将来なりたいものなんて1つもなかった Lunch#77 伊野惠美さん
フリーで活躍している人、会社を経営している人、自分という肩書きで生きている人の幼少期を想像してみてください。
どんなイメージが出てきますか?
小さい頃から好きなものがあって、それに没頭してそれが大好きで、そのまま仕事になっちゃいました。みたいな人をイメージする人が多いかもしれません。
でも、意外と?そんな人って少なくて。
今回の伊野さんなんてやりたいことがなさすぎて、今もゴールが無いっていうくらい。それでも、進んだ先にあったスタイリングやイメージのコンサルをされている方です。
夢がない伊野さんが、コンサルとして独立するまでのポイントはこちら。
・動いた方が早くないですか?
・アルバイトでお願いします
・不足を持って充足は得られない
まずは、動いた方が早くないですか?です
伊野さんはとにかく体感で覚えるタイプで、言葉で説明されるよりも、やってしまった方が早いと考えています。
実際に体験してみることが最短の方法だと学んだ。そんな人です。
そんな伊野さんは小学生の時には、もう動き回っていました。忙しすぎて、1日の終わりの寝る前に充足感を覚えるほど。
その日1日頑張って、寝る前に、ふっと息をつく時が幸せ。そんな感覚を小学生の時に知ったそうです。
というのも、週7で習い事をしていたと。
学習塾、エレクトーン、そろばん、習字、水泳、ガールスカウトの6つのどれかに毎日通っていたそうです。
これほどに忙しいものだから、自分が何をやりたいかって考える余裕も暇もなく、ただ寝る前のその一瞬の余白を楽しんでいたという、会社勤めのような小学生。
そんなものだから、将来の夢を発表するときも、何も思いつかずお母さんに相談したそうです。将来の夢、何がいいかな?って。
それに対して、お母さんは、自分の夢だった学校の先生と答えます。それ以来、伊野さんの将来の夢は、学校の先生になります。ただ、卒園式や文集などの回答として用意していただ夢でしかなかったので、本当に将来の夢になることはありませんでした。
その後、中学、高校と特筆するような将来の夢を持たないまま学校生活を楽しんでいた伊野さんでしたが、高校3年生の進路面談の時に、漠然としながらも
「空港で働きたい」
と、当時わずかながら憧れを抱いていたことをサラッと発言してみます。突然、そんなことを言い出したものだから、その提案は先生とお母さんにあっさりと流されてしまいます。
それに対して、伊野さん自身もそこまで強く思っていたわけではないので、そっかぁ、というくらいであっさりと引き下がります。
そうなると、もう伊野さんには進学したい大学もやりたいことも特にありません。両親と先生の勧めで、進学先は現状の成績から推薦でいけそうなところを選ぶことになりました。
進学先は、経営やマネージメントについての短大でした。
そこで、ビジネスに目覚めてバリバリと勉強をして将来の夢に出会ったなんてことはなく、黒板と教科書を前に教室で学んでいても、内容も入ってこないし、楽しくないなと思った伊野さんは、外へ飛び出します。
飲食店・カラオケ店のアルバイトで働きながら、その時の実体験を論文にまとめることにしたのです。動いた方が早い、実体験の方が強い、という精神ですね。
その現場で数字の流れや経営マネージメントを見ながら、さらに消費者としてもそのお店を利用して、お店側と消費者側、両方の視点からの考察をまとめたそうです。
そんなことをしていると、もちろん学校にいる時間よりもアルバイトにいる時間の方が長くなってしまい、学校の先生に指摘されたそうです。
学校に来なくて大丈夫?って。
それに対して、伊野さんはさらりと。
「でも、実際にやったほうが早いです。」って。
頭で考えない、感じたことを実行に移す。そして、それをちゃんと結果に残す。(大学では論文という形で)しかも、それを堂々と宣言する。
清々しくて、かっこいいですね。
次は、アルバイトでお願いします、です。
実体験をもとに書いた論文を提出して卒業した伊野さんですが、そこからビジネスの世界に入るわけではなく、就職もせずになんとなく生活していきます。
アルバイトでもある程度の収入があったので、東京で自由にそれなりに満足した生活をしていた訳ですが、そんな生活を半年ほど続けた頃に、状況を見かねた家族から、帰ってきたら?と声がかかりました。
周りの友達はみんな就職をして忙しくなっていて、時間も合わなくなって、なんとなくやることもなく、時間を持て余し気味だった伊野さんは、ふらりと帰ることにしたのでした。
そして、地元で、祖父の代から続いている会社になんとなく入り、仕事をすることになったのです。
ですが、特に必要とされているわけでもなく、ポジションを与えられたわけでもなく、伊野さん自身もさほど仕事に興味がわかず、という何もない状態だったために、ただ、会社でぼんやりと過ごす日々が続くだけでした。
東京でぼんやりと過ごすか、実家でぼんやりと過ごすか。それだけの違いだったのでした。
そうすると、そんな状況を見かねた家族が今度は、アルバイトを伊野さんに勧めます。地元の大型モールに隣接するアパレルのお店がずっとアルバイト募集しているから、行ってみたら?と。
オシャレやファッションは好きだったけれど、知識も経験もなかった伊野さんですが、落ちてもともと、くらいの軽い気持ちで、行ってみると。
面接の瞬間に採用が決定して、そのまま社員として採用されそうになります。
ただ、できるかどうかもわからなかったし、やる気がそこまであったわけでもなく。伊野さんは、社員ではなく、アルバイトでお願いします。とみすみす社員のポジションを断るのでした。
ちなみに、知識も経験も全くなかった伊野さんがなぜその場で社員採用されそうになったのか。これは再現性の全くないもので、運と縁としか言いようがないものでした。
当時の店長さんがとても感覚的な方で、面接といっても、伊野さんに立ってもらって、その立ち姿と空気感を見る、さらに兄弟構成と血液型を聞いて、それで終わり。そんな採用だったそうです。
そんな感覚的な採用で受け入れてもらえたくらいですから、伊野さんにとってもこの時の店長はとても面白く興味の惹かれる存在となり、その人の仕事の仕方を見よう見まねで学びながら、どんどんと実績を叩き出していきます。
そして、気づけば、最初に断った社員になっていたのでした。
最後は、不足を持って充足は得られない、です。
社員になってからは、どんどんと担当範囲を広げていきます。そして、このモールに在籍している間、1度も個人予算を落とすことがなかったそうです。つまり、毎月必ず予算を達成し続けたアパレルの店員さん。
こうなってくると、伊野さんも仕事がどんどんと楽しくなってきて、採用してくれた店長は、こんなこともできるよ、こんな方法もあるよ、考え方もあるよ、と伊野さんにどんどんとやり方、考え方を伝えていきます。
それを学べば学ぶほど、楽しくなった伊野さんは、ついには、店長に向かって、私も店長になります、と宣言します。
ちなみに、この企業は根っからの男性社会気質で、大型店の店長は基本的に40−50代の男性であることが通例でした。
そんな社風だったからこそ、アルバイトで始まり短大卒だった伊野さんを店長にすることは、人事としてありえるはずがない発想なのでした。
しかし、伊野さんはその宣言からおよそ2年後の26歳で、400坪をかかえる店舗の店長に、本当になってしまうのでした。
というのも、この店舗が、数年業績の難しいところで、当時の店長が責任を取り、異動。そのあとは、本社から実績のある男性の店長がやってくるのです。(想像できるかもしれませんが、かなりのロジックタイプの人たちが)そして、どの店長のやり方も結局はうまくいかず。
とうとう、立候補していた伊野さんに白羽の矢が立ったのでした。ただし、伊野さんのような経歴の人を店長にすることは、会社にとってかなりの英断だったので、期間限定という条件付きで。
40代、50代の男性ベテラン社員が居並ぶ中で、20代の女性が抜擢されるという事件。しかも与えられたのはたった2年。
そのあたえられた時間の中で、伊野さんがやったこと。
それは、就任の1ヶ月目で、さらりと全体予算の達成でした。
様々に歴代の責任者が代わる代わるあの手この手で、やってもできなかったことを、さらっと1ヶ月でやってしまったのでした。
一体、どんな魔法を使ったのか。答えはとてもシンプルでした。伊野さんがお客さんの時にされたら嬉しい接客、お店を作っただけです。
スタッフが楽しそうにしている、お客様に無理やり売ろうとしない、雑談までもコミュニケーションとして楽しむ。そんなお店を離れれば当たり前のことを、当たり前に導入しただけでした。
そこから、このお店の業績を安定させて、さらに、その後には、そこで出会った1つのブランドの世界観に共鳴し、専門性を磨きたいと、東京に本社のある大手メーカーに転職。
そこでも圧倒的なスピードで成績を残し、ブランドマネージャーを経て、独立したのでした。
伊野さんは、気付いたときからずっと、その場にあること、また与えられたことを全力にやってきただけでした。そして、その間、一度も遠い夢や目標を掲げることがなかったのです。
ただ、今に集中しているだけ。だから、条件を与えられて店長に就任した時も、2年後までになんて考えず、今、この瞬間に集中したのでした。
そして、それだからこそ、伊野さんは人生にはっきりとした不足を感じていないのかもしれません。
計画や将来の夢というものは、その時点で今が不足していることを認めてしまうことになる(可能性がある)のですね。でも、伊野さんの場合はいま目の前のことを第一として考えてきたので、不足も何もなくて、ただ、あるものでベストを出していこう、って考え方。
そうすると、不足が消えていき、気づけば充足するのかもしれません。
そんな伊野さんに教えてもらった言葉が、「不足をもって充足は得られない」というものでした。
例えば、今疲れていると言って、周りにわがままに振る舞ったり、イライラをぶつけたところで、疲れという不足は解消されず、充足も得ることはできません。
それだけでなく、自分にも相手にも不足感が、ただただ増えていってしまうだけ。
あーしたい、こーしたい、そうなったら、ではなくて、今する。今に全力を注ぐ。そうすれば、不足を感じ取ることもなく、ただただ充足していくだけ。そこにあるもの、目の前にあるものに集中するだけという考え方。
そんな人生に対しての大切な考え方を教えてもらいました。
2019.12.5 外苑前にて
伊野惠美さん