6年前から少しずつ夫婦になっている、そのスタート地点の話
淀屋橋の駅までどう歩いたのか覚えていない。ただ、悩み続けていた。このまま帰ろうか、帰っていいものか。
朝早くに訪れたアメリカ領事館からの帰り道、昼はとっくに過ぎていた。お腹は空いていない。あえていうなら、吐き気が少し。
帰ろうか、帰らない方がいいのか。どんな顔をすればいいのか。そんなことを思いながら、電車に乗った。地元の神戸に帰る電車に。
電車に乗って、乗り換えて、神戸三宮の駅まで戻ってきた。街並みも道行く人も、おぼろげに見える。アメリカに移住して4年も経てば仕方ないのか、それとも。
駅前のスターバックスに入って、飲みたくもないコーヒーを頼んだ。いつも通りに笑顔の店員さんが、何かを勧めてくれたが、ぶっきらぼうに断った。いまはとにかく座りたい。頭の中にとめどなく湧いてくる「どうしよう」を整理したい。
テーブル席に座り、携帯電話を握った。奥さんに電話しなければ。つい3週間前に入籍したばかりの奥さんに。
発信してすぐに電話に出てくれた。その声を聞いた瞬間、泣きそうになる。ぐっとこらえる。しぼり出すように吐き出す。
「ごめん、ビザ落ちた。」
そのあと、いくつかの言葉を交わしたはずなのに、覚えていない。覚えているのは、この言葉だけだった。
「よかった、入籍しておいて。別れようってあなた言うでしょ。」
心の中を見透かされていたような言葉が刺さった。
4年前、アメリカに留学して、この年についにアーティストビザ取得の目処がたった。このまま、アメリカでビデオグラファーとして活動できる。それは渡米前からの目標に一歩近づくことだった。
専門の弁護士にも頼み、アメリカの映像のユニオンからの許可も取り付け、アメリカ移民局からの承認も得た。あとは、日本での面接をパスすれば、ビザが手に入る。やっとここまで。
そのタイミングと同時に、奥さんに出会い、結婚を約束した。2人でアメリカで暮らそうと。奥さんがいたから、ビザの切り替えに踏み切ることができたし、2人でならこの先、アメリカでもっと面白い活動ができる。
そんな夢を、できるだけ大きい夢を描いたうえでの、今回の一時帰国。お互いの両親に挨拶をし、アメリカ行きの準備を少しずつ進め、あとは、ビザの発給だけだった。
そのビザをきっかけに、2人で移住して、新しい暮らしを始めるはずだった。その夢を約束して、結婚を申し出た。
その全てがダメになったのだから、別れないといけない、彼女の元から去らなければいけない。アメリカでの活動もできず、ビデオグラファーですらない。そんな自分に価値はない。そう考えていた。
だから、「ビザを発給することはできません」と領事館で宣告され、パスポートに「却下」を意味するスタンプを押されてからずっと、謝罪しか頭になかった。
どうしよう、どうやって謝ろう、なんて謝ろう。自分は価値のない人間だったのに。騙してしまった。いけないことをしてしまった。
そんなことを考えていた私にとって、奥さんの一言は予想外すぎた。
「よかった、入籍しておいて。」
よかった?よかったってどう意味だろう?ビザもない、計画は全てなくなった、否定された、夢は終わった。こんな男と入籍してなにがよかったのだろう?
あれから、もう6年弱が過ぎた。ケンカもするし、話し合いもするし、迷惑もかけているけど、おかげさまで仲良しの夫婦でいられている。あのとき別れないと決めた奥さんのおかげで。
ビザの却下は、きっとこの先も忘れられない人生の思い出として刻まれてしまっている。それは、自分が否定された瞬間であり、もう以前の生活には戻れないという宣告を受けた瞬間であり、理不尽の塊を飲み込まされた瞬間だった。
でも、それと同時に、得たものがある。何もかもを失った時に、そばにいてくれる人がいるという確信。
ビザを却下され、アメリカでの生活を失い、職もない。まさに何もかもを失った、そんなちっぽけな人間のそばにいてくれる人がいた。
1人じゃないと、教えてくれる人が。
当たり前だけど、夫婦ってのは、2人で夫婦になるもので。あの時気づいた「2人」というものの奥深さには、いまだに届きそうもない。
いつか2人でたどりつけるかな。