英語と米語
イギリス社会にいると避けられない話題:英語(イギリス英語)対米語(アメリカ英語)問題。
(注:イギリス英語もアメリカ英語もそれぞれ地域や階層によって異なる訛りがあるので、「イギリス英語」や「アメリカ英語」と一括りにしてしまうのが乱暴なのは承知しているのですが今回はご容赦ください。地域や階層ごとの訛りについては、それはそれとして note の題材になり得るのですが…書くとなると偏見・差別などの話にも触れなければならないので、書くかどうかはしばらく考えます。)
イギリス社会でアメリカ英語が聞こえてくると、必ず「あぁアメリカ英語を話している人がいるねぇ」というため息混じりのコメントが出る。なぜか。包み隠さず書いてしまうと、誇り高いイギリス英語話者には、イギリスで話されている英語が本流の英語で、イギリスから独立したアメリカで派生したアメリカ英語は亜流である、という意識が根底にあるのである。だから、「ちゃんと英語 (English) を話せばいいのにねぇ、米語 (American) じゃなくてさ。ははは〜」みたいな冗談(に隠された本音か)がよく聞こえてくる。
イギリス社会に本当に馴染もうとすると、どのような発音で、どのような単語を使って、どのような言い回しで英語を話すのか、思っている以上に大切なのである。(関西に住みながら関西弁を話せなければ余所者扱いされてしまう、と聞いたことがあるのだが、それが本当だとすれば似たようなものだろうか。)
私が最初に覚えた英語はアメリカ英語だった。高校時代に1年間アメリカに留学していたというのもあるが、日本の英語教材はアメリカ英語を基盤に作られていたように記憶していてその音に留学前に既に慣れていたので、アメリカ英語を身につけるのは時間の問題だったと思う。私の高校、大学、ロースクール時代を知っている人なら覚えがあるかもしれないが、コテコテのアメリカ英語を話していた。そんな「英語」を操れるようになったことで、ロースクール修了後は広がり続けるグローバル社会(2013年当時。この10年程で世界は変わったものだ)でやっていかれるはずだと自信も少しついていた。
そんな中、ロースクール修了後に就職したのはイギリス系法律事務所の東京オフィス。当時はほぼロンドン本社からの出向者や英連邦出身者(オーストラリアなど)で成り立っていた。今思えば、それが私にとってイギリス社会との最初の出会いだった。入社初日に各部屋を回って挨拶していたところ、シニア・アソシエイトの1人が開口一番「どうしてアメリカ英語を話すの」と真顔で一言。「私の発音でどうしてこんなに糾弾されなければいけないんだ」とむっとするのを抑え、「アメリカに合計約2年半おりましたので」と最小限の答えに留めて次の部屋へ回った。
それ以降、私の発音が頻繁に話題にのぼる。「”Dance” って言ってみて!」とか(a の部分の発音がイギリス英語とアメリカ英語では大きく異なる)、「”Regulatory” の言い方がおかしい」とか、質問でもないのに文末が全て上り調子だ、とか。私としては、チーム・メンバーの話していることがさっぱり分からない。仕事の指示は何とか解読できても(それでも何回も聞き直した)、日々の雑談や冗談が理解できないことが致命的だった。そのせいで会話、ひいてはチームの輪に入れない。(イギリス社会での冗談、ユーモアのセンスについては別途書こうと思う。)
こうなる予兆はあった。面接でイギリス人のパートナーと話している時(「イギリス人紳士」を体現したような人だ)、どこまでが私への質問で、どこからが雑談なのか分からなかった。面接当日は緊張のせいにしていたのだが、振り返ってみれば単に彼の話すイギリス英語を理解する能力が当時の私にはなかったのだ。
予想もしなかった大打撃。英語について持っていた少しの自信は全て崩れてなくなった。私はこのままチームで浮いた存在になってしまうのか、と目の前が暗くなった。
人間、存在に関わる危機感を覚えると、考えや態度なんてすぐに変わる。それまでは「私は私の英語を話すんだ」と変なプライドで発音を変える気はさらさらなかったのだが、以降は「もう、郷に入っては郷に従え、だ」とイギリス英語を身につけようと決めた。私がイギリス英語を話せないことが話の種になるのも飽きてきた頃だった。一端頑固な態度を捨てると、イギリス英語の癖やパターンが見えてきた。そういった特徴が分かると、負けず嫌いの性格も幸いして(それとも災か…)、思いの外順応しやすいことも分かった。結局英語は私の第二言語なので、発音などが調整しやすいのだ(関西弁の真似をする方が難しい)。
イギリス英語を自分の話す英語に取り入れ始めた頃、それはもう気恥ずかしかった。「頑張ってイギリス英語話そうとしちゃってる子」みたいに見えるのが嫌だった(実際そうだったから嫌がっても仕方がないのだが)。ただ毎日続けていると、初日に私の発音についてコメントしたシニア・アソシエイトが「Yui の今の質問聞いた!?きちんとしたイギリス英語になってきたね!」と褒めてくれた。こうなったら私のものだ(褒められて伸びるタイプ)。それ以降、ケンブリッジ大学出身の美しいイギリス英語を話すパートナーの部屋に割り当てられた幸運もあり、5年ほどかけて私のイギリス英語教育が続いた。
その結果、今は「イギリス英語っぽい響きの英語」を話すに至っている。イギリス人に「イギリスのどこで育ったの?」と聞かれるともうその場で踊り出したい気持ちだが、最初に話したのがアメリカ英語なので時折その形跡が意図せず姿を現してその度に悔しくて心の中で泣いている。より精度を上げるべく、日々イギリス英語のポッドキャストを聞いたりドラマを見たりして(最近は Downton Abbey)、耳から鍛えている。
副作用として、アメリカ英語を話す能力が失われた。あのいちいち r を巻く会話は、顔や舌の筋力が衰えてもうできない。そして今アメリカに行くと「アジア人の顔をした人間が目の前でイギリス英語を話していてる…」という衝撃を与えてしまい、そこから「どこから来ているのか、なぜそのような英語を話すのか」と話が展開することとなり、スタバの注文でさえスムースに進まない。チャイラテが欲しいだけなのに。(私の経験上、アメリカではアジア人の顔をしていると、アメリカ英語を話すか英語が苦手かのどちらかと推測されるので、そのどちらでもないとなると困るらしい。)
頭の中にスイッチがあって、イギリス英語とアメリカ英語を切り替えできる仕組みがあれば便利なのに、と時々思う。だけれども私の小さい脳の限られたスペースではどちらか一方しか扱えないので、今ではもうその現実を受け入れて、その時にその場で必要な「英語」が話せれば十分だ、と思うようにしている。その一方、これからもずっとイギリスに住むだろうし、イギリス英語に磨きをかけたいと思っているのが本音だ。この10年で大分洗脳されたものだ。イギリス英語らしいものを話そうとしている私を見たら、「頑張ってイギリス英語を話そうとしちゃってる子がいる」とそっと見守ってくださったらありがたい。
おまけ:イギリス英語とアメリカ英語の違いなどについて意外とよく質問を受けるので、FAQ形式でまとめてみる。答えはどれも私の経験ベースなので、あくまでご参考までにどうぞ。
Q1: 日本語を母語とする人がこれから英語を勉強する場合、イギリス英語とアメリカ英語、どちらの方が取り組みやすいか。
A1: 読み書きはほぼ同じなので(書く際のスペリングが多少異なる程度)なので、話すこと、聞くことについて。
話すことについては、イギリス英語を話すことのほうが習得しやすいと思う。アメリカ英語ほど発音が大げさではない、というのが理由。
聞くことについて、アメリカ英語は発音・抑揚ともにはっきりしているので、一度癖を掴めば慣れるのは早い。イギリス英語の方が、抑揚も控えめでぼそぼそと聞こえる上に早口の人も多いので、慣れるまで時間がかかる。
Q2: アメリカ英語からイギリス英語に変えて、良かったこと、良くなかったことはあるか。
A2: 思いつくところをいくつか。
アメリカに行くと、お高くとまっていると思われる。
イギリスでは、周りの人に受け入れてもらいやすい(やはり似たような言葉を話すということは安心感を周りに与えるらしい)。
アメリカ英語の方が一般的に声量が大きいので、アメリカ英語を話していた当時は本当に騒音公害だったと思うごめんなさい。(もちろんアメリカ英語話者でも柔らかい話し方をする人は一定程度いる。)
Q3: 総合すると、イギリス英語とアメリカ英語、どちらをおすすめするか。
A3: 将来的にアメリカを含め北米のみとの関係を視野に入れている場合は、アメリカ英語をおすすめする。世界の他の部分(特にヨーロッパ)も視野に入れている場合は、イギリス英語がおすすめ。ヨーロッパでアメリカ英語を話すと、「アメリカ英語を話す○○さん」のような形容詞で認識されることが多い(それで逆に覚えてもらえる、とプラスになる場合もある)。