ブレンディみかこ『子どもたちの階級闘争』のメモ
p2
フェミニストの問題を論じるには、ジェンダーだけでなく、人種と階級の問題が切り離せない。聞こえない声というのは存在しない。それはただ、わざと聞いていないか、聞きたくないということだ。
p4
ミクロ視点で個人的に困っているその人を助けるのではなく、グローバル的な戦い(対テロ対策や政治、宗教対立)を正当化するために使われる。犠牲になっている女たちは二の次で、戦争や貧困を作り出した政治家や陰謀家や大企業を避難するだけだ。それで本当に良いんだろうか? そんなことより、「血まみれで倒れているその人」をまず救う/救おうとするべきなんじゃないのか。
p8
ミドルクラスの保護者が、下層階級には厳しいのに、外国人の私には優しい…。
↓
ソーシャル・レイシズムが生まれる根幹
p11
チャヴに対するソーシャル・レイシズム。チャヴというだけで疑われる。下層階級の人の保育所への受け入れ拒否。→ソーシャル・アパルトヘイト
p14
底辺に立つとどれだけ政治が社会を変えるかということが分かる。
p22
スクールランキング上位の公立学校周りの地価は上がり、相対的に安価で質の良い公教育はミドルクラスに奪われることとなる。
p30
希望を与えられず飯だけ与えられると、セルフリスペクトを失う?
(個人的にはお金を与えることが問題なのではないような気がするけれど、ベイシックインカムでも似たような問題が起こりうる可能性があるのか?すべてと思った)
p35
デイリーメールによるゼノフォビアの扇動。外国人どうしが偽装結婚をしているという醜悪な記事が掲載されたそうだが、日本の財務省性加害問題で、麻生太郎の発言が『デイリーメール』にすら批判が載せられていたというツイートを思い出して、なるほど…という気持ちになった。
p46
労働党政権は下層階級の幼児たちの発育が遅れすぎ、上層では進みすぎているという発育格差を是正しようとしたが、それも富裕層教育法に回収されてしまった。貧しい子どもたちを押し上げるためだったはずの教育法は、恵まれた者をさらに押し上げるためのエリート養成法となってしまった。
p50
緊縮には経済的効果よりも、人民をおとなしくさせる政治的効果の方があるのではないか。それは人民を分散し、孤立させ、意気消沈させる。
p58
郷に入っては…という概念は、外国人差別的な同化主義だと信じている。
p58
子どもは社会が育てるものという福祉国家観念が定着した国では、国家が親から子どもを取り上げることもありうる。
(衝撃的だった。なんとなく腑に落ちないというか、モヤモヤした気持ちがあるけれどうまく言語化できていない)
p63
クラスメイトを呼び家で開くパーティーで、子供たちは自分の家庭の地位(どんな人種や親の収入の人) と交際すべきか理解していく。
p76
ジャックと同じように大の字
p81
どんなに貧困でも、未来の方がよくなると信じられる人の方が幸せ→移民の子どもたちの方が明るい
p94
どこの人間だろうと関係なく、問題を抱えた人々、助けを必要としている人が来る場所だったのだ。
p111
日本の保育園では玩具の数が少ない。
p112
日本の子どもたちのおとなしさ、行儀良く演奏し、指示に従う様に全体主義的なものを感じる。
p133
クレメント・アトリー首相(労働党)のNHS(無料の国家医療制度)や公営住宅の建設、大学の授業無償化による底上げ政策により、階級の流動性が生まれ、ミドルクラスが独占していた業界にも新しい階級の人たちのエネルギーが吹き込まれていった。そして、この階級のダイバーシティから「スウィンギン・ロンドン」というユースカルチャーも生まれた。
p136
チャヴに対するソーシャル・レイシズムを働いた保護者たちのその後。
p167
日々の食事ができなくなる人たちが増えたから、フードバンクが国中に必要になっているのに、政府は「フードバンクは社会の一部」なんて言ってる。いったいどんな社会にしようとしているんだろうね?
と友人は続ける。
(日本と同じだな、と思った)
p171
“ふつう”の概念を疑え
p182
色んな人たちが、同じ場所になんとか共生していた。違う信条やバックグラウンドを持つ人々は、話が合ったわけでもないが、互いが互いを不必要なまでに憎悪することはなかった。
cf.エスタブリッシュメントと民衆の乖離
p194
泣くのは諦めたということだから、わたしたちはいつも怒ってなきゃダメなんだ。
p197
DVを子供に見せたり体験させたりしてはいけないという真の理由は、「子供の心が傷つくから」とかいうだけではなく、子供たちも同じことをやりはじめるからである。
p198
(フリーライドすることだけを教え、文化資本?などの全くない人として育ててしまうのも、ネグレクトだと思った。)
p200
あなたたちは駄目なのよの、先にあるもの。そこで終わらない、そので終わらせることのできない何か。その何かはたしかに存在することが、底辺託児所で働くようになってはっきりとわかった。
p204
真摯な褒め言葉
p208
頭で理解しようとするからいけないんだろうけれど、そうしてしまう。同じ所まで降りていくことはできないから。
p218
一人でお留守番させることもDV
(子供に異性装させること、親が鬱であること、依存性だった過去があることが子供を取り上げるための要素となるのは、差別的な感じがした。)
p220
子供をサポートするとは、その親をサポートすること。
p222
児童虐待という言葉がなかった時代には、子供の死亡も別の理由で処理されていた。
p222,223
里親制度の問題点、課題点。
平均して10回、里親が変更される…。
→ドイツ式小規模養護施設が注目されている。
p249
もし虐待を疑われた場合、その証拠として扱われるので、成長記録ファイルのコメントにはどの親も精一杯のライティング能力で書き込んでいる。
p250
くだらない相手だからといって、自分にとってプラスどころかマイナスにしかならない相手だからといって、好きになったものを愛することがらやめられない(こともありうる)
p256
説教とハグ、どちらも不適当な気がする。
p264
自分の投げたボールを誰かがまっすぐに投げ返してくれる。たったそれだけのことで、人はこれほどアップビートな気持ちになれるのだ。