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上司はいらない×パッシブインカムがほしいHSS型HSP セルビア人ブロガーからコンテンツの作り方のレクチャーを受ける

昨夜、いつも通り眠たくなるまでオンライン英会話をしていた。3人くらい好きなセルビアの先生がいるんだけど、昨日はセルビアでブログからコンテンツをつくって収益を上げている先生が、私にできそうなオンラインコンテンツ販売までの道のりを教えてくれた。

めちゃくちゃありがたい。
彼女自身『フリーのレッスンみたいね』と話していて、本当にその通りで感謝しかない。


私自身は、家庭科という科目は可能性のある箱だと思ってきた。

元々はアメリカ由来のハウスワイフを育成することが主な目的で戦後日本に導入され、始まりはとても保守的なものだった。

高度成長期には、男性を支える妻を育成するために(この価値観の刷り込みの影響で、働きたいけど働けなかった女性たちが一定数発生)

低成長期には、働く女性を育成するため(働く女性が打ち出されるが、そのほかの仕事の調整にまでは深く突っ込まないため、女性に仕事×育児介護×家事が集中することになる)

人口減が著しくなった今は、労働・育児介護・家事が女性に集中しているから、そりゃ人口減になるよね?『仕事も家のことも男女で協力しないと』という論調のものが増えている。(共暮らしや同性婚の扱いもあり大分現実に即した内容になったものの、政治を動かしていく具体的な方法が示されていないため、具体的なアクションには結びつきにくく、伸びしろが大分ある感じの仕上がりになっている)

概ね、その時の政府が必要だと思う人材、政府にとって都合の良い人材の育成に沿った内容で教科書が作り替えられてきた。


教科書検定(政府のお許し)はありつつも、その時々の政府に都合のよい人材の育成を目的とした内容の教科書から、女性が経済力をもてるように人権を獲得できるようにチクチク疑問を投げかける教科書まで、ある程度の多様さはある。

その学校の『家庭科の先生』たちが、どの教科書会社がいいのかを選び、生徒に伝えていくことになるわけだが、ここで、『家庭科の先生』になりたい人達のタイプが大きく影響する。

『家庭が絶対的、恋愛と経済と生活が三位一体になった家庭こそが家庭である』という戦後なされた政府のアナウンスに忠実な保守的な人達、
『一人でも家庭じゃない?女性も男性も人として幸せであるには、傾き過ぎた天秤を知ること、戻すための具体的なノウハウが必要だよね』と考えるリベラルな人達、

私が出会った家庭科の先生たちは、保守派が大多数な印象。
家庭科は『家庭』がすべての思考のスタートになっているので、家庭を一度自分で分解して解釈しなおさないと、フラットに物事をみることは難しい。

この分解と再構築をストレートの学部生たちが行うことはかなり難しい。成育歴で既存の権力に対する疑問がある一握りの人達が到達できるところなのかなって印象。

結果、学校に導入される教科書は、リベラル少数、保守的なもの・中道が大多数な印象がある。


やりようによっては、『生活を科学する、生活を哲学する、自分の人生を望むように創り上げる』余地がある、めちゃくちゃ面白い科目なんだけど、そういうスタイルの授業を受けた人が少ないし、進学校ではだいたい授業時間数が少ないからダイジェスト版でしか経験したことが無い人が多い。結果、だいたい『料理か裁縫の印象がある、他の科目の勉強をしていた』という人が多い。

進学校の運営や文化自体の教育虐待が根深い印象もあるけれど、家庭科と体育を軽視することが、彼らのwell-beingにけっこうな影を落としていると思っている。


話を戻すと、
自分のやってきたことを説明する場合、以下の内容を話さないと誤解を受けがちで伝わらない。話してもポカンとされることが多いので、最近は伝わりそうな人にしか話さない。

『私は大学に入る前にNZで生活をして、福祉制度、人権意識の違いに興味をもっていた。大学では現代社会の先生になろうと思っていて、哲学の先生について”常識”を問い直す訓練を受けた。社会科は中堅から進学校だと、塾のような詰め込みスタイルを求められることがあるから、それはいやだった。だから、同じ社会学のくくりで、生活・人生を扱うことができる家庭科という箱の中で、常識を問い直す、多様性を知る、個人が幸せを追求する方向での授業づくりをしてきた。』


ここはずっと熱が巡っていた。これをオンラインでできたらいいなってなんとなく思っていたけど、HOWとニーズが謎でずっとなんとなく思ったままだった。

傷の手当があらかた終わった今だから、またこの問題に向き合える、むきあってもいいと思えるようになったんだとも思う。

そんな私に、『こうしたらいいよ』って例と動線を教えてくれたセルビア人の先生、本当にありがとう。

以下はその覚書。


世界的に糖尿病、肥満の人がふえていて、地中海食と和食がヘルシーフード認定されている。また、日本人が長寿であることも知られている。そしてインバウンドの波。私は食事は誰かが栄養バランスのとれたものを作ってくれるならありがたくいただく食べたいタイプだけど、人に料理を教えることはやってきたし、割と好き。英語もなんとかできるなってレベルにまで上げた。

今検討している宿泊ビジネスと掛け合わせて、他と差別化を図れるよねーって思っていた。

コンテンツでの収益化を狙うなら、Wordpressブログが良いとのことで、作ってみたものの、未だにあんまり自身が無い。でも、やればできるってことはわかった。


今色んなことをやっていて、この色んなことをやっている状態は、収益化から遠ざかってしまいがちでよくないなーと思いつつ、どうしても色んなことに手を出してしまう‥‥

今は多分、目標の解像度を上げている段階なのかな。


半年前、1年前も、ブログで‥‥、料理×英語で‥‥と考えはあったけど、wordpressできるかな、英語でやりたいけど自信ないなって段階だった。

半年かけて、『できるかな』を『うん、多分いける』に変えてきた。

私はRYUJIさんや土井先生、タサン志麻さんのような『料理の人』ではない。
だから、どうかなって選択肢から外してたけど、
時期、リハビリ、ニーズとしては、ちょうどいいのかなって気もしている。

料理の仕方を教えるって、その人のその後の人生、3食×生きる残りの年数分の回数、その人の選択肢が広がって、健康でいられる可能性と幸福度が高まり、誰かに食事をふるまう時にその人どや顔できる回数も増やすことができる。

性教育もその人の健康、人生を守り、選択肢を増やし、可能性を広げるものだから、やっていると楽しいんだけど、なんか今はその気分じゃない。多分、性はその人の人生へのインパクトが大きすぎるってのもあって、どうしても闇とも向き合う時があるからかな。

まずは、料理から社会復帰していこう。


住む場所、リアルからなるべくオンラインの仕事、自分が稼働するスタイルからパッシブインカムへ‥‥

と、いくつもの大きなことの構造改革をしているので、それぞれの調和がある程度取れる状態じゃないとそりゃ自分の中でストップがかかるよね。

基礎が固まっているなかで、初めてのエクストラの部分に取り組むのと、
初めて基礎の工事をしているのとでは、検討事項もトライ&エラーの数も、全然違って当たり前なんだよね。


自分の事業いちからつくるってほんと大変だぁー。

やることありまくるー。


まずは、前からうすうす思っていた、AIの使いこなし方を習得するのが先な気がした。

2,3日どっぷりインストールするだけでも、今後、大分効率よく動けるようになる気がする。

ひとまずYouTubeあさってみようかな。




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