ゆういちの一生 第13話「夕逃げニャンニャン!」
ゆういち、中学2年生。
ゆういち13歳。
中学2年生です。
ゴリと仲直りできないままだったので、
剣道部をやめました。
そして、園芸部に入ります。
園芸部は花を育てる部でしたが、
実際のところは帰宅部です。
部活がなかったり、あってもさっさと終わって、家に帰ります。
5時から夕やけニャンニャンという番組を見るためです。
とんねるずを見るために。
その頃からとんねるずが大好きで
とんねるずが出ている番組は欠かさず見ていました。
夕やけニャンニャン
「とんねるずの二酸化マンガンクラブ」というラジオ番組は、
東京の文化放送という放送局でしか流していなくて、
ゆういちの住む香川県では聞くことができませんでした。
しかし、聞きたくてしょうがないので、
ラジオでダイヤルを1134に合わせアンテナの向きを何度も変えて、
雑音の中、文化放送を受信して聞いたりしました。
「オールナイトフジ」というテレビの深夜番組も見たかったのですが、
東京のフジテレビといくつかの地方の曲でしか放送していなくて、
やはり香川県では見ることができませんでした。
しかし、どうしても見たかったので、家の屋根に上り、
テレビのアンテナの向きを何度も変えてみたところ、
テレビ新広島という放送局の電波を受信することができました。
それでやっと見ることができたのですが、
とんねるずが出るのが放送が始まってからかなり後の方。
とんねるずが出る前に「一部の地域の方はさようなら~」
って言って放送が終了してしまうのです。
新しい物が登場。
この頃、世の中にいろんな物が登場します。
バーコードとかテレホンカードとか。
カセットテープのデッキが2つあるステレオが登場し、
ダビングができるようになりました。
バーコードはある日からレコードのジャケットに登場し、
「ジャケットの写真がバーコードで隠れるところができていやだな~。」
と思っていました。
ある日、とんねるずのコンサートを収録したビデオテープが発売されたので
買ってみると、
ビデオテープのケース一面にバーコードが描かれたデザインでした。
こういうセンスがたまりません。
とんねるずは「一気!」「青年の主張」「雨の西麻布」「歌謡曲」と4か月に1曲くらいで立て続けにレコードを出していました。
そう、CDではなく、レコードです。
とんねるずの最初のアルバムを買うと、最初に歌ではなく
「ダビングすんじゃねぇよ!」
ってセリフからスタートするのです。
新しい考えで、今までなかったものを作り出していく感覚が大好きでした。
その企画をしているのは秋元康さんだと知りました。
とんねるずと同時に秋元康さんの企画や作詞にも興味がどんどん沸いていきます。
仏滅そだち。
レコードは、仁尾町には売っていないので、
自転車で峠を超えて、
隣の詫間駅から電車で高松まで行き買ってきます。
(転校する前に住んでいた辺りです。)
ある日、とんねるずのアルバムの「仏滅そだち」を高松まで買いに行きました。
翌日、学校でクボタロウ先生に「会議室に来い。」と言われました。
会議室は悪いことをした生徒に説教をする部屋です。
クボタロウ先生はイスに座り、僕は正座です。
「昨日どこに行ってた?」
「高松です。」
「なぜここに呼ばれたか分かるか?」
「はい。学校の許可なく子どもだけで高松に行ったからです。」
「何を買った?」
「仏滅育ちです。」
「どんな歌だ?」
「いや、なんていうか…。」
「仏滅に生まれて、不運な目に合うやつの歌か。」
「…まあ、そうです。」(全然違うけど)
アサガオの棒。
当時学校は荒れていたので、先生も棒を持って歩いていました。
黒板の文字を指すためでもあり、生徒の頭を叩くためでもあります。
スシタロー先生はアサガオの弦を巻くための棒を持っていました。
ある日の授業中、ゆういちが居眠りをしていると、棒で頭を叩かれました。
そしたら棒の方が折れ「弁償しろよ!」と言われました。
体育の時間に...
体育のイワタロー先生は
体育の時間に何かでゆういちが最下位になった時
「3回まわってワンと言え」と言い、
ゆういちは3回まわってワンと言いました。
今の時代だとあり得ないと思いますが、
この先生たちもきっと良かれと思ってやって
滑っていたのでしょう。
絵に対する興味は?
部活は、絵が好きだから園芸部ではなく美術部に入ったら?って思うでしょ。
入らないのです。
その頃は、絵に対する興味がなくなっていました。
絵を描いて目立ってもろくなことがない。
絵はネタでしかありませんでした。
美術の授業で、文字をレタリングして遠近法で立体的にする際、
男子はその頃流行っていたバンド「LOUDNESS」や「Earthshaker」って
カッコよく描いています。
僕はというとそんな中「TUNNELS」と描き、
重ねて「にら」とカッコよく立体的に描きました。
技術の時間、金属を削ってキーホルダーを作る時、
先生がお手本で「LOVE」と作っていたので、
僕は「LOVA」って作りました。
ロバですね。
作品を提出して、返却されたら、すべて破って捨てます。
作品に対する愛情もゼロです。
その頃の作品は一つも残っていません。
友達。
友達ですが、やはり、来るものを拒まず遊ぶのでいろいろな友達ができていきます。
できていってはだんだんいなくなるとかです。
なので、どんどん増えるということはなく、
少しずつ入れ替わっていきます。
トゥリくん家は金持ちで、ファミコンをしにたくさんの子供が遊びに行っていました。
トゥリくんとは面白い話をよくして遊んでいました。
テリヤマくんともよく遊んでいましたが、仲が良かったかは疑問です。
なんか腹立つことを言ってきたり、やってくる子でした。
アイドルは、テリヤマくんは、おニャン子クラブが好きで、
僕は佐野量子が好きでした。
日曜の夕方、笑点の前の時間帯に放送していた「コラーッとんねるず」というコント番組で佐野量子の歌が流れた時になんじゃこりゃって思いました。
サビ以外はセリフの歌でした。その作詞も秋元康さんでした。
遊ぶ場所は、中2から高松に行くことが多くなってきます。
地元の目を気にしなくていい気楽さと、都会に遊びに行くというちょっと大人になった感じがよかったんでしょう。
続き。
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