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【自己紹介】はじめまして!地方専門PRコンサルタント Yuiです
はじめまして!
地方専門PRコンサルタントの Yuiこと、西楽 結(にしらく ゆい)です。
この記事をご覧いただき、ありがとうございます。
私は、「小さなまちからの大きな挑戦を応援したい」という想いで、
田舎町の小さな会社や農家さんなどの広報・PR活動の支援をしています。
広報・PRと言えば、「大企業がやるもの」「華やかな世界」というイメージがありますが、なぜ「地方専門」なのか?
今日は、その理由やそれに至ったきっかけについてお話させていただきたいと思います。
◯◯が大好きだった幼少期
私は1985年に兵庫県川西市で生まれました。
兵庫県というと、神戸市や西宮市、宝塚市などのイメージが強いと思いますが、ここは兵庫県の東の端っこ。大阪府北部や京都府西部との境目の地域です。
小さい頃は、ドライブやスキーが好きだったアクティブな母に連れられて、近隣では能勢町(大阪府)や三田市(兵庫県)、亀岡市(京都府)、少し遠くなると長野県や岐阜県、香川県、島根県、鳥取県など、自然豊かな地方の土地へよく遊びに行っていました。
都市部とは違い、弟と一緒にのびのびと走り回れるのも楽しかったのですが、私が大好きだったのは、土地土地の直売所やお土産屋さん(今で言う道の駅)を訪れること。スーパーとは違ってひとつひとつ個性のある形の野菜や、その土地ならではの特産物が並んでいる面白さと、表示されている生産者さんのお名前から、何とも言えない温かみを味わっていたんだと思います。
(ちなみに、私はおばあちゃんっ子で、お年寄りの話を聴くのが好きでした。)
なので、直売所を見つけると、小学生ながら小銭を握りしめ、色々な種類の野菜を大量に買って帰るような女の子でした。
(今思うと、その野菜どうしてたん?って感じですよね・・)
マスコミへの憧れからの挫折
そんな私の両親は、二人ともメディア関係の仕事をしていました。父は新聞記者で、昼過ぎに出て行って朝方に帰ってくる生活。母は新聞社から出版社、その後は色々な仕事をしていましたが、いずれも言葉を用いて社会や大衆にアプローチする仕事。当時は新聞記事毎に担当した記者の名前が記載されていましたので、父の名前が記されている記事を見て、純粋に「カッコいいな」と思っていました。
忙しい母に代わって私の面倒を見てくれていた祖母の家で日記を書いていると、「ゆいちゃんは文章が上手だね」と誉めてくれました。単純な私は、そんな祖母の言葉に背中を押してもらい、「将来は編集者になりたい!」と思うようになりました。
ところが、念願だったマス・コミュニケーション学が学べる大学に進学し、大学3年生でメディアで働くことを想定した実習を行っていた際、ある気づきをしました。マスコミの役割は、社会問題における透明性を確保したり、災害時の迅速な情報インフラを担ったり、後世に引き継ぐべき情報を正確に残したりと非常に重要です。しかし、「取材や報道を行うことによって、正確・迅速に事実を届けることで大衆の役に立てる一方、人を深く傷つけ、その人の人生さえ壊してしまうこともあるのではないか」と。長らく憧れて続けてきた職業に就く夢が崩れ、しばらく途方に暮れていました。
悩んだ結果、それよりも、自分の行いによって目の前の人に喜んでもらえる仕事、そして自分の目でそれを見られる・実感できる仕事がしたいと思うようになり、一転してサービス業を志すようになりました。
外食産業での気づき
新卒で入社したのは、大手飲料メーカー傘下の外食サービス会社でした。中学・高校時代を過ごした神戸の中心地で、国内の観光客や海外からのツアーのお客様を相手に、高度なコミュニケーション技術が求められるレストランでの勤務でした。
華やかな世界でサービスのプロとして勤務することを誇りに思う一方、毎日大量に目にする食品ロスに、心を痛めるように。生産者さんのお顔や苦労に思いを馳せた幼少期があった私だからこそ、そこに目を背けられなかったのかもしれません。
自分が本当にやりたいこととは、誰もが豊かに、幸せに暮らせる地域社会の一助となること。そう感じて、公益性の高い別の道を志すことにしました。やりたくないことと真正面から向き合ったからこそ、本当にやりたいことに気がつくことができたのだと思います。その後私は、大阪府内の市役所に入庁することとなりました。
コロナをきっかけに、地域に。公務員からの独立
市役所では、医療費や教職員人事などの担当を経て、入庁10年目で広報部局のマネジメント職を務めました。ここでは、市政情報の発信(=広報業務)のほか、総合コールセンターの運営、市民相談窓口などの広聴業務、危機管理広報なども担当しました。
この頃は、コロナ禍の真っ最中。緊急事態宣言が発出され、不要不急の外出を控えるよう言われる中、何故だかシニア世代の方が市役所にたくさん訪れるようになりました。お話を伺ってみると、その理由は「スマホからワクチンの予約をする方法が分からない」、「マイナンバーカードのネットからの申請が自分でできない」とのこと。
緊急事態であるにもかかわらず、市役所のロビーがデジタルが使えない人で溢れかえる様子を見て、私は「このまま役所の椅子に座ってるだけではあかんわ・・」と危機感を募らせました。
ちょうどその頃、広報の研究のために個人的に始めたInstagramで、近くの大阪府・豊能町の社会福祉協議会さんが、主にシニアの方で構成されている町民団体のWEBを活用した広報活動を支援するプロボノワーカー(経験を活かして社会参加・課題解決を手伝うボランティア)を募集されているのが目に飛び込んできました。「今、私にできることはこれや!」そう感じた私は、その募集に即決で申し込みました。
社協さんや団体さんとの面談を経て、正式にプロボノとして採用いただき、メンバーの皆さんとの話し合いを経て、SNS立ち上げプロジェクトがスタートしました。当時35歳の私が中心となり、70歳代のメンバーの皆さんとともに、アカウントの立ち上げやInstagramの講習を行いました。5回の活動を通して、メンバーの皆さんと私との間には深い信頼関係が生まれ、この上ない感謝の言葉をいただきました。公務員ですので、きちんとした報酬などはいただけませんが、皆さんが自走できるまでの支援を終えた後、私のために温かな打ち上げを開催していただき、その後の活動への期待とエールをいただいたことは、忘れられません。
このことをきっかけに、地域に出てそこにいる素敵な想いを持った人と触れ合う楽しさと、「◇◇市役所の◯◯さん」ではなくて、自分の顔でと名前で仕事をすることに大きなやりがいを感じました。長らく役所で勤めてきた私にとって、それは人生観を大きく変える革命的な体験だったのです。
そして、地域に埋もれている素晴らしい取り組み、面白い人、価値のある物を、広報・PRのサポートを通じて世の中に届けたいと、強く思うようになりました。
MUSUBI LAB.に込めた想いと、これからの目標
その後、市域の事業者の発展を支える産業振興部局のマネジメント職を経て、2023年9月にスモールビジネスのための広報・PRの相談所「MUSUBI LAB.(ムスビラボ)」を創業しました。
MUSUBI LAB.は、「人を結び、人に結ばれる子になりますように」と母がつけてくれた「結(ゆい)」という名前から取ったものです。広報・PRによる人と人との縁結びを通じて、魅力的なモノ・コトとそれを必要とする人が出会うきっかけづくりをし、幸せに暮らす人を増やしたいという願いを込めています。
この相談所は、兵庫県の小さな田舎町・猪名川町で立ち上げました。私が生まれた川西市の隣町です。猪名川町は、ニュータウンを含む住みよい「まちの顔」と、昔ながらの自然が残る「さとの顔」を併せ持ち、大阪・神戸・京都の中心部まで車で1時間ほどと、利便性も兼ね備えた地域です。兵庫県の中でも知名度は低く、京阪神の経済圏からもやや離れていますが、地域資源が豊富で、ポテンシャルの高い地域だと感じています。
猪名川町を含むこの辺りの田舎町には、想いと熱意のある事業者さんや、優れた技術を持つものづくり企業、質の良い農作物を生産する農家さんなど、魅力あるビジネスがたくさんあります。これらの方々は、自分たちの商品に誇りを持っていても、どうしたら自分たちの存在を都市部の人たちに気づいてもらい、ファンになってもらえるのか、頭を悩ませています。私は、地域のあちこちに出向いてお話を聴く中で、そこにいる人たちの素敵な想いに心を動かされつつも、たくさんの「もったいない」を感じてきました。
私は、大企業だけではなく、こうした地方のスモールビジネスにこそ広報・PRのチカラが大切だと考えています。今は、インターネットやSNSの普及などにより、地方からでも、マスメディアを通さなくても、自社からの発信で十分に世間の注目を集めることができる時代になりました。また、国を挙げた地方創生の取り組みなどもあり、地方のユニークな取り組みに関心が寄せられる時代でもあります。
反対に、情報の洪水が起き、似た商品が溢れている今、何もしなければ埋もれてしまいます。せっかく良いものを生み出しても、その価値が届けられなければ、売れないのです。
MUSUBI LAB.は、対話を通じてクライアント様お一人お一人にとっての理想の未来を明らかにしながら、そこに辿り着くまでのコミュニケーション施策の計画を立て、細やかにサポートを行う伴走者です。
「田舎だから」「小さな会社だから」と諦めるのではなく、広報・PRという手段があることを知っていただき、そのサポートを通じて、魅力あるローカルビジネスの発展のお手伝いができればと思っています。
私のこれからの目標は、地域資源や個性を活かした「豊かな田舎町」を一つでも多く作ることです。
そのための取り組みの一つとして、このnoteでは、「ローカルなしごととくらし」を楽しく、豊かに!をテーマに、地方でのビジネスにちょっと役立つTIPSや、Yuiが実践する軽やかな起業についてのよみもの、MUSUBI LAB.の最新情報をお届けしていきます♩
良かったらお読みいただけると嬉しいです。これからどうぞよろしくお願いいたします^^
▽MUSUBI LAB.ホームページ