「いいものはいいって言える人間になりなさい。」 Lunch#72 北村紀佳さん
北村さんの経歴は、ざっと並べると、中学卒業、高校中退、専門学校中退、大学卒業、その後、IT系・ゲーム系を数社渡り歩いたのちに、独立・起業。現在は、2社目の会社の代表をされています。
こんなふうに、経歴を並べただけでも面白い北村さんのポイントは、こちら。
・足並みをそろえられない
・いいものはいいって言える
・子どもたちに残したい世界
まずは、足並みをそろえられない、です。
北村さんは、ご自身でサラリーマンが向いていない、となんども言っていました。
ちなみに、北村さん自身、大学を卒業してから、3社サラリーマンとして渡り歩いています。
どの会社も長くとも3年ほどで転職をしており、さらに1社目より2社目、2社目より3社目と少しずつ在籍年数が短くなっていっています。
それの理由を、北村さん自身は、足並みをそろえられないからと教えてくれました。というのも、当たり前ですが、サラリーマンという仕事は、会社の長い(もしくは、短い)歴史や思想、そこに流れている文脈に沿った行動を求められてしまうものです。
それは、ささやかなものもあれば、とても大きな決断を伴うものもあるわけです。その流れにのることが得意でない、ということらしいです。
ただ、北村さん自身、そんな状態が当たり前、別にいい、と開き直っているわけではなくて、転職するときには毎回、今度こそはちゃんと会社の足並みを揃えよう。そう思うのですが。
それでも、だんだんと色々なことを考えているうちに、北村さん自身の考えと会社の考えがどうしても合わなくなってしまうことがあるのです。そうなると、転職をするしかなくなってしまうのです。
そもそも、北村さんの経歴を書いた通り、高校を中退しています。
北村さんが小学生の頃は、お受験のブーム真っ盛りで、北村さんもその波に乗って、中高一貫の進学校に入学します。
とにかくバランスよくちゃんとしっかり勉強をしなさいという偏差値の高い進学校だったのですが、北村さんはその学校の空気が全く合いませんでした。
たとえば、勉強にしても自分が好きな勉強はどんどんとやるのですが、それに対して、面白みを感じられない勉強に関しては興味を示すこともありませんでした。
そのため、成績はいつもデコボコ。学校が求めるなだらかに高水準、とは大きく違いました。
こんな調子で、とても狭い世界のとじ込めっれているような学校生活に馴染めなかった北村さんは、高校1年生の12月までは我慢したのですが、最終的には我慢の限界となってしまい、中退してしまうのです。
次は、いいものはいいって言える、です。
ちなみに、この足並みをそろえられないという北村さんの性格は、ただの反抗期ではなく、それよりも自分を強く信じるところから来ています。
というのも、幼稚園の時、お絵かきの教室に通っていた北村さん。
ある時、絵を赤色に塗りましょうと先生が言ったものに対して、北村さんは、その絵をじっと見て、思いつくのです。
思いついてしまうのです。これ、赤より青の方が綺麗になりそうだ、と。
そこで、でも先生が言っているからなんて、足並みをそろえようなんて考えは北村さんの頭には浮かんできません。
あるのは、この青で塗った絵はきっといい絵だ、と強く信じる心です。
そして、それを塗り終わった絵は、やはりいい絵になったのです。
また、笑い話のような話なのですが、小学校の時の初めての授業参観日の時に、北村さんのお母さんが初めて小学校での北村さんの様子を見る一日。
そんな日に、北村さんは授業時間の後半のほとんど、机の下に落とした消しゴムを探し続けていたそうです。
もうこれって決めたら、その通りに動く。消しゴムを探そうってなればそれを探すし、青色が綺麗だって信じたらそれを実行する。
そんな北村さんを育てたお母さんは、たとえば、青色の時も消しゴムの時も、怒りはしないそうです。
お母さん自身が、茶道や華道、お琴、着物の着付けなど、自分の趣味、つまりは感性をとても大事にされる人でした。
だからこそ、お母さんが北村さんに常に言い続けていたのが、
「いいものをいいって言える人になりなさい」です。
この言葉はもちろん、誰かがいいっていうからいいでもなく、これしかできないからこれでいい、でもなく、
これがいいからいい、って言える人のことだと思います。
つまり、先生が赤と言って、それに反抗して青に塗るのも、しぶしぶそれに従って赤に塗るのも違う。自分が本当に何色がいいだろう、と考えて塗る。それがたとえ青だろうと赤だろうと。
そんな教育を受けた北村さんです。
そして、この教育は、もしかしたら、今の会社の方針にも反映されているのかもしれません。
北村さんの会社は、スマートフォンゲームの制作・開発をされているのですが、その環境は、ベテラン社員さんから言わせれば、とてつもなくシビアで厳しいとのことです。
どんな風に厳しいのかというと、とても自由で、個人の裁量が異常に多いのです。
一般的な制作現場だと、誰かがコンセプトを決めてそこからこういうものを作ってくださいと指示を各担当者に割り振られます。それが、コンセプトを一貫させるのに最も効率がいいからです。
それに対して、北村さんの会社では、制作担当者がそのコンセプトを表現できていると心から思えたら、それでオッケー。この基準しかないのです。
そこには技術が高いかどうか、表現が一般的かどうか、ということよりも、作っている本人が本当に納得しているか、が問われるのです。
つまり、誰も正解を与えてくれない。自分が正解を作りそれを表現するしかないのです。
北村さんのお母さんの言葉を借りれば、
「自分が作ったものが、いいもので、それをいいって言えればそれでいい。」
ということです。
最後は、子どもたちに残したい世界、です。
現在、北村さんには3人のお子さんがいらっしゃいます。一番上の子が5歳何ですが、この5年という年月は、ちょうど北村さんが独立した年数と同じになります。
というのも、北村さんは元々、自分で独立をしようだなんて全く思っていなかったのです。かと言って、サラリーマンに向いているとも思っていなかったので、漠然と、リーダータイプの人と一緒に独立できたらいいなと思っていたそうです。
そのふんわりとした独立願望のようなものを、強い意志に変えてくれたのが、長男の誕生でした。
お子さんが生まれた時に、「自分でやらなきゃ」、そう思ったそうです。
5年前といえば、AIの脅威のようなことが大げさに言われ始めた頃でした。シンギュラリティ問題なども真剣に語られ始めている頃でした。
その時に、北村さんは、AIに支配されるような世界はハッピーじゃない、そう考えたのです。
たとえば、グーグルグラスが人間の表情を読み取って、相手の感情を数値化して、営業中にリアルタイムでフィードバックをしてくれる、そんな技術が開発されたところで、北村さんはそれよりももっと人間臭い行動を起こしたいと。
お客さんの目の前で、グーグルグラスを外して、本音で語りましょう、なんて言ってみたり。
数値化できること、AIに把握できること、そう言ったものが、世の中を便利にすることや、そこの面白さを否定しているわけでは全くなくて。
それよりも、北村さんは、人間臭さや人間の感情の面白さを、次の世代にもちゃんと残していきたい、とそう考えたのです。
もし、本当にAI の台頭が、最悪のシナリオ通りだったとしたら、AIに支配される人間が出てくるのかもしれません。でも、北村さんはそんな世界を面白いともハッピーだとも考えていないのです。
それ以上に、すべきことは、ゲームやIT業界の人間として、そのITに支配されるのではなく、しっかりと乗りこなしていきたいと、そして、その先にある人間くささのある世界を大切にしたいのだそうです。
穏やかな語り口の中に強い意志を感じられると同時に、家族思い、子ども思いの素敵なお父さんな北村さんでした。
2019.10.2 北村紀佳さん
赤坂にて