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だから、私は堂々とのろける。

パートナーのことを、よく「空気みたいな存在」と言ったりする。

長く一緒にいても居心地がよくて、ありのままでいられて、しっくりくる相手はなかなか得がたい。「空気みたいな存在」というのがそういう意味で表現されているのなら、とっても素敵だと思う。

でも、その存在に慣れてしまうとついつい日ごろの感謝や愛の気持ちを伝えるのが気恥ずかしくなってしまったり、相手をないがしろにしたりしてしまう。空気=いるのが当たり前という意味なら、私にはとても違和感がある。

隣にいるその人は、本当にいるのが当たり前?


夫と出会えたことは奇跡だなと常々思っている。

私は元々、かなりの恋愛下手で臆病者、好きな人に好きと伝えるなんて恥ずかしくて絶対無理、心臓が飛び出してきっと死んでしまう、と思うようなタイプだった。告白は人生で一回もしたことはない。
(奥手すぎて、友人からは鉄のパンツを穿いた女すなわち鉄パンと命名されたこともある)

今思うと、素直な気持ちを人にぶつけるのが怖かった。もっと言うと、相手にその気持ちを受け取ってもらえなかった時に自分が傷つくのが怖かった。
恋愛って、お互いの身も心もさらけ出していく究極のコミュニケーションだと思う。傷つきたくない症候群のスーパーチキン野郎な私には、いい恋愛なんてできないだろうな…と、半ばあきらめていた。

そんな時に出会ったのが今の夫だった。

夫は、付き合い始めた当初からすごくストレートに愛情表現をしてくれた。「今日もかわいいね」とか、「今日は会えなくて寂しい…」「一緒にいてこんなに楽しい人はいない」とか。

態度や行動で示してくれるだけじゃなくて、きちんと言葉にして伝えてくれるのは私にとって驚きと感動の毎日。傷つきたくなくて気持ちを素直に伝えられなかった私の心が、だんだんほぐれていくのがわかった。

自分の好きな人から好きって思ってもらえることが、こんなに幸せなんて。
私も相手からもらった分、いやそれ以上に気持ちをちゃんと伝えたい!と素直に思えるようになった。

こんな風に思える相手に出会えて、毎日なかよく暮らせているのは、今までの私からしたら考えられない。これを当たり前だと思ったらバチが当たりそう。

毎日が奇跡みたいに尊いから、この気持ちを留めておきたくて、ちゃんとひとつ残らず言葉にして伝える。

もし、パートナーと一緒にいるのが慣れすぎて、相手のことを褒めたり、感謝したり、好きだよと伝えたりするのは今更恥ずかしい…!と思う人がいたら、それでもぜひ久しぶりに言葉にしてみてほしい。自分が口に出した瞬間、くすぐったくて、でもなんだか幸せな気分で、相手のことがきっと、もっともっと大事に思えてくるはず。

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