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わたしの地獄、あなたの地獄
風邪をひいてずっと具合が悪かった。喉の違和感に始まり、微熱、咳、痰、鼻水、だるさといった典型的な風邪症状に見舞われ、いくつかの予定をキャンセルし、いくつかの予定はキャンセルできずに遂行し、いくつか新しく用事もできたが、基本的には家で静養していた。
病は気から、と云うけれど、逆もまた然りで身体が病んでいると気も病んでくる。やることなく布団で横になっているとどうしてもスマホをいじってはSNSを眺めたりしてしまう。選挙のこと、能登のこと、在日外国人のはたらく乱暴狼藉のこと、LUUPのこと、パレスチナのこと。世界には良いことなんか何ひとつないんじゃないかと錯覚すらしてしまうが、これはあくまで私のアカウントのTL。世界ではない。世界の一側面ではあるかもしれないけど、木だけ見ても森のことが分かるわけじゃない。
役者仲間の活動報告ツイートやもっと有名な俳優が素晴らしい映画に関わったなんて記事を見て、自分だけが取り残されていく感覚に陥る。世界は動いている。
そうした世界の動きにブレーキがかかった、コロナ禍のステイホーム期間は自分にとって春だった、天国だった。それまでの目まぐるしい物質主義や資本主義経済、外に出ましょう人と交わりましょうお金を使いましょう流行に乗り遅れないようにしましょうといった喧騒とは真逆の、人と会わないようにしましょう、自分と向き合い自分だけの楽しみ方を見つけましょうという価値観が正しいと世の中に広まった。本当に過ごしやすかった。
同業者だけでなく長く続く個人店、中小規模の会社が路頭に迷い、中には廃業したところも多い。その側面に関しては一つも礼賛するものではないし、コロナ禍もう一回!なんて思うことはもちろんない。ただあの非日常、終末感が好きだった。山にでもこもって霞を食って生きて行った方がいいのかもしれない俺のような人間は。
「人には人の地獄がある」
若くて容姿にも恵まれ、一定の成功も収めたとある芸能人の腕に無数のリスカ跡が見える画像に対して、これだけ恵まれてんのに何が辛いんだみたいなコメントが寄せられるのを見た。
あなたが見ているのはその人の一面であって、その人が本当に直面していること、感じていることはその人にしか知り得ない。意外性を感じるのであれば、それは隣の芝生が青く見えているだけ。分かりたいと思うことは自由だけど、表面に出てくることなんてほんの一部で、人間の内側にはもっともっと多くの感情や情報が渦巻いているので…分かった気になんてなれないし、決めつけなんてしたくもない。されたくもない。
よその地獄の声なんか聞かなくていい、という台詞を聞いた。溶け合うなんて夢のまた夢だ。それでも誰かの救いに一瞬でもなれたら、なんて気持ちはなくならない。