世界一周に挑戦する女子高生
こんにちは!鈴木結衣です!
徳島県に住む高専1年生の16歳で今、「世界一周コンテストDREAM」に挑戦しています。
このコンテストは最優秀賞をとると世界一周航空券がもらえるというとにかく旅をしたい私にとってとても魅力的なものでした。
私がDREAMに出会ったきっかけは知り合いの紹介です。
よく旅をしている友達に旅のことを根掘り葉掘り聞いていたら「もっと旅に詳しい人紹介するよ」と言ってくれて紹介してくれた人が以前DREAMに参加したことのある人でした。
その人にDREAMを紹介された時、絶対出場したいと思い締切も近かったので勢いでエントリーしたんです。
正直、エントリーしたあと少しづつ不安になってきて周りは年上ばかりだし16歳で世界一周に挑戦するというのは底しれない不安がありました。
でも今、あの時思い切って本当によかったと思っています。
これからセミファイナルを控える私がDREAMについて語ろうかと思います。
一次審査
一次審査はフォームで質問に答えていくというものだった。
私は分析が得意で好きだったので自分の得意を活かして、まず一問一問を書き出して分析した。。
そしてその一問一問「聞かれていることはなにか」「自分がアピールするべきところはどこか」などを丁寧に考えた。
そして自由記述欄。
長々とDREAMへの想いを綴り、最後には「必ず世界一周を勝ち取ります」と書き、ぎりぎりで提出。
そして待ちに待った結果。
「合格」という文字を聞いた時すごく安心したことを覚えている。
でも一次審査を合格して喜んでばかりではいられない。
二次審査は鬼門と呼ばれていたのだ。
二次審査
そんな鬼門、二次審査はオンラインディスカッション審査。
初めて話す人とディスカッションをしないといけない。すごく不安だった。
緊張しながら迎えた二次審査当日。
私は寮生活をしているので音が入らないように周りの人にも協力してもらいながら二次審査に挑んだ。
二次審査でのディスカッション審査で一緒になった人は
1個上のお兄さんと大学生のお姉さん2人だった。
でも周りが海外経験が豊富だったり、場をどんどん回してくださる人がいて周りからも大きな刺激を頂いたし、その人達と出会えて良かったと思った。
それと同時にこんな人たちがゴロゴロいる中で戦わないといけないのかと少しだけ不安がよぎった。
途中から審査のことを忘れてただ普通にディスカッションをしていて、みんなの夢が素敵すぎて全部かなえてほしいと思った。
食べ物が好きで、食文化を知るたびに出たい人、人の可能性を広げたい人、とにかくいろんな経験をしたい人。
みんな夢は様々だけど通過点が同じで、その通過点で会えたことに感謝した。
全員が本気で他の人の夢について考えて、本当に熱い時間だった。
「楽しかった。」が一番最初にでる二次審査を終え、結果待ち。
結果は…
二次審査合格!
嘘みたいに嬉しくて、数日は信じてなかったのはココだけの話。
三次審査では大阪に行くことが決まっていたので、初めて世界一周を通じて夢を叶えようとしている人たちに直接あってお話できることが決まってすごく嬉しかったしワクワクした。
三次審査
初めてオフラインでの審査ということでドキドキしながら会場がある大阪に向かう。
徳島県にある寮に住んでいるので門限や距離の関係で前泊&後泊に。
前日は何をすればいいかわからず、とにかく自分自身を見つめ直した。
私は何のために世界一周するのか。
これじゃなきゃいけない理由は何なのか。
私の夢は何なのか。
でも自分自身について考えていてもどんどん不安が押し寄せてきた。
「きっと自分より年上の人が多いし、まとまりきっていない自分の言葉で伝えられるのかな。」
そんなことを考えていたら眠くなり、その日はいつもより早く寝た。
三次審査当日 プレゼン審査
実際に会場に行くと、案の定ほとんどが大学生だった。
ほとんどが成人している中、一人だけ16歳。
正直少し萎縮してしまったし、自分らしさを出しきれなかったと思う。
最初、自分の夢を書き出した。
マインドマップにして自分が死ぬまでに叶えたいことを書いていたらほとんどが海外に向いたもので、ほとんどが社会問題につながるものだった。
他の参加者やスタッフの方と話ながら夢を深め、自分が発表しようと思っていたことだけではなくて小さな夢も膨らんだ。
人に話を聞いてもらうってすごく重要だったんだと思う。
世界一周をしたい、夢を叶えたいという土台は一緒だけど思考とか目指す場所が違う人たちは私には考えつかない角度の意見をくれる。
そしてそのアイデアは土台が一緒だから到底できないものではなくてすごく参考になる。
同じ志を持つ仲間が大切なのってこういうことなのかと思った。
次に「夢グラフ」を書いた。
自分の夢の達成度をグラフにした。
グラフを書き始めると自分の夢は小さいときから始まっていたことに気がついた。
私はずっと、「人の笑顔」が好きだったのだ。
夢は達成に近づくだけじゃない。
達成から遠ざかることもある。
どこでどうやって近づいたのか。遠ざかったのか。
それを分析する良いツールだと思ったし、それを共有して言語化することでより自己認識を深めることができた。
昼休憩。一人だけいた高校3年生の女の子が声をかけてくれた。
彼女は教育に興味があるのだそうだ。
そこで私の通う学校(神山まるごと高専)に興味を持ってくれていたらしい。
彼女と昼休みを過ごして、海外に住んでいた経験のある彼女に海外の話を聞いた。
やっぱり海外の話を聞くとテンションが上がる。
元々興味のなかったような国でも話を聞いているとすごく行きたくなる。
それはどの国にも素晴らしい魅力があって、そこにしかいない人、そこにしかない文化、そこにしかない景色があるからなのだろう。
そして、それを目を輝かせて語る人がいるからなのだろう。
こういう人に出会えてよかった。
こういう人に出会えただけで、このコンテストに出た意味があったと思えた。
その後は時計を見ずに一分間で夢を語るというのをした。
自分の体感は一分がすごく短くて語り切ることができなかった。
でも次、3分になると1分のときの感覚が残っているから逆に時間が余ってしまった。
でもプレゼンの練習としてすごくいいものだと思ったし、普段の練習にも取り入れようと思った。
そしてその練習のブラッシュアップの時。
私は3つも5つも年上の人にアドバイスをするのかと少し怖気づいてしまった。
でもペアになった人は私がこうしたらもっと良くなるんじゃないかと言ってみるとメモを取ったり納得したりしてくれて夢を追うのに年齢なんて関係なくて、年下とか年上とかを一番意識していたのは私なのかもしれないと感じた。
後日談だが、その人もセミファイナルに残っていて彼のプレゼンがとても楽しみなのだ。また会えるのがとても楽しみ。
そしてそれが終わるとメンターさんと1on1。
初めて会う人に人見知りしながらも、がんばって多くの私の夢や思考を話した。
私の将来の夢の一番の悩み。
それは、「プロセスが決まっていないこと」。
これは夢を語るたびに何度も聞かれてきたことだった。
「どうやってその夢を叶えたいの?」
でも私は「今決めてはいけない。決めることはできない。」そう思った。
なぜなら、笑顔を増やすためにどうしたらいいなんて今私がわかるわけがないからだ。
国の数だけ、宗教の数だけ、人の数だけ幸せの定義がある。
人種や考え方が違えば、日々への期待値が変わり、
日々への期待値が違えば満足度も変わるだろう。
それに対して私はこれで世界中の人を笑顔にする!なんて無責任なことを言うことはできない。
だからこそ私は世界一周をして実際に自分の目で、リアルを見て、自分の肌でリアルを感じたいのだ。
インドのNGOスクールに伺ったとき、自分の手で幸せや笑顔を届けることの幸せを知ってしまったのだ。
私はその場、その人、その国に必要な幸せと価値観を届けたい。
そのために世界一周をするのだとメンターの人に訴えた。
そうするとメンターの人は
「おもしろい!理由を持ってどうやって叶えるかを持たない人を初めてみた!」
と面白がってくれた。
どうやって夢を叶えるかを決めないというのは一般的に見るとあまり良くないのかもしれない。
でも今決めてそれを解決しなきゃ。あそこにはこんな問題がある。
きっとあそこにいる人はこんな人なんだろう。と固定概念を植え付けたくない。
それを面白がってくれるメンターさんがいることがとても嬉しかった。
そしてその後急ピッチで考えをまとめ、時間が来たときにはいつもより何倍も準備の時間が取れていないのにもかかわらず不思議な自信があった。
そして私の番。
台本なし。スライドなし。の完全に言葉だけで伝える私だけの5分間。
ここでとにかく私の想いをぶつけた。
「誰もが平等に笑える世界を創りたいということ」
「世界はいろんな格差で溢れていること」
「どうやって夢を叶えるかというプロセスを持っていないということ」
「若いから女性だからといって夢をあきらめないでほしいこと」
私の想いは他の明るい夢を持つ人達に比べて重すぎるのかもしれない。
でも私はどんな娯楽も笑顔があってこそのものだと思う。
私だからできることがきっとあると信じて突き進もうと思う。
そんなことを思いながら帰路についた。
三次審査 動画審査
三次審査が終わって、私を待ち受けていたのは動画審査。
「動画」がすごく苦手な私。
全然うまくいかなくて何度も何度も撮り直した。
ほんとにきつすぎて高専の入試を思い出した…。
(私の通う高専にも入試にも動画審査があって、リアルに300回は撮った気がする。)
私は実際に表情とか反応が見れるオフラインをアドリブでやるほうが得意だから動画で落とされるんじゃないかと、ドキドキしながら提出した。
動画には自信がなかったけど正直すっきりしていて、ここまで素敵な人と出会えてここまで自分の夢の解像度を上げることができただけですごく嬉しかった。
でもやっぱり世界に行きたい。
夢は募るばかりだった。
結果発表
そして待ちに待った結果。
結果は合格だった。
その日は年末年始で実家の埼玉に帰ってのんびりしていたところだった。
さっきまで流れていたのんびりした空気を忘れ、この画像を見た瞬間私の周りの時が一瞬止まった。
嬉しくて、そして安心して何故かため息が出た。
セミファイナル
セミファイナルはリール審査とプレゼン審査。
リール動画の一週間のいいね数と京都で行われるオフラインのプレゼンで決まる。
準備期間
セミファイナリストになることが決まったとき、まず一番心配だったのはメンターさんと話せるか。
人見知りなのと、年が離れていることがわかっていたので少し緊張しながら電話をした。
メンターになってくださった方はかなさんという方で、私の5つ上で明るくて優しい方だった。
初めての電話を終えたあと、まずは私を知ってもらおうと思ってプロフィールをA4一枚にまとめたものと、これからのスケジュールを立てたカレンダーを送った。
少しやりすぎかなとも思ったけど、やり過ぎ位がちょうどいいと思った。
夢を叶えるのも、コミュニケーションを頑張るのも私にとっては大きな挑戦で、一旦思い切ってみようと思ったのだ。
そして2回目のMTGはテレビ通話で、初めて顔を合わせた。
少し緊張したけど、私が書いたプロフィールを喜んでくれて、私自身の夢に真摯に向き合ってくれてとても嬉しかった。
そして次におこなったのは学校の広報担当の人への連絡だった。
その人は私が知っている広報さんの中で一番の広報さんだ。
私の通う学校のSNS公式アカウントは、最初は正直なにかイベントがあったときしか動かないようなアカウントだった。
でもその人が入ってから投稿回数も、リアクション回数も多くなり、SNSがより活性化したのだ。
だからリール審査があると聞いて絶対その人に連絡しようと思っていた。
どんなことに気をつけているのか、どうしたら動画が伸びるのか。
そんな質問とお願いで詰まった長文を送りつけた。
そんな失礼なDMに私の学校の広報の方はお忙しい中同じく長文でとても丁寧に教えてくださって、私の知らなかったようなことをたくさん聞かせてくださった。
動画撮影
リール審査のため、動画の素材を撮影することにした。
私の住む神山町は自然が豊かで素敵な町。
町を一望できる場所を知っていたので山の頂上まで登って
「世界一周いくぞー!」
と叫んだ。
学校のクラスメイトが撮影に協力してくれて、放課後の大事な時間を使って一緒に山の頂上まで登ってくれた。
私のことをいつも助けてくれる学校の人、町の人、友達に宣言する気持ちで叫んだ。
これは余談だが、帰り道、二人でのんびり町を歩いていた。
そうしたら町民の方がいて、地域特有の正月飾りを見せてくれた。
神山町では松を天井に吊るすそう。
それがとても素敵で、友達と
「来年は高専でもやりたいね」(私の通う学校は高専)
と言っているともっと素敵なところがあるからと車で公民館まで連れてってくださった。
そこにはすごく素敵な正月飾りがあって、でもそれ以上にその町民の方の心が素敵だと思った。
帰りにジュースとケーキをくださって道の駅で分かれ、帰ろうとしたとき今度は町でいつもお世話になっているタクシー会社の方がいらして、少し話をしたあと焼き芋をくださった。
手ぶらで来たはずが両手に貰い物を抱えて帰る。
そんな町と人の温かさに、嬉しくなった撮影日だった。
リール動画公開
急ピッチで編集をし、提出。
1月16日火曜日の夜。
私の動画が公開された。
公開される夜、私は寮のリビングでたくさんの友達と談笑していた。
私の動画が公開されるのは最後の方だったので少し遅かった。
時間になると友達が
「出た?出た?」と連絡してくれたり
一生アカウントを更新し続けてくれたり。
こんな素敵な人に囲まれてスタートダッシュを切れるなんてとても幸せだと思った。
そして公開まであと数十分となったとき、一人の友だちの提案でインスタライブが始まった。
唯一の高校生。
大学生に比べてネットワークも弱く、拡散力が心配だった。
だからこそ、最初だけでも生の声でと、初めて一人でインスタライブの画面写り、しきりにいいねとシェアのお願いをした。
そして公開されると周りの友達が総出で拡散をしたりいいねをしたりしてくれて、一人で話すのが苦手な私が話しやすいようにライブ中は質問をしたりしてくれた。
そして1日目の夜が終わる頃。
気がついたら再生回数が5000回を超え、いいねは400くらいだった。
その日は拡散してくれた人への感謝のストーリーをある程度あげたら寝てしまった。
そして次の日。
次の日は尊敬する方に広報していただいたり、周りの友達にもたくさん広報に協力してもらって夕方にはいいねが800くらいついていた。
そしてこの日の夜。
私の動画のいいね数は1位になった。
正直数字だけだとは思わなかった。
ずっと、その数字が全てではなくて、一人ひとりの夢が素晴らしいのだと思っていた。
でもそうではなくて、全員の夢が素晴らしいのは前提として、いいね一つを噛み締めて、競い合って、高め合って、そういう時間こそが価値のあるものなのだと知ることができた。
そして次の日。
朝起きるといいね数は1000を超えていた。
そしてこの日から全く面識のない人にもメンションをされたり応援をしていただけるようになった。
嬉しい反面、こんなにすごいことをしているのかとすこし鳥肌が立った。
そしてこのnoteを書く今、
再生回数は2.8万。
いいね数は1231。
私はこの数字を見てどう思ったか。それは
「まだ行ける。」
だった。
これは今拡散してくださっている人、いいねを押してくださっている人を蔑ろにしているのではなく、自分自身にもっともっと挑戦したいという気持ちが強かった。
これはもちろんリールだけではなくて自分の力で決まるプレゼンもそうだ。
ここまで沢山の人が応援してくださって、私が返せるのは
最高で最強なプレゼンをしてファイナルに行くこと。
そしてファイナルで世界一周を掴み取ること。
この2つだと思った。
だから私は絶対に世界一周を勝ち取るのだ。
最初の一次審査のとき、自由記述欄で長々と語ったDREAMへの想い。
その最後には「世界一周を絶対勝ち取る」と願望も込めて書いた。
でもそれが今、現実になろうとしている。
もうすぐそこに来ている。
ここで世界一周を掴み取って有言実行をする人になる。
自分の夢を、自分の未来を多くの人に応援してもらっている。
それだけで私は何倍も頑張れる。
私の「誰もが平等に笑える世界を創る」という夢。
それを叶えるために世界一周に行く。
最後に
このnoteを見て、少しでも私の熱量を受け取ってくださると嬉しいです。
夢も語ろうかと思ったけど、ファイナルのバックパックフェスタの大きい舞台で2000人の前で語るのでネタバレしないように取っておくことにします。
ぜひ私の夢を聴きにいらしてください。
長くなりましたが、ここまで見ていただきありがとうございます。
最後に一つだけ。
必ず世界一周します。