自分の命の使い場所を求めて Lunch#61 服部雄也さん
ずっとニコニコと素敵な笑顔で話しをしてくれた服部さん。その話はとても綺麗に筋道立っていて、さらにその想いの強さは、狂気を感じるほどでした。
異常なほどのまっすぐな思いを持っている服部さんのポイントはこちら。
・将軍になりたい
・男だけで、世界一になる
・自分の命をどこに使うのか
まずは、将軍になりたい、です。
服部さんの小さい頃の夢は、将軍になることでした。
というのも、お父さんが織田信長だったからです。
というと、少し変な話のように見えますが、服部さんは愛知県出身で、毎年名古屋まつりに参加していました。そして、その祭りの中で、服部さんのお父さんは、織田信長役をしていたのでした。
その姿を見た服部少年は、お父さんのように将軍になるんだと、心に誓ったのでした。そしていつからか、その将軍になる、という思いは、自分の信じた道をまっすぐ進むというものになっていったのでした。
将軍になりたい服部さんは、中学から野球を始めます。目標はもちろん甲子園。
中学3年間をどっぷり野球漬けの生活をして、さらにその後高校でも、3年間野球漬けになろうと思っていたところ、服部さんを悲劇が襲います。
激しいレギュラー争いの中、練習しすぎのための、疲労骨折でした。
医師からは、運動を完全に止められてしまうのでした。
この瞬間に、服部さんは、甲子園に行けないことが決定してしまいます。そもそも野球自体もすることができなくなってしまいました。
そして、そこに向かう努力すらも奪われてしまったのです。
何事にも自分の道を進んで、真剣にがむしゃらに生きていく、という信条の服部さん。そんな服部さんにとって、自分の全身全霊を賭けるものを奪われることは、死にも等しいものでした。
大げさではありますが、医師から野球ができないと言われたとこに服部さんの頭に浮かんだのは、まさに、死という言葉でした。
生きる意味を失った服部さんは学校にもあまり行けなくなってしまいます。
そんな日々の中、服部さんは次の目標に出会います。それが早稲田大学でした。
失意のどん底にいた服部さんにも、進路指導はやってきます。何もする気がない中で、どうにか進路を探さなければと考えていた時、偶然立ち寄った本屋さんで何気なく、「大学図鑑」という名の本を手に取ります。
何気なくその本を手に取り、ぱらっとめくったページに、早稲田大学のことが書いてあったのです。そこには、自由な学風で、学生自身が自分らしく過ごすことができる、そんなことが書いてありました。
その瞬間に、死んでいた服部さんの心が、再び燃えだします。この大学に行こう。そして、野球ができなくても自分らしく生きていこう、と。
その想いとともに、服部さんは友人や先生に、早稲田志望にすることを伝えますが、反応は冷ややかなものでした。
それもそのはずで、服部さんの当時の偏差値は35(早稲田合格に必要とされているのが70前後)で、さらに、服部さんは高校の中での成績は下から2番目でした。そんな奴が、早稲田に行けるはずがない、そう言われ続けたのでした。
それでも、一度燃えた心はもう止まりませんでした。何度失敗しても絶対に早稲田に行こうと、それ以外の大学には目もくれず、一心不乱に勉強します。
現役の時には、残念ながら不合格となり、浪人生になった服部さんはさらに真剣味を増して、勉強します。
1日たりとも休まず、15時間勉強を続けるのです。勉強しすぎた結果、人とのコミュニケーションがうまくとれないほどの、勉強一色の毎日でした。
そんな浪人生活を過ごし切った後、もう1年浪人を覚悟して、予備校へ来年の入学書類を提出しようと名古屋駅を訪れた時でした。
服部さんに、早稲田大学合格の連絡が入ります。
その瞬間、服部さんの中でずっと張り詰めていたものが、切れます。
プツン、と。
そのまま、駅のホームにうずくまり、これでもかというほどに涙を流し、立ち上がれることもできなくなってしまったのです。
野球への思いを奪われ、早稲田なんか無理だと馬鹿にされ続け、そんな中でも応援し続けてくれていた両親への想いも重なり、服部さんの涙は止まりませんでした。
次は、男だけで、世界一になる、です。
晴れて早稲田の学生となれた服部さんは、もう一ついい報せを受け取っていました。それは野球の夢を奪った疲労骨折が治っていたのです。
全く運動をしない2年間を過ごしたおかげで、骨がつながったそうです。
そんな中またスポーツをやろうと、思っていた時に、服部さんはチアリーディングチームに声をかけられます。
早稲田大学のチアリーディングチーム、ショッカーズは、世界的にも珍しい男だけのチアリーディングチームなのですが、服部さんの第一印象はチャラチャラしている、というものでした。
というのも、ステージでのパフォーマンスが重要なチアでは、派手な衣装や演出、さらには、髪の毛を染めている人も多かったのです。
その様子を、表面上の様子を見た服部さんは、チャラチャラしてるところは自分の居場所じゃない、と思ったのでした。
しかし、実際のチアリーディングは外見の華やかさともう一つの顔がありました。それは練習はとてつもなく泥臭く、厳しいものなのです。
というのも、場合によっては8メートルほどの高さ(およそビルの2階の高さ)まで、人を飛ばすこの演技、一つの失敗が命を奪うほどの危険なものなのです。そんな演技をするには、中身までチャラチャラしていたらできないのです。
その厳しさと泥臭さの持つかっこよさに惹かれた服部さんはチームに入り、そして、日本一になることを誓います。
と言っても、2年間運動していなかった服部さんと違い、同級生は有名高校の強豪体育会出身の人がほとんどで、1年生の中でも一番下手のポジションから始まります。
それでも毎日努力を続けた甲斐もあって、1年生の冬には、3年生の先輩の引退演技のパートナーを任されることとなるのです。先輩にとっては人生で最後の演技。
その演技の最後の最後で、服部さんは失敗。先輩を落としてしまいます。大きな怪我にはならなかったものの、服部さんは自分自身の不甲斐なさを強く実感します。
そして、その翌日すぐに先輩に自主練習をお願いするのです。同じ演技を100回成功するまで、やる。落とされた方の先輩も、服部さんのために、練習に付き合ってくれたのでした。
この特別特訓のおかげで、服部さんはチアに本気で向き合うと改めて誓うことができ、そこからの成長はものすごいものとなったのでした。
そして、そのあと、4年生の時に服部さんはアメリカの世界大会で世界一を手に入れます。
世界一が素晴らしいのはもちろんのことですが、それ以上に、そのきっかけとなった失敗にちゃんと向き合った服部さんの強さと、先輩の優しさがとても素敵です。
最後は、自分の命をどこに使うのか、です。
チアの世界で、ど素人から世界一をとった服部さんは、就職でもこのストーリーを描こうと考えました。つまり、まだ未成熟な業界に飛びこんで、その業界で世界を取る、というものを。
そこで出会ったのが、デジタル名刺管理というものでした。かつての名刺は、フォルダーに入れて管理していたところ、デジタル化の隆盛に伴い、SNSのように使える名刺管理が誕生しました。
その何もないところに新しい風を起こそうとしているところで、力になりたいと考えて、服部さんはこの業界に飛び込みます。
そして2年半が経った頃に、自分のいる会社が、自分がいなくてもうまくいくんじゃないかな、という思いを抱くようになります。
もちろん、いらなくなったわけでもなく、全力で最前線で働いていたにも関わらず、このまま順調にいけば、間違い無いという安定期に入った頃に、服部さんは、ふと考えます。
自分の命をどこに使おう、と。
中学から高校までは、野球に全生命をかけ、その後は大学受験に、大学時代は、チアリーディングに、服部さんはかけてきました。
そして大学卒業からは、名刺管理業界にかけてきたのですが、それが安定し始めた時に、もっと命をかけられる存在を、潜在的に探し求めます。
その時に出会ったのが、服部さんの現職のScenteeです。
社長のプロダクトについて話すときの愛情の強さに打たれて入社を決めました。
そして、今では、この会社で世界を目指して一心不乱に命を使っているのです。
自分が信じたものを、本気で愛し、本気で向き合い、それを大切に走り続ける、その姿はバカとも言えるし、誠実とも言える。
そのまっすぐな姿と笑顔が最高に素敵でした。
2019.7.11 服部雄也さん
赤坂にて