「普通の生活」がどれほど幸せかを、真剣に語ってくれた Lunch#67 佐藤絵里奈さん
見た目は普通の女子大生でも、その奥に抱えている経験値と思考の深さと、そしてそこからくる明るさは、並大抵の強さと優しさではありませんでした。
そんな佐藤さんのポイントは、こちら。
・ファッションを装備して、戦う女の子
・生きるとか死ぬとかについて、死ぬほど考えた
・まほうつかいになりたい
まずは、ファッションを装備して、戦う女の子、です。
小さい頃からバレエを習っていた佐藤さん。バレエの優雅で繊細な衣装がとても好きでした。
そこからドレスなどにも興味を持つようになり、気づけば、小学生の頃には、洋服を作りたいと思うようになっていました。
ファッションのキラキラした世界に憧れる佐藤さんの環境は、中学入学とともに一変します。中高一貫の女子校に入学した佐藤さんを待っていたのは、キラキラした女子校生活ではありませんでした。
キラキラとは真逆の、友達がいない中学生活でした。中学の3年間で、誰も佐藤さんに近づいてはくれませんでした。本当に1匹狼のような中学生活。
その時に、佐藤さんが考えていたのが、
「ファッションで仕返しをしよう、こいつらがこんなくだらないことをやっている間に、私はファッションをやろう。」
そう考えて、外の世界なんてあてにならないから、ファッションの世界とだけ向き合っていようと、休み時間には雑誌を読みふけり、さらには、自分で服の分解をしてみたり、ティーシャツを試作してみたり。
そうやってとにかく自分の世界を守り、外の世界と戦い続けていたのでした。
次は、生きるとか死ぬとかについて、死ぬほど考えた、です。
こんな厳しい環境の中でも、佐藤さんが学校に通うことができていたのは、大切な親友3人の存在が大きかったのです。
中学1年生の時からの親友で、佐藤さんが苦しんでいる時も、ずっと隣にいてくれた大切な存在でした。
しかし、その3人の親友のうち、1人がガンに冒されます。そして、その親友は、高校一年生のころに、亡くなってしまいます。
とにかく嫌なことが起こり続ける中学の3年間、そして、その3年間が終わっても、ひとりで戦わなくてはいけない日々が続きました。
姉が自閉症と診断されて学校に行くことができなくなり、さらに祖母が倒れて、介護状態になってしまいます。
自分の学校生活の悩みだけではなく、親友の死、姉の苦しみ、祖母の苦しみ、それをサポートしようとする父と母との苦しみ。
色々な苦しみが、佐藤さんの心の中を占めていきます。
そして、このことを前に、佐藤さんはずっと死ぬとか生きるとかについて、嫌でも考え続けることになるのでした。
姉は、生きるのが大変な人。親友は、生きたくても生きれなかった人。そして、この2人と真逆だったのが、祖母でした。祖母は一命をとりとめたものの、生きるのが辛くて、死にたいとボヤくようになってしまうのです。
そんなおばあちゃんに対して、佐藤さんは、そんなこと言っちゃダメ、生きたくても生きれなかった人がいるんだからと、諭していたそうです。
ですが、そんな自分の発言にも違和感を覚えるようになります。この発言は、親友の思いであって、おばあちゃんの思いでは無い。それを押し付けていいのだろうか、と。
つまり、生も死も、みんなそれぞれのものなのでは無いか、と考え続けます。
こんな複雑なことを考えている佐藤さんにも、受験はやってきてしまいます。高校生が一人で抱えるには、あまりにも大きすぎる問題。
友達がいない、親友を失った、お姉ちゃんが学校に行けない、おばあちゃんが倒れた、このうちのどれか1つだけでも、かなりの負担に違いないのに、その4つ全部を佐藤さんは受け止めながら、受験勉強に向かいます。
そして、受験で心配をかけては行けない、しかも行きたい大学に行くんだ、と。強い思いを持ち続けます。
ですが、体は限界だったようで、10月ころに、突如として眠れなくなります。眠ろうとベッドに入ると、脂汗が止まらなくなり、パニックのような状態になってしまうのです。
そしてその時に、自分は死んでしまうのか、と恐怖を覚えて、母親を頼ります。今抱えている不安をシェアしたのです。とにかく自分が頑張らなきゃ、そう思っていた佐藤さんから弱音を吐いたのは、ほぼ無かったことでした。
この時に、弱音をシェアすることで、少し楽になったのだそうです。
最後は、まほうつかいになりたい、です。
無事に慶応大学のSFCに入学した佐藤さん。佐藤さんがこの大学を選んだのは、水野大二郎という先生の存在でした。彼は、ファッションとテクノロジーを掛け合わせる研究を行なっている方で、この人の研究室に入るためにこの大学を選んだのでした。
でしたが、水野先生は、京都の大学に異動してしまい、研究室も無くなってしまうのだそうです。
その時に、ファッションに対する思いよりも、もっと根本的な自分のやりたいことにフォーカスを当てて考えた時に、佐藤さんが思ったのは、人のためのおもてなしをできるようになりたい、でした。
それが、佐藤さんにとっては、まほうつかいという存在でした。
途方もないほどの苦しい中高生時代を乗り越えて、大学に入った佐藤さんは、普通の生活のありがたさを、思う存分味わっているそうです。
たとえば、電車に乗っている時、朝起きた時、授業を受けている時、友達の横顔を見ている時、そんな当たり前の瞬間に、どうしようもないほどの幸せを感じて泣きそうになるんだそうです。
そして、この何気ない生活の何気ないけれど、とても貴重なこの幸せを支えている、まほうに興味を持つようになったそうです。
言い換えるなら、中学・高校の時に散々苦しい思いをしながらも生きてこれたのは、佐藤さん自身がいろんな人の愛情を受けてきたから。どれだけ苦しくても、周りの人が佐藤さんをずっと支え続けてきてくれたから。
だからこそ、今自分が、幸せな状態、つまり、普通の生活を送れるようになったのは、周りの人のおかげで、そのたくさんいただいた愛情を返したい。
そういう思いを持っているのです。
普通の生活のありがたさ、自分が生きていることへの感謝をこれほどまでに実感を持って語れる人に、私は出会ったことがないかもしれない。
それほどの強い思いを持っているのです。もちろん、その光の奥にある影も含めてちゃんと大切に抱えて生きている。
そんな強さと優しさを持った素敵な人でした。
2019.8.27 佐藤絵里奈さん
横浜にて