「生きてるって感じ」

「芝居やってる時だけ生きてるって感じがする」

イタく聞こえるかもしれないけど、そう思う。ちょっと誇張もあるかも。いやでもほんとに。

芝居中は相手の話を聞き、周りの雰囲気や起こっていることに全神経を集中させ、情報を得ようとする。それにプラスして、観客に見えやすい立ち位置であったり次の展開に備えた助走、その場のテンポなんかを考えたりもする。でも板の上ではそんなことは一切意識することなく、日常通りの思考と身体の状態でいる。芝居だからといって人間でなくなることがあってはいけない。観客は頭もいいしセンスもあるから、役者の慢心、油断、自己顕示欲、そういう下等なものは全て見透かされてしまう。だから何も用意せず、その場で生まれた感情だけを頼りにするしかない。“ただそこに居る”ことの難しさですね。

ありがたいことに映像と違って舞台は何度も何度も稽古をさせてもらえるから、稽古を重ねれば重ねるだけ良くも悪くもいろんなことがスムーズになっていく。慣れていくというか。最初に台本を読んだ時に引っかかったものに引っかからなくなってしまっては、初めて観る観客とその感覚を共有できなくなってしまうので、その部分の新鮮さであったり、システムは稽古を重ねても手放しちゃいけないところです。

違う。こんな役者論めいたことを語りたかったんじゃない。そんな、酒飲みながら若い役者相手に役者とは、芝居とは、みたいなことをグダグダ語ったり説教したりするような役者にだけは絶対なりたくないと思った27才の冬。あと、その場にいない役者の悪口で盛り上がる酒席にも居合わせたくない(演出家の悪口は可・笑)

話は逸れ続けていく。芝居してる時に生きてるって感じがするっていうけど、生きるのは楽しいし素晴らしいけど同時に苦しいわけで、それは芝居もやっぱりそう。神経や感覚を研ぎ澄ませてるだけあって、普段以上にいろんなことが気になったりして繊細になってしまう。ただでさえHSP気味だっていうのに。

昔は1つ公演がある度に、死のうと思うことが毎回だった。それだけ自分の下手さ、不甲斐なさ、愚鈍さを突きつけられていた。こう書くと今は克服したかのように聞こえるけどそんなことは全然なくて、毎回毎回、なんなら毎日のように、もうやめようと思う。いろんな理由がある。相変わらずの自分の不甲斐なさもそうだし、若くてセンスのある役者が出てくるともう自分の居場所なんかは無いのかもしれないと錯覚してしまう。チケットが売れないと自分は誰からも必要とされてないんだと、すぐネガティブの沼に足を取られる。

実際はほとんどが自分の負の思い込みで、自分には自分にしか出来ないことがある。自分の使命、役割を把握し、その座組にその作品に貢献するのとが役者の喜びなんじゃないかなと思います。

過去の自分がしてきたことは、良くも悪くも今の自分にはね返ってくる。それは一般社会でも芝居の世界でも同じで、おかしなことをする役ばかりやっているとやがておかしな役ばかりが来ることになりがちです。それを武器と認識し、その地盤があるからこそ新しいことにもチャレンジできる、そんなマインドであたしは行きたい。

自分のやりたいことが何なのかわからない人も多い世の中で、金にならなくてもやりたいことが見つけられたことはほんとにラッキーなことだと昔から思います。でもそれで終わりじゃないはず。維持や停滞なんてのは真綿で首を絞めるようなものです。

『天国と地獄』の訳である『HIGH AND LOW』。シンプルな単語でわかりやすく本質をついてて良いなぁと思います。トイレに行きたいので今日はこの辺で。

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