ある、絵描きの人
ある夜、あるアーティストの方の紹介で
絵描きの人に出会った。
その方から、絵を教えてあげるよと、
とある喫茶店で絵を見ていただいた。
トーンやラインが良くないことや、
書き方が遅いことを指摘された。
絵描きの人は、
そう言いながら、絵を描いていた筆線は素早く
均質なラインが描かれていた。
「似ていないけど、絵になったから良し」
絵の良し悪しのことについては
「どこまで描いて、どこまで描かないかの線引きの感覚が大事」
という、書き手の留めの部分を指摘される。
また先生からは、
「沢山の絵を見て、沢山の絵を描かなきゃダメです」
「モノトーンを勉強するには、モノクロコピーにした用紙の裏を鉛筆でこすり、紙へアウトラインを写しトーンを学んでください。」
「どこをとっても、絵になる、決まっている事が大事です」
そんな先生は、絵のことや学校の勉強のことばかりをされていたようで
将来の社会人になることを悩んでいるようでしたが
アルバイトを様々こなし、興味本位でチャレンジをしているようで
何も不安もないではないかと考えるのですが
よくよく聞いてみると、「アーティストとして名を残したい」という
強い想いがあるようでした。
残念ながら、私はアーティストでもないし、
絵描きの人のように早くもない人間なので
悩みについて聞く耳しかなく
いろいろな美術や芸術などの話や教えに対して、
好きなものをあげることしか出来なくて
意識と身体が分離しだしました。
そんな分離して融解しながら眺めて見ると
「イメージと身体性」と「審美眼」という絵描きの人の持つ才能と
神様にも似た、「一本の時間の中に流れる強さ」を描きたいという事が
螺旋の渦の中心を描くかのように、
全世界を覆う絵を心に持っている事を知りました。
動物や放浪者などへの施しを行う傍ら、そのような視点を持つ絵描きの人。
数年前の海外で活動するアーティストと同じく、
日本では息苦しく、数年後には、世界で活動している人なんだろうと思わせる方でした。