外側でもなく内側でもないところを感じる
外側の事に反応する時間には、エンタメ的要素がある。
私たちは、身の回りで起こる現実の出来事に、一喜一憂したり、自分のスケジュールや行動の軸を合わせがちだ。
はたまた、メディアやSNSを見て、視覚・聴覚の快楽を得る。
もしくは、情報の渦に飲み込まれ、不安や恐れを抱くことも。
しかし、それもまたこの世の娯楽。
ただ、そればかりだと、本質を見失ったり、「忙しい」と感じる。
逆に、内側と言っても、自分の思考や感情に注目するだけでは、これもまた、この世で生きている意味や使命を忘れるか、逆に、分かったような気になる。
外側の大いなるものと、内なる大いなるもの。
前者は、宇宙とか多次元のエネルギーのようなもの。
後者は、自分の中に存在する、前者との分け御魂のような存在の部分。
その両方に繋がっているという感覚。
それに意識を集中し、研ぎ澄ませてみると、パッと浮かんでくる何かがある。
それは、それこそ、外側の世界の現象として、文字や音声で目の前に現れるかもしれないし、自分の内側から湧き出たかのように感じるかもしれない。
それが、ゼロポイントフィールドと繋がることなのかもしれないし、ハイヤーセルフの声をきくことかもしれないし、集合意識と呼ばれるものを感じることかもしれないし、星の影響を受けていることなのかもしれない。
あるいは、そのどれとも違ったとしても、違わなかったとしても、あまり重要ではなくて。
生きていることに意味を与えるなら、自分を大切にしながら他者の幸福を考えることだろうか?
生きていることに意味を与えたくなくても、不幸になりたい人がいるだろうか?
個人の感情的な満足の先には、他者の感情的な満足が見え、さらにその向こうに、さまざまな命が共に笑う景色があるのではないだろうか?
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