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なぜ魚屋を継いだのか

私は東京からUターンし、2020年1月、家業の「株式会社おのざき」を承継すべく入社しました。1923年、小さな鮮魚店としていわき市平鎌田町にて創業し、おかげさまで今年100周年を迎えました。現在、県内最大級の魚屋として、鮮魚店4店舗と飲食店2店舗に加え、卸売業とEC事業を展開しています。

入社して3年間、経営理念の策定や不採算事業からの撤退、店舗の業務改革、労働環境の整備、全般的なデジタル化、セントラルキッチンの立ち上げ、EC事業の本格化、商品開発、店舗改装など、多岐に渡る活動に取り組んできました。

なぜ私が魚屋という職業を選んだのか。理由は大きく2つあります。

1つは、会社に恩返ししたかったからです。大学卒業後、私は都内で働いていました。その後、いわき市小名浜で「カレーと台湾スイーツの店・海街喫茶浪漫」を開業すべく、地元に戻りました。地方が大手資本のチェーン店で溢れ、地元の個人店が減っていくと、街の個性が失われ、均質化につながります。街の個性がなくなると、若者はどんどん離れていきます。そこに歯止めをかけるため、自分の店を開業することにしたのです。なんとか物件を見つけて内装工事を進めている時、父親から「会社に入ってくれ」と真剣な顔で頼まれました。当時、会社は苦境の渦中にありました。青天の霹靂でしたが、100人以上もいる社員を路頭に迷わせるわけにはいきません。社員のみなさんが一生懸命働いてきてくれたからこそ、私は不自由なく大学まで進学することができました。使命感に駆られ、家業の魚屋に入社することを決意しました。

2つめは、ここ福島の地が特別な文脈を帯びているからです。私がカレーと台湾スイーツのお店を開業しようと考えたのは、お店で形成したコミュニティを通じて自分軸をもった若者を増やし、いわきを盛り上げたかったからです。私は大学時代に「個人商店の商機」という論文を書きあげてしまうくらい、「地方活性化には個人商店が欠かせない」と主張してきました。しかし、開業準備を進める中で、心の奥底に違和感が生まれてきたのです。なぜ自分は福島でカレー屋をやるのか。カレー屋なんて、茨城県でも千葉県でもどこでもできます。

福島という地は、2011年3月の東日本大震災によって甚大な被害を受けた場所です。原発の廃炉作業はこれから何十年と続くでしょう。福島で起こった前例のない事故の”その後”に世界が今後も注目し続けます。そして、水産業界というのは、原発事故によって直接的に大きな傷を負いました。だからこそ、世界が注目する福島で、長期化する影響を被ることになった水産業の発展のために尽力することは、希少性の高い格好の役回りなのです。私に与えられた特権だとも思っています。

以上2つの理由から、私は魚屋の門を叩きました。次の100年を見据え、福島から持続可能な水産業を目指していきます。

(いわき市平、海産物専門「おのざき」4代目)

※この記事は、福島民報「民報サロン」(2023年5月8日)に寄稿したものです。


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