石巻 再生へ漕ぎ出そう
2020年 6月
ジャーナリスト 相澤 雄一郎
私は1980年(昭和55年)4月、河北新報石巻総局長に就任、石巻圏域1市9町をエリアとする地域新聞「石巻かほく」創刊の現地責任者となった。秋田高校から東北大学文学部社会学科を卒業、1958年(昭和33年)河北新報記者になり、東北各地、大学紛争、教育関係、東京支社編集部、旧ソ連、米国、台湾などで取材した。自分の「目・耳・足」で取材、「おかしいことはおかしい」と書くことをモットーにしてきた。石巻に赴任したのは45歳。女川原発1号機建設を始めたころでマイカー各地を回った。「石巻かほく」の新聞づくりは楽しかった。石巻は水産が主産業、江戸の米の6割は北上川からの千石船で運んだ。歴史、文化も多彩。「幻の港」と言われた野蒜築港が明治時代にできていたらどうなっていたのだろうか。4年間勤務した。河北新報が日和山にある川村孫兵衛の銅像を建立したのも思い出だ。本社に戻って報道部長、編集局長、編集担当常務取締役。「石巻かほく」経営の三陸河北新報社長6年間。FMラジオ石巻社長を9年近くやって「オール市民ラジオ」にした。
2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災大震災に襲われ、石巻地域は最大の被災地となった。大川小の児童74人が津波で亡くなる惨事が発生した。私は大震災発生前の2月に社長を退任したので仙台の自宅にいた。マスコミ人生60年のうち30年は石巻と関わってきた。「なぜ、大川小学校だけが悲惨な事態なったのか」。「復旧復興はどうなっていくのか」。私は「病める『海のまち』・闇」と「がんからの脱出・マスコミ人生60年」という2冊の本を出版した。1934年(昭和9年)9月9日生まれ。満85歳。がんは私の体から去った。フリージャーナリストになったが、伝えておきたいことがいろいろある。ブログという便利な伝達手段を使ってみることにした。「石巻再生」には市民の力が欲しい。「相澤ブログ」を発信するが、やはり内容だろう。責任は重い。
「相澤ブログ」の概要
「ジャーナリスト相澤雄一郎ブログ」を2020年6月から発信します。パソコンを使って読んで下さい。コピー用紙で伝える場合もあります。スローガンは「石巻 再生へ漕ぎ出そう」です。2020年は東日本大震災から復興10年です。私は河北新報の新聞記者がスタート。自分の「目・耳・足」で取材し、「おかしいことはおかしい」と書いてきました。同時に地域の発展にお役に立つ新聞記者であるようにしてきたつもりです。60年のマスコミ人生で74人の児童が大津波で亡くなったことは看過できません。ご意見などお寄せ下さい。
相澤雄一郎ブログの概要を紹介します。スタートしたばかりですので索引手続きが面倒かもしれません。改善していきますのでご寛容下さい。
内容概要は以下の4項目ですが、随時、書いていきます。
⓵大川小惨事19遺族23児童から提起された23億円の国家賠償請求訴訟について仙台高裁は平成30年4月26日、14億3,600万円の判決。宮城県、石巻市は上告したが、令和元年10月10日、最高裁は上告棄却。延滞遅延金、弁護士費用を含め20億5、600万円の賠償金が確定した。
宮城県は『最高裁判例』を持ち出して「賠償金は学校設置者の石巻市が支払う」「県は立て替え払いする」「石巻市は10年間で県に返済する」ことが県議会・石巻市議会の承認を経て確定した。『最高裁判例』とは何か。柏葉校長を任命した県教委に責任はないのか。勤務状態、経歴などを知っていたのか。
⓶惨事発生後に文科省、県教委、市教委、石巻市は「大川小事故検証委員会」を設置してなぜ、74児童、9人の教員が犠牲になったのか。
「法律上、行政上のことは所掌にしない」という設置要綱を設定した。遺族には伝えていない。「調査は文科省、県教委が指導監視する」としている。校長という最高責任者の実態を最初から調査しないというのだ。石巻市内には43小学校がある。校庭に避難して亡くなった小学校は大川小1校だけだ。柏葉校長は勤務2年目から70㌔離れた大崎教育事務所管内の自宅から片道2時間かけてマイカー通勤した。無責任で異常な写真趣味の教員だ。
⓷村井宮城県知事は20億5,600万円の国家賠償金を学校設置者の石巻市が支払い、県が立て替え払いする。石巻市が10年間で2億円ずつ返済するという協定書を締結した。令和元年10月17日、県議会全員協議会を開催して各会派代表者の意見を聞いた。「最高裁判例」を持ち出す知事に県にも責任がある。何らかの方法があるのではないか、という意見が大勢だったが、押し切った形になった。私は議事録を入手して読んだ。遺族が「国家賠償請求訴訟」という「国家」を相手に訴訟提起したことを村井知事は納得できなかったのではないか。私は30歳代前半、県教委を担当、教委人事、教育企画、組合関係などを取材した。教育界には独特な事情がある。石巻市教育界にもある。なぜ石巻市が「20億円の借金」を背負うことになったのか。県には責任がないのか。
④東日本大震災最大の被災地石巻市には1兆2千億円の復旧復興費が国から交付された。浅野亨石巻商工会議所会頭が亀山紘石巻市長の参謀役になり、 復興事業に関連する疑惑がいくつか持ち上がった。復興公営住宅建設費をめぐって「3億4千万円上乗せ問題」で石巻市議会では3年間、議論が交わされた。震災がれき処分で青年会議所理事長が逮捕された事件もあった。