愛される理由だと信じていたものが覆された旅。
フィジーという国に留学したことがある。
国民の幸福度ランキングナンバーワンを誇る、まさに幸せの国だ。
この国を留学先に決めた理由は、幸せについて考えるきっかけが欲しかったから…というのは後付けで、ただお金がなかった。
フィジーなら比較的安くで留学ができる、日本人がたくさんいるから安心、あたたかいところが好きだから楽しめそう、そんな浅はかな理由でこの国を選んだ気がする。
実際に、飛行機代、学費、ホームステイ代、その他諸々込みで1ヶ月20万程度で留学できた。
バイト代を貯めて、うんと寒い2月の日本を出た。
当時19歳。海外初経験だった私にとってフィジーで見る景色は全てが新しく、まぶしいくらいにキラキラしていた。空が本当に広いことを生まれてはじめて知った。
風が吹き抜ける開放的なバスで、流れる音楽に合わせて体を揺らした。サンダルを無くして裸足で帰った。体に悪そうな色のアイスを毎日食べた。太陽の下で眠った。どれも心にとても良かった。
ここではどしゃぶりの雨にうたれることも、白い肌が太陽に焼かれることも、手入れした髪が潮風でギシギシになることも、そのどれもを大いに楽しめた。
それと同時に、おしゃれにこだわることやメイクに時間をかけること、女らしさを磨くこと、私がずっと愛される理由だと信じて疑わなかったものが、この国ではどれも安っぽく、取るに足らないものだとすぐに理解した。
ホストファミリーと一緒にその親戚の家を訪れたとき、ママは優しい笑みを浮かべながら私をこう紹介した。「この子、笑うとほっぺがふっくらして可愛いの。」
私の家族はみんな頬骨がでていて、それをコンプレックスに思う母をみて育ったので、「かわいい」なんて戸惑った。
その日から、頬骨を目立ちにくくするメイクをやめた。
目が細かったり、鼻が低かったり、顔が丸かったりすることも実は私にしかない個性の一つで、住む場所を変えれば愛される理由になったりする。
“それ”があるから、誰かに愛されたりする。
わたしが「よくない」と思っていたことを平気な顔で「そこがいい」と笑ってくれる人がいる。そんな国がある。
私はまだたったの19歳で、未来はこれからずーっと続く。人を妬んだり、恨んだり、「自分なんて」と涙を流す夜もきっとある。
そんなときはまた旅にでよう。
この国に戻ってこよう。
荒れた肌を隠すのも、いい洋服で着飾るのも、前髪を丁寧にセットするのもやめて、ティーシャツとショートパンツで海に行こう。夕日を見て涙しよう。
そして思い出す。人が愛される理由は、整った顔立ちでも白い肌でもファッションセンスでもないこと。
美しいものを見て感動したり、誰かを想って涙する、そんな心こそが愛される理由になるのだと。