やるべきことに打ち込んでいる自分が好き Lunch#85 園部ひろなさん
東京外国語大学の4年生の園部さんは、同級生と少し違います。
この大学の卒業生の多くは、商社や物流、観光業界、さらには外務省というふうに、直接的な海外とのコネクションの強い仕事を志望する人が多いそうです。
そんな中、園部さんは、IT系のベンチャーの内定が決まっています。海外志向の強かった園部さんの行動の原点は、人との出会いでした。そんな園部さんのポイントはこちら。
・バス停のお姉さん
・「なんでもいいから、毎日続けること」
・死ぬまで成長したい
まずは、バス停のお姉さん、です。
園部さんが、海外に興味を持ち始めたのは中学1年生の時でした。
小さい頃は、いわゆる「普通」の女の子。親から言われたことに素直に従って、友達についつい合わせてしまう。そんなどこにでもいる女の子だったそうです。
そんな園部さんにとっての、最初の転機が中学1年生の時の英語の先生でした。
帰国子女だったその先生は、英語がペラペラで、園部さんはその姿に憧れを覚えます。シンプルに、かっこいいなぁ、と。
その憧れが、高校1年生の時に1つの形になります。それが、ニュージーランドへの留学でした。
ほんの3週間だけの海外生活でしたが、ここで更に海外や英語がペラペラということにあこがれを抱く出会いがあったのです。
ニュージーランドではホームステイでの生活となり、学校へはそのホームステイ先からバスに乗って15−20分ほどかけて通っていたそうです。
ニュージーランドへ留学してすぐの頃でした。12月の夏。ある朝、いつものようにバス停でバスを待っていると、日本人の女性に出会ったのです。
年にして、20代半ばくらいのしっかりとした感じの女性。当時高校1年生の園部さんからしたら、10歳以上年上のお姉さん。
その日以来、毎日のように、そのお姉さんとバス停で会い、そのまま同じバスに乗って、通学・通勤時間が二人のおしゃべりの時間となったのでした。
そのお姉さんは航空会社を辞めて、ワーキングホリデーとしてニュージーランドに来ていたのですが、その話をする様子が、園部さんには輝いて見えたそうです。
楽しそうに自分のやりたいことをやっている女性のかっこよさに、感動。
こんなふうに、やりたいことをキラキラとやっている女性になりたいって、思ったのです。
次は、「なんでもいいから、毎日続けること」、です。
中学の時の英語の先生と、もう一人、園部さんに大きな影響を与えた先生がいました。それは高校時代の世界史の先生です。
その先生は、世界史を教科書通り淡々と説明するのではなく、最新の研究や歴史にまつわるエピソード、さらには、おすすめの本まで紹介してくれました。
その先生のおかげで、園部さんは、世界史にとても興味が湧きました。もちろん、もともと持っていた外国の歴史への興味や海外自体への興味は、更に加速していきました。
それから、先生は「アジアの高校生のレベルは非常に高く、英語も話せる人が多い。日本の高校生も驚き、また刺激を受けるだろう」という話もしてくれました。その言葉通り、高校の修学旅行では渡航先がベトナムに。現地の高校生と交流をする機会まで用意されました。
それもこれも、世界の学生の能力の高さに気づいて欲しいという、その先生の強い思いからでした。
園部さん自身も、ベトナムに初めて行った時に、現地の学生が英語がペラペラで、しかもハングリー精神も強く持っていて、自分たちよりも何歩も先に行っていると感じたそうです。
そして、このベトナムでもう1つ園部さんの心を打ったのは、現地で大人気レストランを経営している日本人経営者の話でした。
園部さんは、修学旅行の体験学習でその経営者と話をする機会をもらえました。その時にどうやってここまで成功したのか、と聞いたところ。
「なんでもいいから毎日続けること。それが数年後、大きな差になる。」
当たり前といえば当たり前なのですが、それでも海外で成功している人の言葉は、園部さんの心を強く打ったのでした。
最後は、死ぬまで成長したい、です。
ニュージーランド留学、ベトナムへの修学旅行を通じて、海外への志向が一層強くなった園部さんは東京外国語大学へと進学しました。
グローバルで働くというイメージを現実にするために、6ヶ月のベトナムでのインターンや4ヶ月のオーストラリアでのインターンを経験したのでした。
ベトナムでは、まだ環境が整っていないところで、ビジネスをどうやって作り上げるのか、というかなり泥臭いところから始めたのでした。
一方のオーストラリアでは、現地のプロ野球に関わる仕事に携わりました。
もともと、園部さんは大のプロ野球好きで、プロ野球に関わることも1つの選択肢として考えていました。オーストラリアのウィンターリーグというのは、日本のシーズンオフに開かれるので、日本のプロ野球関係者がシーズンオフのトレーニング場所としてもよく関わるところだったのです。
そういうつながりもあったおかげで、日本のプロ野球関係者とのコネクションも作れたそうです。
そして、日本に帰ってきた園部さんは、ベトナムでのビジネスの立ち上げの経験と、プロ野球関係の仕事の経験を比較してみたのでした。就職活動を始めるにあたって、どういう仕事に就くと自分が楽しいのか。
それこそ、ニュージーランドで出会った女性のようにキラキラしていられるのか。
その時に、より環境が整っていないベンチャーの方が自分は楽しんでいける。そう判断したのです。
それは、とにかくがむしゃらに何かに真剣に取り組んでいる、そんな自分の方が自分らしいと思えたからでした。
とにかく厳しい環境で、圧倒的な成長をする自分。そんな自分が自分らしい。
そう考えてベンチャーへの就職を決めたのでした。
園部さんからは、就職先の会社の話も聞かせてもらったのですが、インターンを経験して本当に素敵な人たちばかりだった、自分にぴったりの環境に出会えた。
そんな想いにあふれた言葉も聞かせてもらえました。インターンや内定者にこうやって言ってもらえる会社はとても幸せだなと、そして、その想いのままに、園部さんががむしゃらに突っ走っていってくれたら、とも感じました。
2020.3.10 園部ひろなさん
調布にて
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