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ホタルの化身。SNSでの訴え

世界は変わってしまった。しかしある一面において、かえって良かったのかもしれないと思うこともある。

私の住んでいる街は海こそないものの、大きな川が中心に流れ、北には山が望めるいわゆる地方都市といわれる所だ。
夏の時期には、全国的にも有名な花火大会が大々的に行われ、多くの人で賑わう。盛大な花火自体は見ていて綺麗なので好きだが、あの賑わい、人混みには辟易している。祭り事のある日に限って、大抵どこからともなく、とんでもない輩が現れて街の治安が悪くなる。私は遠くの田んぼの畦道から花火を見る。

ある時、新聞の地方欄か何かで、山の方面でホタルを鑑賞出来る小さなイベントがあることを見かける。多少距離はあるが、車でなんとか行ける場所だ。その頃写真撮影に凝っていたので、もしかしたらネットで見かけるような、たくさんのホタルが光る幻想的な写真を撮れるのではないか? という期待があった。夏の花火に変わる恒例行事にしたいと思い、カメラを携え訪れる。

季節は6月の梅雨入りするかどうかという時期で、見られる期間は短い。また一日の中でもホタルが現れるピークの時間は1時間ほどだという。しかしイベント料金は数百円の駐車場代程度でよく、場所も山の麓(ふもと)なので、冷気で夏の暑い気候を避けて涼むことが出来る。ホタルを保全している場所は、駐車場からだいぶ離れた場所にあり、そこまで徒歩でいく。

訪れた時は、その年、あるいはその日の気候や温度などの関係か、それともそもそも個体数が少なかったのか、驚くような数のホタルは見られなかったが、それでもじっと粘って待っていると時たま緑色に光るホタルと遭遇した。ホタルはどういうわけか警戒心が薄く、うっかり寄ってきて人の体に止まったりする。

地味に告知されている、小さなイベントだが、訪れている人は多かった。どういうわけか、スピーカーから音楽が流れている。イベント関係者のブログなど読むと、なんでも音楽を流すと、反応してホタルが舞うのだそうだ。しかし音楽はゆったりしていてそこまでうるさいわけでもない。街灯やライトなどはなく、ほぼ暗闇の会場なので、若干不安な気持ちになるのだが、それが中和される効果もある。この落ち着いた雰囲気がすっかり気に入ってしまった。写真はテクニックが伴わなくて、真っ黒な画像しか写せなかったけれど。

翌年も楽しみに出かけて、わざわざ仕事終わりのタイミングで見に行ったりするほど気に入ったイベントとなった。

しかし、世界は変わってしまった。人が集まり、密になるようなイベントの中止や自粛。このイベントとて例外ではない。その次の年は他のイベント同様、中止となった。

そのイベント中止の知らせは残念だが、見られないものは仕方ない。そのことと関連があるのだが、とても驚いたことがある。その地区の環境保全の活動か何かをしている人だったかと思うが、ホタルのために今後イベントは一切中止をすべきだという投稿をSNSでしているのを見かけた。はじめこの人は何を言っているのか? と怒りすら感じた。

なぜなのか疑問に思い先のブログ記事やSNSの投稿の詳細を追ってみた。すると参加者の中にマナーが悪い人が少なからずいて、環境を荒らしたりする人も中にはいるようだ。そもそも山に何台もの車で乗り付ける事自体ホタルにとっては良くないらしい。その中止を訴えていた人は完全にホタルの立場、環境の側からの立場の発言だった。もしかしたら苦しさを訴えるホタルの化身なのかも知れない。

ホタルを見られなくなるのは残念で寂しいが、見世物にならず、おかしなストレスも与えられることなく、ホタルとしての本来の生を全う出来るのであれば、それに越したことはないし、むしろそうして欲しい。なんでもホタルが光るのは求愛のために出している信号という説もあるらしい。邪魔するような無粋はしたくはない。

春の温かい気候が終わり、だんだん暑くなり湿気を帯びてくる季節。人間の脅威に怯えることもなく、暗闇の森の中を微かな光を点滅しながらのびのびと飛び回るホタルの事を思う。目を閉じた闇の中にしんとする山の麓の肌寒い静寂が訪れる。手のひらのうえで人工的な緑色の蛍光色の光を放つホタルが、ふわっと飛び立っていくのが見える。

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