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ピントの合っていない自分の写真を撮られたら嫌と思う。言葉も一緒だ。

今日は、“ホンモノガタリ” というインタビュー企画があった。聞き手は大竹さんで、語り手が汐理さん。私はその場で相槌の言葉もさっと出てこないし、インタビュアーへの道は程遠い。そんな私は、パシャパシャと写真を撮っていた。

“インタビューっていうのは聞き出したいことを話してもらうことが多くて、ホンモノガタリはそうじゃなくて。だから楽しい” って大竹さんが言っていて、そう話す大竹さんは本当に楽しそうに見えた。

このnoteはどこまでも曖昧で輪郭はなくて。インタビューの内容なんて載っていない。

それでも確かに今日の汐理さんの言葉から、私の心の中で勝手に生まれちゃった言葉だ。とりとめもない。それでも、そんな感情を大事に残しながら、私は生きているなぁと思う。

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汐理さんが私の上司であるならば、こんなに素敵な人、全国を探し回っても出会えるものじゃないし、なんてラッキーなのだろうと思う。これは本当の話で。何度だって思う。

汐理さんと出会ったのは、今年の春だ。笑った顔が可愛いと何度思ったかもう数え切れないし、いつも一目惚れしている感覚さえある。ランチにCOHSAのポークライスをいっしょに食べながらしくしく泣いている私にかけてくれた言葉に、私は何度も救われたし、これからもずっとその言葉をふんわりと大事にしながら生きていくのかなと思う。関係的にこの言葉は相応しくないのかもしれないけれど、私は汐理さんが大好きだ。

季節は春から夏に変わった。

一方、私のことは汐理さんにあまり話していないと自分でも思うけれど、私は静かに汐理さんに惹かれているし、心が開くのがわかる。

昨日も今日も。それから明日も、明後日も。あれ、明明後日もきっと汐理さんに会う。なぜだかわからないけれどその度に動く。会う度に、心が少し揺れる。

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昨日はコーチングみたいなものを受けた。“結衣ちゃんにとって書く仕事は天職” という言葉をもらったりもした。そもそもそのコーチングも、私が皆とセミナーを受けているときに泣きそうな顔をしていたから、セミナー終了と同時になだれるように始まったものだ。

普段から打ち合わせをしていても、議事録をとっていても、なぜだか心がじんわりしてきて泣きそうになることはちょこちょこある。基本的に情緒不安定だし、情緒は不安定だから情緒とも思う。

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そして最近思うことがあって。私がものを書くという仕事を選んだことは、“人生最高の選択” であるような気もするし、“人生最大の失敗” であるような気もしている。私は話すことを諦めた節がある。

本当ならば、今日みたいに汐理さんへの気持ちが溢れたならば、汐理さんへの溢れる想いをキラキラとした眼差しに変えて目を見つめ合いながら話したり、お酒を片手に熱く話の続きを語り合ったりするだろうし、今みたいにインタビュー後すぐに近くのカフェでパソコンのキーボードをぱちぱちと叩いてnoteを書いたりはしないのだろう。

“直接話すのがいちばん伝わる” というのに異論なんてないけれど、私は書いちゃうのだ。

心と書き言葉はそのまま繋がっていて、心と話し言葉はそのまま想いを載せることがうまい人もいればへたっぴな人もいるし、うまいとかひたっぴとかいう話ではないということもなんとなくわかった上で、私はそれでもへたっぴと思う。

目が合うと、“見る” というより “見られている” ということに意識が向いてしまうし、自分の声が好きでなくて、言葉を載せていても自分の声という音に意識が向いて、言葉は宙に浮いた感覚があるし、嘘みたいに聞こえることさえある。本当の気持ちを伝えたいだけなのに。

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インタビューについて少し自分の考えを書くと、その人の言葉っていわばその人自身で、人を言葉で表現するっておっきなおっきな責任が伴う。

例えば、自分の写真を撮ってもらってピントが合っていなかったり、なんだか好きになれない角度だったりしたら嫌と思う。

逆に、キメた顔じゃなくても素敵な表情を切り取ってもらえたら嬉しいし、気づきもある。

そして自分の姿は自分では見えない。

言葉も一緒だと、私は思ってる。

心のピントをきちんと合わせて、その人のお気に入りの感情を言葉に写したいし、その人の気づかなかった言葉の魅力まで、拾うことができたら、書くことって素敵だなと思える。

“素敵なインタビュー記事を書いてくれてありがとう” と、“宝物になりました” と、言ってもらえた時は嬉しかったけれど、“それはあなたが素敵だからです” と、 “紛れもなくあなたが私に話してくれた言葉です” と、思う。そう思う反面、少しだけ自分を褒める。

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私の写真を “うまい” って言ってもらえて、嬉しい。

私の文章は “好き” って言ってもらえて、それがすごく嬉しい。

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私はとりとめのない言葉やモノコトが好きだし大事にしているし、インタビューをしていてこんなことを言うと元も子もない気もするけれど、その人が何を頑張っているかとか、手と足と頭をどう使っているかとかは別に何だって良い。ましてや肩書きなんて本当に興味がない。

ただ、話を聞いているときに、言葉そのものや、言葉に載せられた気持ちや魂みたいなものを感じる時があって、それを見つけたら、宝物みたいに自分の心の中に飾っている。

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新卒フリーランス歴もうすぐ5ヶ月、初めての夏。人生25年目の夏だ。バイトも週3でしているけれど、ライティングと、ちょっぴりデザインや撮影や動画編集のお仕事の収入で、会社員の収入くらいにはなりつつある。いまはまだ私にできることといったら感謝しかなくて貢献ではない。頑張らなければ。

“お仕事で感情は使わないけれど、感性は使う” そんなことを思いながらお仕事をしてきたけれど、そんなの無理だった。嫌なことは嫌だったし、苦手なことは苦手だった。合わないことだって、やっぱりあるみたい。

“本当にしたいことはなに?” と聞かれると “インタビューとか、人の気持ちを言葉にしたい” と答えてはいる。

ライターとしていちばんやりたい仕事といえばそうだし、嘘ではないけれど、インタビューをする人よりされる人でいたい気もするし、言葉を仕事にするならば本当はコピーライターやエッセイストや小説家や絵本作家になりたいという気持ちは最初からある。なるというより、在るものなんじゃないかという問いも。

そして、だから何かしているわけでもない。自分の世界観の中で生きるには見えていないことが多すぎるし、まだいろんな人の感情に触れて揉まれたい。自分の中での真理を見つけるのは、まだまだ先延ばしにしたい。

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汐理さんに仕事に取り掛かるのが早いと褒めてもらったので、夕ごはんのあとひとまずお仕事の記事を1つ完成させよう。

とりあえずはそんな感じの日々で、私は結構気に入っている。

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