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さよーならまた12年後!

北海道に帰ってきた。
地元の師走の空気が懐かしい。

今年は年女。小・中学生の境目から始まった干支2周目はまさに創造と破壊。私というアイデンティティやパーソナリティが激しく形成されていく過程だったと思う。

家と学校の行き来しかなかったコミュニティは、習い事や仕事を経て社会へと広がり、行動範囲も市内、道内、国内、海外へと広がった。


しぐるるやしぐるる山へ歩み入る。


広い世界に怖気づいて、踏ん張って、成功に喜んで、打ちのめされて、立ち上がって、立ち上がれない時もあって、けれどここに生きている。

壊れて直して、崩れてくっつけて。あの時の私とこの時の私、今の私、全くの別物かもしれない。テセウスの船みたいに。

でも今なら、この命まるごと、愛せる。だからこれからも、恐れずに壊していこう。なんとかなる。わからなくなっても、接ぎ方を教えてくれる人がいる。仲間がいる。

今年はいいご縁をたくさんいただいた年だった。いろんな土地で、各々かっこよく生きる先輩たちに心揺さぶられ、血が騒ぎ、足りない自分に毎度焦りを感じた。

年の後半は同世代の縁も多く、これからの未来を一緒に作っていくんだと、びびっと来る出会いや再会が溢れていた。

集り散じて 人は変れど
仰ぐは同じき 理想の光。

ひとりの人間だってその時々で変わりゆくように、集う人だって変わる。出会って、離れて、また一緒に歩んで。つくりたい世界が近しい人たちと、どこかで繋がっていられたらいい。

空気を入れ替えないと気が淀むように、人間の気も滞る。動くことをやめたら、変わらないことに安堵したら、壊すことを恐れたら。だから今はまだ、流るるままに。

私はこういう人間だ!とか、本当に大事なものはこれだ!とか、やっぱりさっぱりわからない。

あんな私もこんな私も、あれもそれもこれも、何一つとして確固たるものなんて見つけられてない。

だから、もう、全部曖昧でいい。

選ばなきゃいけないその日その時まで、私は私自身や、身の回りのあれやこれやを、曖昧なまま、だけど気にかけながら、たまに忘れかけちゃうこともあるけれど、それでもできるだけ大切にして、生きていくんだ。

そうして、いざってとき。これだけは手に入れる、譲れない、そんなとき。何が障壁になろうとも、誰に憎まれようとも、取りに行く。

そのちょっとの覚悟が心のどこかにあればいい。全て投げ打つ愚かさを、失いたくない。

次に辰年が来るまでに、その愚かさや覚悟を行使するときが来るかはわからない。

今はまだ、全部が曖昧な世界を、壊しながらくっつけながら、自由に生きていこう。

2024年12月。辰年が終わる。
そういえば、2000年生は六十干支でいうと庚辰。庚は鉱物とか刃物、金属。つまり私はメタルドラゴンってことか。

蓋し辰へ、どこまでもゆけ。
12年後のあなたに会いたい。
消え失せるなよ。

さよーなら、また12年後!


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