く
安心できる
自然とチャレンジしたくなる
人間とはややこしいけど、とてもシンプルな生き物だと思う。
僕も正解がわからないまま、今でも本当にこれがこの子の未来にとって良き選択なのだろうか。と日々悩んでます。
甘やかしすぎなのでは?しつけも大事!
行ったり来たり。
商店街で泣き叫ぶ子を、お母さんが聞こえないフリして歩いてる姿をみて、こんなふうに聞こえてきた。でも僕にはどうしようもなかった。
なぜなら、子へ愛を伝えてあげられるのは親だけだから。
と、書きながら、早よ帰らねば、と我に帰るのでした。