その線を越えないための心の余力
2022年に別れを告げる今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
結衣と申します。よろしくお願い申し上げます。
さて、日暮れの時間が迫っているせいか、一層寒さを感じる地下鉄のホーム。目的の電車の前に通過する電車があるらしい。ほどなくして、ホームドアの設置されていないホームに電車が迫ってきた。結構な速度のようだ。そんなときにふと感じた、「今飛べば」と。命に代えてでも生きたくないと願う明日は来なくなる。皆が愛するこの世界を否定する、自主的に離脱することによって。しかし、電車は何事もなく通過した。
Twitterをしていると、不思議なお便りがたびたび届く。彼らは何のために私にその思いを届けるのだろうか。彼らの思いは、残念ながら受け取られない。彼らはそのことをきっと理解しているのだろう。しかし、それでも彼らは必死に思いを届けてくる、何度も何度も。
惟うに人生というのは、クリアするにはあまりに残酷なゲーム。たった一度、どんなに悪くても受け入れるしかない。どうして私はこんなことになってしまったのだろう。しかし、あの人は違う。誰もが羨むような素晴らしい人生を送っている、私と違って。そう感じたときに、その線を越えてしまうのではないだろうか。
もし、その線を越える人と越えない人とに差があるとすれば、それは、ふとした瞬間に一呼吸置くための僅な心の余力があるかどうか、ただそれだけだろう。明日も世界は私を受け入れてくれるだろう。あの人もきっと何かを諦めたのだろう。そう考える心の余力を決して失わないためにも、この世界は来年も私を受け入れてくれると信じたい。そして、Twitterをやめよう、ホームドアを設置しよう。
2022年を締め括るには、あまりにも纏まりのない文章ですが、皆さま、よいお年を。
追記:スマホでも執筆できそうなのでやってみましたが、無理でした。