インドで誘拐されたり、賃貸の一室に絵を描いたり Lunch#49 ジョニーさん
なぜジョニーさんと呼ばれているのかを聞き忘れながらも、いや、聞いたのかもしれませんが、忘れてしまい。
ながらも、ジョニーさんという呼び名がとても自然だと感じて、気づいたらジョニーさんと呼んでいました。
人への愛情に溢れていて、本当に穏やかで笑顔の優しい人でした。
ずっと心地よく喋っていられる人。
そんなジョニーさんのポイントとインスタはこちら
・インドで誘拐された
・線を描く
・モンマルトルで絵描きになる
インドで誘拐された
最初から、ぶっ飛んだタイトルですが、まさにその通りの話です。
ジョニーさんが25歳くらいの時でした。なんとなくインドに行ってみたくなって、インドへと一人旅。
行きたいところに行ってみようと、何も調べずに、軽い気持ちでインドのニューデリーの空港に降り立ったのでした。
そこから、バラナシやガンジス川に行こうと思っていたのですが、空港でタクシーの運転手に声をかけられます。ヒマラヤまでいけるよ、観光できるよ、と。
そして、ジョニーさんはそれもまた面白い、そう思って、何も考えずにそのタクシーに乗せてもらったのです。
そこからかなりの時間を走ったところで、今日はここで休憩しようと、街中のある家に通されます。その中の一室に泊めてもらったジョニーさん。明日にはヒマラヤに行けるのかなぁ、そんなことを漠然と考えながら夜を過ごしました。
そして、朝起きた時に、ジョニーさんが見たのは、鉄格子でした。
もちろん、鉄格子?となったジョニーさん。部屋に通された時には、至極普通の部屋だったのに、入口はもう鉄格子がはまっていて、出ることができなくなっていました。
困惑しているジョニーさんの、目の前にそこのマフィアのボスが現れて、ジョニーさんの財布を持って、この金で今日はパーティーだと高笑いしたのです。
まるでドラマか何かの1シーンのようなその場面に驚きながらも、ジョニーさんはこのままここにいたら殺される。そう考えます。
こんなところに日本人がいることも、観光客がいることも誰も知らない。殺されても誰も気づかない。単なる失踪者として処理されて終わるだけでは。
とにかく脱出のためにできることを、そう考えたジョニーさんが、自分のポケットをさぐったら、日本用の携帯電話があったのです。
インドのマフィアはちょっと抜けているところがあるのか、日本用のもので、何かわからなかったのか。兎にも角にもその携帯電話で、日本大使館に電話をします。
つながる電話、すぐに誘拐されたことを伝えたのですが、帰ってきた言葉は、日本は土曜のため、対応できません。月曜日に電話してきてください、と。
ふざけるな、と思いながら、もう大使館に頼っている場合じゃない、どうにかここから出ないといけない。
そう考えて、マフィアのメンバーを呼び出して、命をかけた交渉をします。
パーティーに出すための料理をする、プロの料理人だから、使った方がお前たちのためだ、ここから逃げない約束する、でも料理をするためには、食材をちゃんと選んだ方がいい。こんなことをとにかく必死に、まさに必死に喋ります。
なんとか交渉成立。そして鉄格子の外に出ることができたジョニーさん。
買い物の途中に、少しでもチャンスがあったら逃げよう。そう思いながら、チャンスをうかがいます。ただ、買い物に行く人間も、見張りの人間も、さらには運転手までも、彼らの一味。
いろんなお店で買い物をしながらも、逃げるチャンスは与えてもらえませんでした。そして、失意とともに、アジトに戻ってきたジョニーさん。
買い物をした食材を車から運び込もうと、マフィアの人間が、アジトへと入っていき、さらに運転手もそこから離れたのです。
本当に一瞬の隙。アジトまで戻ってきて全員が気を抜いた瞬間。
その瞬間にジョニーさんは気づきます。
今しかない。
そう思って、後ろも何も見ずに、とにかく走り出します。
命をかけた逃避。
どこに向かっているのかもわからないまま、一心不乱に走ります。
そこから警察とのやり取りや、マフィアのボスのさらに上の存在の登場などもありながら、なんとか無事に日本に帰国することができたのでした。
その時のことを振り返りながら、ジョニーさんは、教えてくれました。
あの一瞬。本当に一瞬に踏み出す勇気。それがあったから生きている、と。
そして、あの一歩を踏み出す勇気があった、その一歩の勇気さえあれば、大丈夫。なんでもできる、と。
次は、線を描く、です。
インドでの誘拐事件からなんとか日本に無事帰国したジョニーさん。
その後、2009年に当時からお付き合いをされていた女性と結婚。その1週間後には、引越しをして一緒に住み始めたのでした。
その引越し先の白い壁が気になり始めたのが、絵描きを目指すきっかけになったのです。
当時、ジョニーさんは料理人として、レストランで働いていました。
料理がもともと好きで、カウンターからお客さんが料理を食べている姿を見るのも大好きだったジョニーさん。
それでも、料理をして表現することになんとなく違和感を感じていました。
というのも、料理というものは、そこにある食材をどう組み合わすのかを考える表現で、ジョニーさんの根本にある創作意欲のようなものは満たされないままでした。
その違和感を強く掻き立てたのが、新婚生活を送っていたマンションにあった一つの壁でした。
その壁を見ていると、自分の中にある何かがうごめくようなそんな感覚を覚え、
そしてある日、その感覚に逆らえなくなったジョニーさん。
壁の前に立って、絵の具をつけた筆を持って、一本の線を引いたのです。
その自分の手から、指先から生まれる線。
その感触に、生まれてくる線の姿に、ゾクゾク。
この瞬間に絵描きになりたいという思いが決定的に強くなります。
(ちなみに、賃貸のアパートの一室です。)
なりますが、絵を学んだことも、技術も何もないジョニーさんは、困り果てながら、自分のレストランでよく深夜まで飲んでいる水墨画の先生を思い出します。
その先生が、いつも通りレストランで酔っ払っているときに、ジョニーさんも一緒にベロベロになるまで酒を飲み、酒の勢いを借りながら、先生に言うのです。
「絵を描きたいんです。」
その一言に対して、先生は簡単に、
「やったらええがな。」
その言葉を、ベロベロのジョニーさんは、心の真ん中で受け止めました。
そして、そのまま家に帰って、寝ている奥さんを起こして、
明け方近くの深夜に、絵描きになる、と奥さんに言います。
夜中に、ベロベロの旦那さんに起こされて、何かと思えば、絵描きになる、と言い出す始末。
そんなわけのわからない状況にも関わらず、そこはジョニーさんと結婚した奥さんのすごさと言うか素晴らしさ。
眠い目をこすりながら、キッチンに歩いていき、そこにあったウィスキーをグラスに注ぐと、それをそのままストレートでクッと飲み干し、
ジョニーさんに向かって
「それで?」
と一言。
その瞬間に、ジョニーさんの酔いはすっかりどこかに言ってしまい、
心を込めて、改めて言ったのです。
絵を描きたい、絵描きになりたい、と。
その時のジョニーさんの真剣な思いが伝わり、奥さんからも、
「やりたいことはできるだけやってほしい。」
との言葉をもらい、ジョニーさんの絵描きとしての人生がスタートしたのです。
モンマルトルで絵描きになる
奥さんの一言とともに、ジョニーさんの絵描きの生活はスタートしました。当時は、レストランでの料理人と絵描きとの二足のわらじを履いていました。
その生活は、夕方から支度をして、レストランでの仕事、深夜3時頃に帰ってきて、そのまま創作活動を朝8時くらいまでやって、眠りにつき、夕方ごろに起きる。そんな生活でした。
そんな中で、絵描きになったと思えた瞬間について質問すると、新婚旅行中に絵描きになれたと教えてくれました。
奥さんに後押しを受けてから、毎日のように絵を描き続けていたジョニーさん。絵をかけたものを、ちゃんと外に出そうと、インターネットで販売することにしたのです。
値段のつけかたもわからないまま、その絵を8000円という値段をつけて売りに出します。
そのことを忘れたまま、絵を描き始めた1ヶ月後にジョニーさんは、新婚旅行へと。イタリアとフランスを訪れます。
そして、その旅行中、モンマルトルの丘に登っているときに、携帯に通知が来ました。その通知が、ジョニーさんの絵が売れたことを知らせるものでした。
そこからジョニーさんは、社会的にも絵描きになったのでした。
そして、今では、レストランでの仕事も辞めて、完全に絵描き一本で活動をされています。
優しい笑顔で、優しい絵を描く、ジョニーさん。
まとっている空気と時間がとても素敵な人でした。
2019.3.28 ジョニーさん
松陰神社前にて