『いつかみんなでごはんを』
昨日、一冊の本を読み終えました。
碧月はるさん著『いつかみんなでごはんを 解離性同一性障害者の日常』。
著者の碧月はるさんは、私の友だちです。最初に彼女を知ったのは、このnoteの上で。彼女の書いたものを読んで、ぴんと感じ、コメントを残したのでした。
当時の私は、今とは違うペンネームを使っていました。だからはるさんは、今でも私を当時のペンネームで呼んでくれます。
はるさんは子どもの頃から、とても過酷な虐待を受けて育ちました。さまざまな虐待です。その内容は本にいくらか(すべてではない)書いてありますので、よかったら読んでください。両親からの虐待がここまで苛烈なものだったのかと、息が詰まるような気分になり、はるさんをぎゅっと抱きしめたくなります。彼女は虐待サバイバーです。
そのはるさんが生き抜くために、解離性同一性障害を抱えることとなった。理解されにくい障害です。この本に書いてあることを心底理解できる人は、まずいないのではないかと感じられました。私も理解している気になっていましたが、全然理解などしていませんでした。心のどこかで理解している気分になっていた自分を、深く恥じます。ごめんなさい。誰にも、わかるわけがない。
ただ私は思いました。理解はできないかもしれない。けれど、できるだけそばにいたい。そばにいて、何ができるわけでもないけれど、とにかくいつだって「はるさんは悪くないんだよ、あなたは何も悪いことはしていないんだよ、悪いのははるさんを痛めつけた人たちだよ」と言い続けたい。そんなことを決意し直しました。
どんなにか苦労の多い日々を送っているかと感じますが、はるさんの文章は非常に軽やかで、優しくて、読む人を安心させます。たくさんの苦しみの中で、ささやかな幸せをいつも大切にしています。彼女のそういう姿を、私はとっても尊いと感じるのです。
物凄く、苦しい。もう生きるのなんか嫌だ。どうして私ばかり、こんな目に遭うのか。そうやって生きることを放棄しようとした日々もあって、それでもたくさんの「みんな」が助けてくれて、今のはるさんがいます。「みんな」、はるさんの味方なのです。子どもの頃からずっと、味方なのです。
いつかみんなでごはんを。この「みんな」の意味は、ぜひあなたが読んで確かめてください。きっと「そうだったのか」と心に響く言葉となるでしょう。この本のタイトルにふさわしい、いや、この本のタイトルはこれしかないと思わせられるでしょう。
なんらかの「サバイバー」の人は、たくさん存在します。私もまたその一人です。多くの「サバイバー」のために、彼女は今日に至るまで、たくさんの声を上げています。勇気をもって、声を上げているのです。彼女の声を、聞いてください。ぜひ、耳を傾けてください。「サバイバー」である、あなたこそ。そうでない人も。
はるさんの呟き、はるさんの叫び、はるさんの怒り、はるさんの微笑み、はるさんの涙。それらすべてが、多くの人に届きますように。