かつて天才だった過去の自分が教えてくれたこと~楽するための疑い~
こんな記事に興味を持ってくださったそこの方、本当にありがとうございます。当時中学二年生。中二病真っ盛りだった僕が何をしたかというと、倫理学書、ビジネス本、自己啓発本などを読み漁ったんですね。それで「自分は他と違うんだ」と。そこで見つけたことで、中学時代をいわゆる無双した人生訓を、中二病が収まったことですっかり忘れてしまった自分自身にも思い出させるように書いているんですね。
今回紹介するのは「楽するための疑い」です。なんのこっちゃと思うかもしれませんが、これをマスターすると経験上とてつもないアドバンテージを得ることができます。
まず、何を疑うかという疑問が生まれます。楽するために疑うのはずばり「常識」です。
自己啓発本などを読んでいると、「常識を疑え」といっている場面が非常に多いです。実際僕も何十回とみてきました。大体の人が同じことを言っているという点で、真理といえるんじゃないでしょうか。
では、なぜ「常識を疑う」ことが大事なのでしょうか。僕はそれを「楽するため」と結論付けています。
人の技術の進歩は「常識を破る」ことの繰り返しです。
たとえば、「人を運ぶのには牛か馬」という常識を破って汽車が生まれたり、「マグロは天然でしか獲れない」という常識を破って近畿大学水産研究所がマグロの養殖方法を編みだしたり、「雑誌社に入社しないと記事なんか書けない」という常識を破ってnoteみたいなブログが生まれたり。
このように常識を疑ったからこそより早くより多くの人を運べる汽車、いうなれば「楽できるもの」ができたわけです。なので「疑うこと」は決して悪いことではなくむしろ素晴らしいことなのです。
では、どうやって「疑い」を実生活に役立てるのでしょうか。
いまあるすべてのものを疑いましょう。「ここのベッドの配置は当たり前なのか?」とか「私は毎日コーヒーを飲まないと死ぬのか?」など、なんでもいいので探しましょう。そして「ここの家具の位置換えてみるか」とか「今日は紅茶を飲んでみるか」など、変えるところを探して、実際にやってみる。そうすると今までずっと見えていなかった世界がまじまじと見えますし、再放送みたいなつまらない一日が少し変わります。保証します。
さらに「疑う癖」がつくとさらに良いことがあります。たとえば注意力が上がることです。「今日もっていかないといけないものをちゃんと持ったか」など、うっかりミスを格段に減らすことができます。
そして、世界の解像度も上がります。目の前のことを否応なく能動的にみることになるので、目の前のものへの理解が深まります。そうすると何が起こるか。今まで気づかなかった新しい「楽しいこと」に出会えるでしょう。
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