耳が聞こえないは、チャームポイント Lunch#51 Sasa Marie Hagiwaraさん
人生で初めて、耳の聞こえない人と会話をしました。
それは、私が生活している範囲のすぐ横にいるのに、正面向いて出会うのは難しい、そんな不思議な存在だったかもしれません。
そして、今回の出会いによって、また一つ自分の世界の狭さを思い知りました。
素敵な学びを与えてくれました。
そんな素敵なSasa Marie Hagiwaraさん(さささん)のポイントはこちら。
・聞こえると思ってた
・手話とはなにか
・世界が広がった
まずは、聞こえると思ってた、です。
最初に、想像してみてください。
もしあなたが、あなたの耳が聞こえないものだったら、どうやってそれを知りますか?
想像してもらうと、わかるかもしれませんが、聴覚は外からの判断が全くできないもので、それが適切かどうかをはかることができないのです。
そして、さささんもまたそんな状態だったのです。
つまり、自分は聞こえていると思っていたという。
小さな頃には、お姉ちゃんがいつも一緒に手を引いてくれて遊んでくれていた。
だから、お姉ちゃんの動きについていけばよかった。
お姉ちゃんが聞いてくれて、それを伝えてくれていた。
だから、聞こえないなんて思っていなかったのだけれど。
幼稚園に入って、さささんは、自分が聞こえないのだということに気づく。
と同時にお姉ちゃんが聞いてくれていたということにも。
右と言われたのに、左に行ってしまったり、する。
そんなことから、自分が少し聞こえにくいんだということに気づくようになった。
それでも、さささんは自分を聞こえないとは思っていなかった。
これもまた、同じように自分が聞こえている音と、他人が聞こえている音の違いを比べる方法がなかったから。
だから、さささんは、頑張って聞こうとしていたが、どうしても聞こえなくて、それでも周りが学校の授業に難なくついていくことに驚きを隠せずにいた。
また、友達と話をしているときに、みんなが大笑いしている時でも、
上手く聞き取れなくて、よくわからないまま、周りに合わせて大笑いしたり。
そんな風に困りながらも、周りの子は話についていけてすごいな、なんて楽天的に考えていたくらいだった。だから、自分が聞こえないだなんて全く考えていなかったのです。
聞こえていないのに、聞こえると思えていたさささんは、大学に入って手話と出会います。(それまでは手話なしでずっと生活していたことにも驚きですが)
次に、手話とは何か、です。
私は、さささんと出会うまで、耳の聞こえない人とどうやってコミュニケーションをとるのか、わかっていませんでした。
というか、耳の聞こえない人との「会話」というものが想像できなかったのです。
そして、ささんとのインタビューを終えた今思うことは、さささんとの会話はとても自然で、耳の聞こえないということを忘れてしまうほどでした。
実は、私聞こえているんです。なんて言われても、何の違和感もなく信じたとも思います。
ちなみに、手話を全くできない私がさささんとの会話ができたのは、完全にさささんの読唇術のおかげでした。
読唇術とは、読んで字のごとく、唇を読んで相手の言葉を予測する技術です。
ただ、日本語の口の動きは、母音の「あ・い・う・え・お」の5種類しかありません。だから、この母音の組み合わせを唇から読み取るだけでは、会話は成立しません。
あいあという母音は、会話にも、怠惰にも、詐欺だにも、マニアにも当てはまってしまいます。
だから、さささんは、その母音を推測するのに、会話の文脈とそれから、聞き取れた音の部分を頼りに、言語のパズルをしているのです。
ずっとゲームの話をしている後の、あいあは、マニアに。
何もすることがない自分の生活の話をしている後の、あいあは、怠惰に。
そんな風に人の唇を読みながら、言葉のパズルをしているのだそうです。
これだけでもものすごい能力だと思うのですが、
それともう一つ、さささんは、手話という素敵な言葉を持っています。
さささんと、手話との出会いはとても面白いのですが、その前にここでは、手話とは何かを説明したいと思います。
というか、自分があまりにも知らなすぎて、そして、知れたことが嬉しくて、ここに書いておきたいです。
私は、手話のことを全然知りませんでした。
たまに、ぼーっとNHKをつけているときに、右上の丸の中で、手話をしている人がいるなぁ、ってくらい。
でも、その手話というものが、耳の聞こえない人のためのもの、というくらいの知識しかありませんでした。
つまり、手話という世界のことを何も知りませんでした。
だから、私にとって、手話は、利便性のために作られた言語でした。もっというと、耳の聞こえない人のためのツールのようなもののイメージでした。
世の中に色々とある、人々のお助けグッズの一部、つまり、点字ブロック・手すり・スロープ・補聴器などの便利な道具の1つだと思っていました。
が、そうではありませんでした。
当たり前ではありますが、手話は言語でした。
それは、日本語を翻訳するためだけに作られた言語ではなく、手話は手話だけで独自の言語の世界を持っていて、それは日本語から独立しているようでした。
日本語にある表現が手話にないものもあるし、手話にはあるのに、日本語にはない表現がある。わかりやすく言ってしまえば、外国の言語のようなものです。
身振り手振りを使って、意味を伝える言葉が、手話であり、その手話の話者同士の中で、若者だけに通じる新語や、古くなって使われなくなった死語も存在している。そんな言語なのです。
手話とは、利便性のためだけの言語なんかではなく、もっと豊かで独自の世界を持っている言語なのです。つまり、耳の聞こえない人が属する世界の言語が、手話。
そんなことを教えてもらいました。
最後は、世界が広がった、です。
大学に入ったさささんは、軽い気持ちで手話に興味を持ちます。それは、耳の聞こえない人の立場としてではなく、聞こえる人が手話ができるようになったら、手話通訳士になれるのじゃないかなってくらいの思いでした。
そして、手話を学んだ瞬間に、さささんは気づくのです。
自分が耳が聞こえないということを。
この気づきは、もちろんさささんにとって、悲しい出会いではあったのですが、それ以上に、この手話との出会いは、とても素敵なものとなりました。
それは、やっとおしゃべりする言葉を手に入れたのです。そして、おしゃべりできる相手も。今までは、耳の聞こえる人たちの世界で、その言葉を使いこなせないままなんとか、周りとコミュニケーションを取ろうとしていたのです。
英語の聞き取れない人が、英語圏でなんとか生活しているそんな感じですね。それが、自分が使える話せる言語の世界に戻ってこれた、というところでしょうか。
そこで交わされる会話は全てわかり、冗談を言い合い、はっきりと理解した上で、笑いあえる。会話の中にある情報量の多さに圧倒されながら、会話の楽しさに初めて触れ合えたのでした。
さささん曰く、手話と出会い世界が広がった、とのことです。
それは、今までずっと生活してきた聞こえる人たちの世界と、手話の世界。二つの世界を知ることができて、その両方を楽しめるようになったと。
そこから、大学で手話を学び、半年が経った頃には、日常生活に困らないほどになり、大学卒業後は、手話ニュースの翻訳をやったり、手話を教える仕事をやったり、さらに、詩を書いたり、手話による朗読のパフォーマンスをやったり。
手話の世界と、聞こえる世界の両方で色々な活動をされています。
そして、その活動の中で、さささんは、耳の聞こえる人も、耳の聞こえない人も、色々と知ってほしいと。
つまり、私のように何も知らない人間に、手話ってどういうものか、聞こえない世界ってどういうものなのか、この新しい世界への扉を開いて欲しいと言ってくれました。
生まれつき耳の聞こえないさささんは、聞こえないことで苦労したこともあったのかもしれませんが、それ以上に、その聞こえないことを特徴の一つとして、大切にしながら生きている、そんな素敵な生き方をする人でした。
2019.04.06 Sasa Marie Hagiwaraさん
代官山にて