石巻 再生へ漕ぎ出そう

 土井喜美夫市長らと異なる行政手法が行われ。1億円以上の事業関係予算はすべて亀山市長に伝えるように指示された。関係スタッフは従った。ジャーナリスト相澤雄一郎は青木和夫市長時代の1980年に河北新報石巻総局長になって「石巻かほく」を創刊した。私は自分の「目、耳。足」で取材して「おかしいことはおかしい」と書くことをモットーにしてきた。私は地方紙の新聞記者だ。赴任先の発展にお手伝いする考えで記事を書いて来た。一兆二千億円の復旧復興費が入ってきた。「多くのカネが入ると人間はおかしくなる」。
 私は「石巻かほく」社長後、ラジオ石巻社長を9年間-引き受けた。黒須光男市議の呼び掛けで発足したFM放送だが中立的なラジオでないため郵政省東北総合通信局から改善望されていた。黒須さん所有株300株を三陸新報社で購入。黒須さんに去ってもらった。株主を100人に増やし「オール市民ラジオ」にした。大地震の発生が予測されており、亀山市長に老朽化した防災行政無線施設の改修を要望した。亀山市長は「30億円の合併特例債がある」「いつできるのですか」 亀山市長は支持派の市議に相談、3,000万円で市役所周辺に無線装置を配備した。間もなく大津波が来て無線装置はすべて流失した。土井喜美夫市長は「津波が来たらラジオで報道するでしょう」。私は「市民の財産、命を守るのは市長の役目でしょう」と言った。土井市長夫妻は津波で亡くなった。私は仙台市内の葬儀場で東京に運んで火葬する土井夫妻を見送った。内海英男建設大臣の秘書をやり再起を期していた土井さんは残念だったろう。
ラジオ石巻は400万円で無線放送装置機付機付き小型自動車を購入した。地震発生した時、ラジオ石巻には津波は来なかった。無線放送機は市役所4階に移転して災害情報を放送していた。亀山市長はラジオ石巻の小中校に避難した市民に「頑張ってください」
と呼び掛けた。石巻市長選挙は平成29年4月23日に行われ亀山紘、阿部和芳、黒須光男、青木満里恵の4人が立候補した。選挙後の一カ月後の平成29年5月、市長室に訪れた知人に亀山市長は「2021年4月に完成予定の文化センターを花道に退任したい」と語った。この退任記事に「早過ぎる」という批判が上がった。あとは4年間の任期をきちんとやってから言うことだろう。
 亀山市長は新蛇田復興公営住宅工事で業者の大和ハウス工業に工事費を3億4千万円上乗せして支払ったことで黒須市議から背任で告発された。「事業者の大和ハウス工業社長に3億4千万円を返還命令せよ」という告発だ。大震災の被災地だが2021年4月で退任する市長がこのような事件を抱えている自治体がどうして起きるのか、「政争の町」の市議会も再生が必要だ。


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