この夏、あなたを見送ってからも
「親父がもう、危ないって」
そう父から連絡があったのは、8月10日の深夜のこと。
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大正生まれの御年94歳。
毎日ニュースや新聞にしっかり目を通しては、日本の政治を憂いていた。4時には起きてアユ釣りに行き、その後は自宅の庭を整えるのが毎朝のルーティーン。
毎年この時期は甲子園のトーナメント表を自作して、試合ごとにスコアを書きつけながら球児たちを見守るのが日課だ。
暮らし――いや、祖父にとってはそれがあまりにも当たり前の日常なので、ここでは生活とする。
本当に本当に、私がこの世で知るだれよりも「生活」を営むお手本のような人が、私の祖父だった。
最近は体調がすぐれず伏せっている時間も長くなっていたようだけど、父が最後に会った6月のときには、立って歩いてお見送りしてくれたそうだ。「ま、あと2、3年は頑張るわ」そう言って笑ってたって。
だけど、祖父の身体は想像以上に限界が来ていたらしい。自宅から救急車で搬送されて一晩も持たずに、日付が変わって間もなく逝ってしまった。
倒れる日の早朝にもアユ釣りに行ってたと聞いて、文字通り最期まで生活を全うしたのだな、と我が祖父ながら尊敬の念が絶えずこみあげてくる。
突然主を失ってしまった空っぽな家の冷凍庫には、その日に釣ったアユがぎっしりと詰まっていた。
仕事を慌てて片付け、お盆だというのにガラガラの新幹線に飛び乗って駆けつけた先にいた祖父は、去年会ったときよりふたまわりくらい小さくなって横たわっていた。
歳が歳だから、いつこの時が来てもおかしくはない。
心の中ではそんな気持ちもあったので、連絡をもらった直後は意外と冷静に受け止められていたつもりだった。
だけど、もう目の前にいるこの人は永遠に目を開けてはくれない。会話することもできない。そんな当たり前の事実に正面から打ちのめされそうになる。
そんな気持ちのなかで迎えた告別式当日、ご住職がこんな話をしてくれた。
(私の解釈を多分に盛り込んでいるので、言葉通りではないことをご容赦いただきたい)
死んで肉体が失われても、故人とあなたの関係は続いていきます。
あのとき、こんなことを言ってくれたなぁ。こんな会話をしたなぁ。そんなふうに思い返して故人と向き合う。ときには、怒られたこと、喧嘩したことなど、嫌だったことも思い出すでしょう。でもその言葉や行動の裏には、故人のあなたへの思いやり、愛があったからこそかもしれない。
もう顔を合わせて、言葉を交わすことはできません。ただ、そんなふうに相手との会話を反芻したり捉え直したりすることで、故人との関係はいくらでも再構築していけるのです。
物理的な存在自体はこの世になくなっても、これから故人とどう向き合って、関係を紡いでいくか。
それは、あなた次第ですよ。
もう故人には触れられない、
言葉も交わせない、
思い出は永遠に更新されなくなってしまう。
その事実の重さに押しつぶされそうになったけど、ご住職の話に少し救われた。
というのも私は幼少期、厳格でキビキビとした雰囲気をまとう祖父に少し気後れして、距離を置いていた記憶があったから。
いつ会っても難しい政治や金融の話ばかり。こっちの話をしても、すぐに「俺の若い頃は……」なんて、昔の時代によくありそうな自身の苦労話にすり替わってしまう。
祖父と一緒に住んでいた祖母と伯母がこの世を去ってしまい、私も弟も社会人になって、気付けば家族そろって帰省する機会もすっかり減っていた。
祖父の堅っ苦しい話を聞くよりも、恋人や同僚と遊ぶほうが断然楽しくて、有意義な時間に思えたのだ。ますます祖父へ会いに行く足は遠のいた。
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祖父ってすごいな、もっと話を聞きたいな。そう素直に思えるようになったのは、私の結婚がきっかけだったかもしれない。
夫と一緒にいつづけることを誓い合ったとき、最愛の人を20年前に失ってからもずっと1人で強く強く歩いてきた祖父のことが真っ先に浮かんだ。どんなに喪失感があったか想像もできない。
「妻と娘に先立たれてしまったけど、生きているとそれでも楽しさや喜びがある。命がある限りは、なんとか頑張ってやっていくよ。唯も、支え合って頑張ってな」と、祖父は祝いの言葉をくれた。
とにかく長く生きていてほしい、笑っていてほしい。存在してくれるだけで、こんなに励みになることがあるだろうか。そう思った。
失ってから気づくと、人はよく言う。自分の未熟さゆえ、その人の言動を受け入れがたかったり、理解できなかったりするときもある。
祖父が生きている間に気づけてからは、電話で誕生日もお祝いできたし、夫にも会わせることができた。少しは失った時間を回収できたかな。後悔しても決してやり直せないけど、これからは私がしっかりと祖父との関係をつくりつづけていく。
祖父の自宅から古いアルバムを引っ張り出してみたら、こんな写真と手書きのコメントを見つけた。
唯の多芸により
明るさ楽しさが一段と増中
ゆったりと育っていてうれしい
性格を表すような、しゅっと引き締まった文字。アルバムの他の箇所も、ぴっちりと時系列で、あらゆる箇所に解説や心情が記されている。
律儀な祖父らしいなと笑ったつもりが、アルバムにぽたぽたと水滴が垂れてしまった。
私が物心つくずっと前から、祖父は私を見守ってくれていたんだね。祖父との関係をまた新たに捉え直せたようで、嬉しかった。
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祖父を見送るなか、自分の胸に今までなかった感情が生まれるのがわかった。
それは、祖父から繋いでもらったこの命のバトンを次の世代に受け継ぐことに、もっと前向きになってみてもいいんじゃないか、ということ。
この場で理由は割愛するけれど、私と夫は子どもをつくることに前向きにも後ろ向きにもなれず、自然に任せよう、授からなくても無理な治療はやめておこうと話し合った。
けど、祖父に別れを告げたとき、「家族って、お互いの終わりを見届ける役割があるのかもしれない」とふと思ったのだ。「新しい命を生み、見守っていくこともまた役割なのかな」とも。
それは、うまく説明できないのだけど、今まで私が子どもをつくることに対して抱いていた“義務感”のようなものとは明らかに違っていた。
東京に帰ってきてから勇気を出して夫にこの感情を打ち明けてみたら、夫にもまさに同じ思いが生まれていたようだった。
まだ具体的なプランは何も立てられていないけど(そして計画を立てたからって授かるとは限らないのだけど)、夫ともまた新しい関係になっていくかもしれない。そのことに、少しわくわくしている自分がいる。
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家族ってなんなのか。人生を家族として共にすること、添い遂げて命を見送る、または見送られるってどういうことなのか。
私は祖父と、これからどう向かい合っていくのか。
もらった命を、同じように繋ぐ役割を引き受けることになるのだろうか。
祖父は、私にたくさんの問いを残してくれた。
もらった問いをじっくりと自分なりに考えながら、祖父との関係をこれからも紡いでいきたい。