ボカロってフィギュアスケートみたいだ

つい最近までピアノ弾き語りがあまり好きになれなくて
どうしてなんですかねえ、とライブハウスでぼやいていたら
おそらく彼ら彼女らはクラシックから入っていてロックを通っていないからだ、と結論が出た。
なるほどね〜〜〜そうかそうか〜〜〜とのほほんとスッキリさせてもらった。

けれど、最近気付いたのだ。
わたしにも通っていない重要な道があるではないか。
そう、それは、ボカロです。

今のポップスの最前線にいる方たちってみんなボカロに影響を受けているような気がするし、
わたしの周りにもボカロ好きがたくさんいる。
音楽をやっている友人が、
「自分のポップスのルーツは米津(玄師)だと思ってたけどゲス(の極み乙女)だったわ」
なんて言っているのを聞いて、
どちらも……通っていない……となんだか異星人を見るような目で呆然としてしまった。

そういえば確かに、小学5年生あたりから、みんな
カゲロウデイズだなんだと教室で盛り上がっていたな。
みんなが口ずさむメロディはなんだか馴染みがなくて、複雑で、何度聴いても全体像が掴めなかったし、
ねえそれよりMステ観た?と言い出すこともできずつまんないなーと思いながら、わたしはいきものがかりやゆずを相変わらず熱心に聴いていた。

そんな過去を取り返すべく、今一度ボカロを、!と思って再生してみるが、やっぱりしっくりこない。
好きとか嫌いじゃない、知らない。わからない。肌に合わない。
まずそのスピード感に置き去りにされ、情報量に圧倒され、音がすごい勢いでわたしを通り過ぎていく。早口の英語で何かを捲し立てられているような心地になり、私はただ呆然と立ち尽くすことしかできない。
でも、これを好んで聴いている人が同世代にはたくさんいて、これが青春の象徴だって人たちもいるんだもんな、そりゃ創る音楽は異なって当然だ、と妙に納得して再生画面をブラウザバックした。

では、ボカロが駄目なら別の道を、と思い
今 流行りのK-POPなんか聴いてみたらいいんじゃないの!?と勢い込んで韓国アイドルの曲を再生したが、すぐにまた居心地の悪さを感じてしまった。
格好いいのはわかるし、最先端って感じもする(感想が阿保そう、本当にわかってる?)し、とても洗練されていると思うし、でもその良しとされているところが肌に合わないのでもうどうしようもなかった。

なんだかフィギュアスケートみたいだなと思うのだ。ボカロも、K-POPも。
氷のように冷ややかで洗練されていて、薄氷の上を滑るような繊細さもありつつ、ダイナミックな技を何度も何度も決めていく。表現と競技のギリギリの瀬戸際を攻めていく感じ。そのヒリヒリ感に熱狂する人たち。

でも、わたしは氷のような冷たさ、クールさではなくて、
お日様のようなあたたかさ、朗らかさが欲しいし、土の匂いがして、四季がある音楽が好きだ。
スピード感のある刹那的な音楽より、過去と未来を繋いでくれるような、そんな歴史や時間が流れ込む音楽が好きだ。
けれど、それを伝えるのは、きっと今の時代には不向きなんだろうな。
3分の曲を作りたい、サビから始まる曲を作りたい、そんなことを思いながらどうしても、アコギでぽろぽろと思い出の断片をこぼしたような曲ばかり作ってしまう。

でももう、それがやりたいのだから仕方がない。飽きるまではちまちまと、ポロポロと、曲を作ろうと思う。
それを聴いたどこかの誰かが、四季の風を感じてくれれば、なんだか懐かしいなと思ってくれれば、人生は点ではなく過去と未来を繋いだ線として存在していると気が付いてくれれば、いいなあなんて思うのです。

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