家族について

うちはかれこれ20年近く別居家庭だ。
物心ついた時から両親の仲の良い姿を見たことがない。
私の兄弟は、下に妹と弟が1人ずつ、彼らはうちの家庭が最悪だった頃、まだ幼かったので当時状況を理解していたのは長女の私だけだった。
そんな三兄弟を連れて母親は実家に出戻るという、沖縄にはありがちなパターン。

私が9歳になった頃(確かその頃に家を新築した)から徐々に綻びが見え始め、10歳になった頃には家庭は完全に崩壊していた。夜になると必ず喧嘩が始まり、父か母のどちらかが車でどこかに走り去り、明け方まで戻らない日々だった。
それでも完全崩壊の終盤には互いに歩み寄る努力を見せ、毎日夜になると家で作った弁当を持って皆で公園に出かけ、その日の晩御飯を公園の原っぱで食べる、ということをしていたが、当時の私からしたら時限爆弾と食事をしているようで楽しくも美味しくもなかった思い出である。
今でもファミレスとか家族連れが多いところで、夫婦自体は破局しているのだけど、幼い子供達の手前仲を取り繕う夫婦みたいなのを見ると思い出がトラウマ的に蘇る。

それでも末っ子である弟が生まれる前は家族でディズニーに行ったり、海でキャンプをしたりとそれなりの家庭だった。
父はアウトドアが好きなおじさんだったので、色んな海に釣りへ行ったり海藻をとったり、海の岩場の洞穴のようになっているところへ行き、そこで半日キャンプをしたりと、のびのびと遊んだ子供時代ではあった。おかげで大人になった今でもキャンプとか海とかが好きだ。

しかし母親とは正反対の人間だったのだろうなとは思う。地元の友人達との関係を大切にする父親と、地元に執着せず外へ出て行こうとする母親、そもそも父の地元は田舎っぽいところで、地元の集まりみたいなやつも多かったから、そういうのに付き合わされるのも嫌だったんだろう。
私は幼少期から母の口から、父への愚痴を呪詛のように聞かされて育った。いつまでも地元に留まる田舎者、とか頭が悪いから、とかなんとかかんとか。
父の地元の集まり、そして父方の親族の集まりでは、母はひとりぼっちだったので、私は母を守ろう、母の役に立とうと必死だった。

母は私が産まれた後、夜出歩けなくなったために、長年続けていたバンド活動を辞めた。
3人の子供を抱え息抜きをする場所がなかったのかもしれないが、ある日父の出張中に昔のバンド仲間のおじさんたちを家に呼んで宅飲みをしていたことがあった。もちろん子供達3人には父に言わないようにと口止めをして。
しかし父が翌日帰宅すると、幼い妹が、昨日おじさんたち来てたよ!と無邪気に報告をしてしまったのだ。 
そのあとはいつものパターンで父がキレ、母もキレては怒鳴り合いの喚き合い、妹の頭上にはハテナマークが飛び交い、事情を理解している私は1人大声で泣きわめく。
弟は赤ちゃんなので寝ている。
これが日常だった。いつも両親の仲を取り持とうと必死だった。不穏な空気が漂うと、気配を察知してわざとおちゃらけて今日の喧嘩はレベル何かなとリトマス試験紙の役割を果たしにいき、レベルマックスだとどうしようもないので泣きわめく。妹と弟は戦力外なので孤独な闘い。

こんなエピソードは数え切れないぐらいある。いつも私は学校に行っている間、母が家出をしていないか怯えていた。離婚とは何なのかをわかっていたから、離婚して家族がバラバラになる事と、両親が揃っている周りの友達の家と違う風になることに対して恐怖が凄まじかったので、離婚の二文字がチラついた時には、少し遠い親戚のシングルマザーの一家を思い出して、大丈夫、親戚の〇〇おねーちゃんのお家もお父さんいない!と自分に言い聞かせて不安を鎮めていた。

小学校高学年の時にはもう色々末期だったので母は私達をつれて実家に帰っては、祖母に帰れ!と言われてまた戻ったりしており、私の居場所は一体どこなんだろうという気持ちでいっぱいだったが、11歳か12歳になる少し前くらいには完全に母親の実家に移動した。父親の涙を見たのはその時以外記憶にない。

別居の原因は兄弟の中で私しか知らないし、私も割と色々知っているが今後それについて兄弟に話す気もない。でも、長女に産まれて両親の為に心を砕いた幼少期がなんて損な人生の土台を作ってしまったのだろうと思う時がある。
もっと両親が仲の良い家の子に産まれたかった。今通っている教会の牧師先生の家の子に産まれたかった。
あともっとお金持ちの家の子に産まれたかった。

私は中高とリストカットを繰り返し不登校になった。25歳か26歳くらいまで精神安定剤を飲んでいた。あとよく病院に運ばれていた。当時は自分がおかしいのだと思っていたが、色々精神的に落ち着いて自分のために生き始めた頃に振り返ってみるとなんてくだらない子供時代を過ごしたんだろうと思う。

世間的には親に感謝しろというのが普通かもしれないし私は怒られるべきなのかもしれないが私は親が嫌いだ、離れて暮らした父親は好きだけれども、母親に対する嫌悪感がすごい。
こんな家の子に産まれてきたくなかった、親を選びたかった。
幼少期の体験のおかげで今の自分があるし、今の自分がとても好きだけれどもそれとこれとは話が別。
母親についてはまた気が向いたら書くかもしれない。

両親のおかげというか、結婚願望がとても強い。一度結婚した相手と、一生結婚生活を続けていくことに異常な憧れと執着がある。クリスチャンになった理由のどこかにそれが含まれている。(キリスト教では結婚についてとても重要視しているからね)

親との関係が社会に出た時、他者との関係に現れた二十代前半だったな、という感じ。アラサーになってようやく、自分というものの本質を見る事ができ、やっと親と自分を切り離そうと思う事ができた。そうするととても生きやすくなった。今までは自分のために生きていなかった。他者に認められるため、他者の承認を得ようと足掻いて、鬱になった。遡ると私の存在を否定し続けた母親に認められたかったのかもしれない。

私にとって家族は幻想だ。
もう取り戻せないものだから、仕方ないとわかっているし、今は今に満足しているからもういいかなって感じ。

正直なところ両親には正式に離婚して、お互いに再婚してそれぞれ幸せになってほしい。なんかもう知らんけど私と関係ないところで幸せになってほしい。なんか私にとって家族はガムテープのはがした後のベトベトが取れない感じに似ている。

多分そのベトベトを当分は放置し続けるんだろう、いろいろとめんどくせえ。


#考えていること #家族 #親との関係 #子供時代














 


 






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?