
北極圏の町、キルナ
北緯68度。
北極圏に位置する町、キルナ。
2023年10月下旬、ストックホルムから夜行列車に乗り込み、北へと向かう。

ヨーロッパは国を跨いだ夜行列車が多い。
一番安い6人クシェットは、3段ベッドが左右に取り付けられている。
スウェーデンははじめて?ドイツへは?
ドイツ人三世代家族との相部屋。
おそらく二度と会うことはない、いや、一度でも会うはずがなかったであろう彼らと、一夜を過ごす。
旅という偶然製造機は早送りで新しいはじめましてを垂れ流し、たまにそれが人生をかき回したりする。だから面白い。

列車の揺れで目を覚ますと、窓の外が淡い灰色だった。
一番上のベッドからそっとハシゴを降りる。
廊下へ出ると、ひやっとした空気が肌に触れた。葉の落ちた低木が窓の外をまばらに通り過ぎる。
彩度の低い世界。地の果てを見ているみたいだった。
美しくて、写真を撮ることも忘れてぼーっと眺めていた。
気がつけば木もなくなって、見えるのは黒い土だけ。
と思えば急に重機が現れ、その奥にはどこまでも連なるトロッコの列。それもものすごく大きいトロッコだ。
キルナ駅が近い。
ここキルナは鉱山の町。いまでも鉄鉱石の掘削が大規模に行われている。
極寒の大地と、自然の力を最大限に利用しようとする人間の営み。

外へ出ると、吐く息が一瞬で白く変わる。10月とは言え、気温は氷点下。
20分ほど待てば市街地へのバスが出る。だが初めて足を踏み入れた北極圏。自分の足で歩きたい。宿までの30分、朝のお散歩が始まった。

随分と遠くまで来てしまった。たったひとりだということ。自分の命は何の保証もされていないんだということ。改めて感じる孤独。このときばかりはひとりぼっちが心細かった。
かじかんだ手をポケットに突っ込み、後ろを振り返る。気づけば鉱山の荒々しい景色は遠のき、住宅街にいた。目の前の景色に、それまでの不安や寂しさがどこかへ飛んでいった。
まるでホームタウンだ。育った町によく似た景色が目の前にある。道、街灯、家の大きさ、形、スウェーデンハウス。葉の落ちた木と僅かに残る紅葉。

北極圏の町で、こんな懐かしい気持ちになるなんて。
世界は違うものばかりで、かと思えば似ているものがたくさんあって、違うと思っていたものの本質は同じだったりして。
この世界の解像度が少しずつ上がっていく感覚と、それでもやっぱり、結局のところ私に理解できているのはこの宇宙のこれっぽっちのものでしかないんだという事実。

キルナは大規模な鉱山都市。現在も1km以上地下を掘り進めている。将来的には2kmまで掘り進めるとかで、そうなると地盤沈下などの問題が起こるらしい。
鉱区の上には市街地。こういう問題があるから掘削できません、はありがちだけれどキルナは違う。
キルナは市街地のお引越しをはじめた。行政の施設も学校もお家も、お引越し。大規模な市街地移転計画だ。
私が訪れたときにはお引越しの真っ只中。新たな市街地へ行くと、まだ人出がまばらな、だけど新しくて綺麗な街が形作られていた。

新たに建てられた商業施設も多いが、文字通りお引越しされたものもある。時計台、あとは木造建築も、基礎を剥き出しにしてトラックに載せてそのまま運んだという。

時を遡れば、日本も平安京やら平城京やら都を移してきた訳だが、この時代にここまでの事をやってのけるとは。産業都市のまっすぐな意思決定に感動さえ覚える。

さて、遥々キルナまでやってきた私のお目当てはオーロラだった。3泊して空を眺めたものの、結局オーロラは現れなかった。白いモヤのようなものは見えたけれど、思い描いていた緑のカーテンは姿を見せてはくれなかった。
旅でお目当てのものに出会えないこと。これは次があるということでもある。私がオーロラを目にするときが、次にいつどこでやってくるのか。楽しみが増えてしまった。
キルナ。そこにドラマチックな何かがあったというわけではない。

北極圏に位置し、寒くて、鉄鋼業が盛んで、街はお引越し中で、ちょっと私のホームタウンに似ている場所。そしてそこには、当たり前だけれど人が暮らし、日々を生きている。
私はこの地の、鼻を通るひんやりとした空気を覚えていて、感じた孤独や感動、ときめきを今も思い出すことができる。
それだけでいい。そういう旅もいい。
以下、どうってこともない、ありふれた、かけがえのないものたち。






ありふれたものと、かけがえのないものは、相対するものではないと思う。
またスナフキンみたいな事を言ってしまった。