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夫が私にくれる「安心感」のもと

はじめて2人で夜ごはんに行ったときのことを、今でもよく覚えている。

ビールが大好き、という私の言葉を覚えていてくれて、世界のいろんなクラフトビールがおいてあるビアレストランを予約してもらった。(そのときに絶対「僕もビール好きだよ!」って言っていた気がするんだけど、ふだん気心知れた友人と飲むときはもっぱらサワー派であることを知るのは、もうちょっと先の話。)

たくさん種類があるクラフトビールの中からどれを頼もうかひとしきり悩んで、お互いの注文したビールを飲み比べて。2人であれこれ選ぶという体験も手伝って、会話を盛り上げようとがんばらなくても、無理せずに目の前にいる人とごはんを楽しめた。

でも、私的ハイライトは、ごはん中じゃなくて帰り際。

お店を出て、エレベーターを待ちながら訪れた、ほんの少しのしんとした時間。

「楽しかったな…」
視線を床に落とした彼がぼそっと、そうつぶやいた。

無言の時間をあわてて取り繕うように「今日は楽しかったね!」と投げかけるでもなく、私に向けてへんな愛想と好意をまぶした言葉をひねり出すでもなく。びっくりするくらい、ひとりごとだった。

「あ、この人のこと、きっと信用できるな」と、そのとき私は思ったのだ。

その直感はみごとに的中。
「好きです。付き合ってください」というこれ以上の王道などないであろう告白をしてもらってから今に至るまで、私が知る限り、彼はほんとに素直で、へんなプライドがない人だ。

毎日まっすぐに愛情表現をくれるし、不安なことがあったら、見栄を張らずに不安だと打ち明けてくれる。わからないことは決して知ったかぶりしない。思ったことしか言えないから、彼が私の服装や文章表現を褒めてくれるときは、本当にそう感じてくれているときだとわかる。(たまーーーーに、もうちょっとお世辞言ってくれてもいいんだよ?? と思うことが、なくもないけど(笑))

“素直である”ことと、“嘘をつかない”ことは、対人関係においてこれほどまでに安心感を与えてくれるんだな、と彼のおかげで知ることができた。

「その人と仲良くなりたければ、まずは自分から心を開こう」なんてよく言われる。たしかに、自分へ心を開いてくれた人がいたら、嬉しくてもっとお近づきになりたい。

素直な人には、自分からも素直なリアクションを返したいと心がける。嘘をつかない人には、つねに誠実でありたいと背筋が伸びる。そうして築かれる関係性は、“心地いい”以外のなにものでもない。

しかし、彼がくれる安心感を享受するばかりではいけないな。素直に、誠実に。夫のそんなところが大好き、と胸を張って言える毎日を送ろう。


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