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カテドラルでの年越しミサ
まだ大学1年生かそこらの頃、もう記憶もうっすらとしているのですが、他の教会の青年会の人と共に、カテドラルでの「年越しミサ」なるものに参加したことがありました。12月31日から1月1日にかけての深夜ミサです。それは私が生まれて初めてカトリック教会にお邪魔した貴重な体験でした。ほとんど覚えていないのですが。
私も、一緒に行った人も、もちろんプロテスタント教会に所属していたので、観光半分というか……ひやかし気分でした。誠に恥ずかしいことです。観光とかひやかしとか、教会に対してとても失礼な態度でした。それくらい私には、カトリック教会は「自分の人生には関係のないもの」だったのです。真剣にそこに所属している人々がいらっしゃるというのに。今では懐かしくも恥ずかしい反省の思い出です。
カトリック教会では、年越しミサがあります。今でもあります。1月1日の深夜0時から、「神の母聖マリア」の祭日のミサです。私の通う教会でも既に予定されていて、本当に初詣レベルの時間帯にやるのです。カトリック教会の守るべき祭日の一つです。私はカトリック信者になってから、一度も与ったことがありません。0時だけでなく、もう少し明るくなった午前にもミサがありますが、それにも行ったことはないです。唯一参加した体験は、その大学生時代のひやかしレベルの参加でした。
その深夜ミサでは、広いカテドラルの中で、何が行われていたか今ではよく覚えていません。ただお香が炊かれていた記憶があります。当時の大司教様がミサ開始の際と、ご聖体の祭儀の前にお香を焚かれたのでしょう(今でも同じことをなさっています)。その煙?がもうもうと漂ってきて、「何だろうかこれは」と驚いたような気がします。
そして、ずっと突っ立っていました。カトリック教会のミサでは、立っている時間帯が長いのです。始まりと終わりに聖歌を歌いますが、その際には必ず立ち、そのままずっと立っているし、座るのは……第一朗読(旧約)、第二朗読(パウロ書簡などいろいろ)、説教、司祭によるご聖体の準備の短い間と拝領の後……と、かなり座っているように見えますが、実際には立っている時間帯が長いです。だから若い私は「全然座らないんだな」と思って驚いた気がします。
とにかく、寒かったです。お正月の日ですし、カテドラルは天井が高い。コートを着たまま震えていました。これはよく覚えています。寒かった。それなのに、聖堂はいっぱいでした。
ご聖体を拝領する際は、私たちはプロテスタントなのでいただけません。その程度の知識はありました。ですから席に着いたまま待っていました。思い切って出ていけば祝福していただけたのですが、そんな気はさらさらなかったです。何も考えていない子どもだったので……もったいないことでした。
そして最後までミサの場にいさせてもらって、終わったらみんなで車でカテドラルを後にし(どこに駐車していたのかは覚えていません)、帰り道に24時間営業のファミレスに立ち寄って、深夜というか明け方に帰宅したのではなかったかと思います。本当にひやかしでしかなかったです。ごめんなさい。無知は恐ろしいですね。
そんな私が何十年も経過して、カトリック信者になったわけですから、人生は何がどう転がっていくかわからないものです。現在は1月1日のミサはYouTube配信で拝見しています(0時は困難だし、午前も毎年用事があって行かれないから)。いつの日か「神の母聖マリア」のミサに与れる日がやってくると思いますので、そのときはきちんとかつての反省を込めて、しっかりとご聖体を拝領したいと願っています。