関夢郁(せきゆい)とは
刺繍作家をしています。
同時に、身体のパーツをメインとしたデザインを作品として仕上げるイラストレーターをしています。
どちらも、仕事として始めた理由がありまして、今回はそのお話を。
今から約3年前。
それまでは、ダンスインストラクターをしていたのですが、今回そちらのお話は置いといて。
家族の検診に私も一緒に行く事になり、仙台から東京(当時は仙台に住んでいました)そして慶應義塾大学病院へ。
入り口から受付…
ここで、私の記憶は止まっています。
目覚めたら、1週間後の日にちに変わっていたのですが、その時も記憶はしっかりしておらず、1ヶ月間の入院から半年のリハビリという生活習慣へと急遽変更。
結局何が起きたのかと言うと、家族の検診の最中に倒れてしまい、その際手で床を受け止め身体を支えるという行為がなかったため、直接頭を打ってしまい頭蓋骨を骨折と同時に脳を傷つけてしまい脳挫傷(のうざしょう)になったとの事。
仙台に引っ越してからの新しい記憶も失ってしまい、集中治療室での入院期間は家族の名前を間違えて、物の名前も忘れて、暴言をはいていたという事を後ほど教えてもらいました。
病院で倒れた事が不幸中の幸いで、外でこの事態が起きていたら亡くなっていたという事、そして脳の仕組みが逆だった(本当なのか…と思ったのですが検査しての結果 かつ 心臓が左胸に寄っているのが通常に対して右胸に寄ってる方もいらっしゃるという話もよく聞いた事があるので)という事がとても良い方向へ導き、想像を絶するスピードで回復していきました。
その後の話まで文章にすると、とても長くなってしまうので中途半端ではありますが、脳挫傷になった話はここまでにしておきます。
イラストは、手を使うという行動自体がリハビリになるという話を医師から教えて頂き描き始めました。そして、どうせ描くなら脳挫傷の経験から人の身体に結びつく作品がいいと思い、そのまま身体のパーツにしよう!と。
また、車の運転が禁止されてしまった事と、倒れた原因が分からなかったので外で就職をするのは無理があると言われた事もあり、開業する決断をしたのですが、何をするか考えた時に思いついたのが、刺繍。
刺繍も、手を使う作業なのでとても良かったのと同時に、ダンスインストラクターの経験から衣装を製作する手助けになれる(裏方にまわる)と思い、絶対に天職だ!という確信があったので、迷わずすぐに決めました。
イラストを描く事も
刺繍をする事も
当時30歳の私の新しい人生の始まりであり、脳挫傷になった事が今では逆に良かったと思っているので、この経験を作品として表現して行けたら…と思い、OpenSeaでのコレクションは2種類のジャンルに分かれた作品(刺繍作品と身体のパーツをメインとしたイラスト)が存在しています。
話の終わり方が、ん~~~…という感じですが。
そんな関夢郁を宜しくお願い致します。
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