色々と遠回りした人生が、実は最短距離だと思う Lunch#62 横川さん
高校時代はかなりの不良だったという情報だけ教えてもらい、会いに行った横川さんはとても笑顔が素敵な方でした。
そして、その笑顔の奥には、人生の豊かな遠回りがありました。
そんな横川さんのポイントは、こちら。
・職人はラストチョイスではない
・志望動機が書けないコンプレックス
・散々、遠回りした人生が最短
まずは、職人はラストチョイスではない、です。
足立区出身の横川さんの小さな頃の夢は調理士でした。
そこまで裕福でもない家庭で育った横川さんでしたが、5歳のクリスマスの時に、ミュージカルに連れて行ってもらいました。
クリスマスの夜に、ミュージカルを観たあとは、北千住駅前のイタリアンレストランに家族で訪れたのでした。
そう入ってもクリスマスのディナータイムは、レストランもかなりの混雑で、まだ5歳の横川さんは疲れてもう帰りたい、眠いし寒いし、なんて思っていました。
それでも、店の中から漂ってくるいい匂いにつられながら我慢して待っていました。そして、お店に入った時には、そのうっとりするイタリアンの匂いの虜になり、腹ペコの横川さんのテーブルに運ばれてくるピザ・チーズフォンデュの美味しさが、横川さんの心を奪いました。
こんな美味しいものが世の中にあるんだ、そして、この美味しいものが、こんな笑顔にしてくれるんだ、と。
そして、自分自身も美味しいものを作りたいと思うようになるのでした。
その後、高校進学の時には、農業系の高校の食品科に進学します。
したのですが、当時の横川さんはかなりの素行不良で、1年生の終わりには退学を言い渡されます。
その時に、横川さんは自分の人生が終わったと思い、もうやり直しがきかないとも考えました。
そしてどうしようか悩んだあげく、親戚に左官屋さんがいることを思い出し、職人になりたいと頼みに行ったのでした。
しかし、その親戚の方は横川さんが職人になることを認めませんでした。
職人はラストチョイスではない、みんなやりたくてやっているんだよ、と。
当たり前のことですが、どこにもいくあてがないからと行って、仕事を求められても、その仕事をしている人には失礼な話だったのでしょう。
途方に暮れていた時に、色々な縁や偶然、つながりがあって、留学という進路もあることを知ります。そこから、横川さんは、この留学をちゃんとものにしないといけない、そう強く思い、オーストラリア留学を決めます。
日本では高校を中退してしまった。つまり、もう正規ルートに戻ることはできない。もし戻るのであれば、この留学でよほどの成果を出さないと戻れるわけがない。
そんな背水の陣で、留学へと挑みました。
次は、志望動機が書けないコンプレックス、です。
オーストラリアに留学した横川さんに与えられた時間は10ヶ月でした。
この10ヶ月でとにかく結果を残さないといけない。
そう考えて、英語を死ぬ気で勉強していきました。
当時、別に英語が特別に得意だったわけでもなく、ほとんどわからない状態からのスタートでした。
そんな中で、横川さんは毎日、成長していないんじゃないかという恐怖と戦いながら、1日1日が終わるのを怯えるほどの追い込み方で、毎日英語に真剣に向き合っていました。
毎日、1日が終わるたびに、昨日の方ができていたんじゃないか、ダメになってるんじゃないか、という恐怖を感じるほどに、自分の時間を英語に注ぎ込み続けて、気づけば英語を十分に使いこなせるほどになったそうです。
その後、英語力を生かそうと、国際系の大学に進学。そのまま英語力を武器に、大学内のオナーズプログラムに参加します。
そのプログラムは、大学の成績上位の学生だけが参加できるもので、横川さんのほかには、コンサルや外資系の会社を志望するような学生が参加していました。
彼らは、自分がどのような会社に行って、どのような仕事をしたいのか、つまり、志望動機を強く持っている人たちでした。そんな同級生に囲まれながら、横川さんも同じようにコンサルや外資系を志望しようとしていたのです。
しかし、それが無理なことに気づきます。
というのも、自分自身に強い志望動機が見当たらなかったのです。
高校を中退してしまい、そのマイナスを取り戻すために、英語力を身につけ、その英語力で、特別なプログラムに参加しているのだけれど、その先のことを考えていなかった自分に気づいてしまったのです。
自分が何をしたいのかを考え抜いた結果、海外の恵まれない環境で暮らす人たちの支援をしたい、という考えが出てきます。
そして、それを実現したくて、国際的なインターンシップ派遣事業のプログラムに参加します。横川さんは、ラオスの政府機関にて、半年間のインターンを経験します。
その時の半年間で横川さんが気づいたことは、自分の力不足でした。インターンとして派遣されながら、専門性がないあまりに、強く価値を発揮することができなかったのだそうです。
そして、海外で活躍するためには、専門性が必要だと気づいたのです。そこから、自分自身に専門性を身につけるために、IT企業に入社をします。
テクノロジーの技術を身につけることが、大切だと考えたからです。
最後は、散々、遠回りした人生が最短、です。
IT企業に入社した横川さんは、主にアプリの分析とマーケティング戦略の提案をしていました。
その中で、SQLやpythonという言語を身につけながら、横川さんの求めていた専門性を高めていきます。
その会社で2年ほど働いた頃に、大学時代からの知り合いに出会います。
もともと、恵まれない環境で苦しんでいる人たちを救いたいという考えを共有していた人でした。
そして、その人から、今だに思いが変わっていないか確認された横川さん。
答えはもちろん、変わっていない、でした。
そこから、今の会社を紹介してもらったのでした。それが、ミドリムシの会社でした。
ミドリムシは、動物と植物両方の栄養素を持っており、さらに、燃料にすることもでき、体にもいい、スーパーフードにもなる。そんなものすごい特徴を持っているらしいです。(詳しくは、株式会社ユーグレナのホームページをご覧ください。)
この会社に入社して、バングラデシュの支援事業など、様々な事業に関わっている横川さんが日々感じているのは、大学時代に掲げていた目標に近づいているというものでした。
そして、それと同時に、まだまだ誰も救えていない、とも感じているそうです。
調理師を目指し、高校中退、職人になろうとする、オーストラリア留学、オナーズプログラム、IT企業入社、そして、現在。
横川さんの歩んできた道は、くねくねと曲がりくねってばかりですが、それでも、その人生を横川さんは充実と表現してくれました。
決して、最短ではないけれど、それでも、実は最短だったとも。いろんな回り道をしながら、それこそが、現在にたどり着く最短だと。
人生の先の読めるはずがないこと、そして色々な失敗や回り道も、きっと未来に、つながっているということを教えてくれました。
2019.7.18 横川さん
表参道にて