泥沼の中学時代 その5
ホントの泥沼。いじめについて。
気をつけながら綴っていますが、
読後感悪いかもしれないのでご注意を。
3年になり、進路を見定める時期。
将来が決まっている者もいれば、見果てぬ可能性に夢をいだく者もいる。
学力を伸ばすことに必死になったり、見切りをつけたり、各々考え出す。
それぞれの道を決め、勉強あるいは部活へと時を刻みはじめた。
ほぼ二分する女子の人間関係。その一方に私はいた。
ああ、今こっちを見ながら話してる。また何かネタにされてるな。
そんなこともあるが、気にしない。
陰口を聞かないように気をつけていれば、嫌な思いをすることもない。
そうやって自分をごまかした。
ある程度の平穏な生活を送っていたある日、事は起こった。
事件です!
春も過ぎようとしていた頃、体育の準備体操をしていたとき。Rちゃんと私は呼び出された。
「ちょっと来てくれ」
担任の先生が入り口に立っている。Rちゃんと私は何のことかと考えながら後をついていった。
何か悪いことをしたかな?頭の中は堂々巡りだ。
会議室だったか・・・
答えはすぐに出た。
ドアを開けると、Hちゃんがいた。彼女はその日欠席していたので、どうしたのかと思った。
ドアを閉めてHちゃんを見た途端、彼女の顔から涙がこぼれだした。
「わたし・・・もうだめ・・・」
うつむき、ふりしぼるような声で。
Rちゃんと私はお互いを見た。
思い当たることがあったからだ。
「××って私のことなんでしょ?」
××とはHちゃんの隠語のことだ。彼女は全てわかっていて黙っていたのだ。黙って、我慢して、ついに耐えられなくなった。泣きながら話す様子には、悲痛な面持ちがあった。
「私の被害妄想だったの?」
返す言葉がなかった。沈黙したまま、その場にいることしかできなかった。
先生が話してくれた。自殺を図ったことを。
隠語であだ名されること、
自分の表情やしぐさをまねされること、
変えにくい・変えられないコンプレックスを攻撃されること、
目の前で言われて、傷つかないはずがない。
私も言われてるけど、Hちゃんに対する風当たりの方がはるかに強い。
それは明らかだった。
知っていて何もしなかったのだから、私は悪口を言う人と変わらない。むしろもっと悪い人間に思える。自分より下にいる人を見て、どこかで安心していたのかもしれない、最低な奴だ。
彼女の話を聞くと、する側・される側の両方が見えてくる。
真実を知りながら、何もしないでいる私はどちらでもあった。
切実な訴え
Hちゃんの訴えは、すぐに”する側”にも告げられた。
私とRちゃんの入れ替わりで、2人が部屋に入っていった。
教室に戻った私は、後ろ髪をひかれながら過ごした。まわりから何があったのかを聞かれたが、話せる内容ではないので、関係のない話をしていた。
残りの授業を心あらずで受けていたと思う。
・・・長い時間が流れた。
2人は行いを認め、あやまるに至ったそうだ。
今後口にしないこと、もうしないことを強く言われた。
何人もの先生に囲まれ、幾度となく注意を受けた。
教室に戻ってきたときには、疲れと焦燥感がただよっていた。反省の顔色が見られたが、そこには笑みも見え隠れした。
ひどい目にあった。
表情から読み取れるのはそれだけ。
それだけでも、
この事件をきっかけに、2人を含め”する側”は一時なりを潜めた。
繰り返される行為について
Hちゃんがされたことをそばで見ていたので、ここに詳細を記す。
当事者じゃない、傍観者だったから綴れるのかもしれない。
注意:まねしてはいけない!人でなしになる。
女子と男子だと違うかな。
男子はガン飛ばしてくるので反撃に出られる。(意見には個人差があります)
◆男子の場合
にらんでくる
目の前で直接、わかる用語で言ってくる
わかる用語とは、「キモい」「ムカつく」「ウザい」などの定型文。
見た目を悪口に乗せるのでわかりやすい。
◆女子の場合
・横目、流し目で見てくる(冷ややかな視線)
苦手な科目や気にしているところ、何でも笑いあうのが日常。
ねつ造した噂とコンプレックス叩きが特に盛り上がるようだ。
教室、体育館、廊下、トイレ、どこででもネタとなるやっかい事。
トイレでの会話は男子が聞いていないので、よりえぐいものとなる。
遠くから、相手を見ながら笑いあうので、視線でわかることが多い。
・視線を合わせない
わかりやすく精神をえぐる方法。
横に立って会話していても、決して見ることはない。顔も向けない。
笑い話ですら乾いたものになる。
・指をさす
これもわかりやすい。指をさして侮辱する。
主に体育の時間など距離のある時。
運動神経が鈍い相手に対してつかわれる。特に走る・飛ぶ。
自分らはどうなんだ?
指をさすのは失礼にあたるんだけど。
「指をさすなー!」ってめちゃ怒られたことある。
・表情を変えない
終始冷たい表情で会話する。
好きな人にはコロコロ表情を変えるものだけど。
嫌いな相手には、目も笑わず、口角も曲がる。
能面に似た顔なのですぐにわかる。
・しぐさや表情をまねする
給食のときによくある光景。
すぐ隣でまねする様子がみられた。相手をまったく見ずに行うのが特徴。
見えていなくても、ヒソヒソ話でわかるようしむけるのは無意識なのか?
食べ方、まばたき、話し方などをまねてはおどける。
・「○○さん」
仲間同士で通じる隠語(あだ名)を用いる。本人の目の前で平然と話す。
定型文、いわゆる悪口の決まり文句・テンプレート「キモい」「むかつく」「○○」(←コンプレックス)など面と向かって言われる方が、わかりやすくて怒ることができる。けれど、隠語を使って目の前で言われても、反応しにくい。シラを切られたらおしまい。陰口よりキツイ。
・受け答えが「あぁ」「は?」「ふーん」「へぇー」
嫌いな相手によく用いられるどうでもいいあいづち。
話を終わらせて自分たちの会話をしたいときに多い。ときには完全無視のこともある非情手段。
相手に好意を持ってもらうための受け答えの仕方「さしすせそ」なんてものがあるけど、それとは逆の嫌悪感にも同じことがいえると思う。
「さすが」「信じられない」「すごい」「センス良い」「そうなんですか」
この言葉、声の調子を低ーく受け流すように答えるだけでも、突き刺さってくると思う。声のトーンは相手をどう思っているか、非常にわかりやすい。
中身を知ると、ナメとんのか?と思うところもあるが、「承認欲求」を満たすのか、特に男性との会話ではしばしば有効のようだ。
参考HP
使ってはいけない「たちつてと」という用語がある。
「たいしたことない」「ちがうんじゃない?」「つまんない」「てきとうでいいんじゃない?」「とんでもない」
嫌いな相手に使う用語にはならないが、人と話す時にはたしかに使わない方がよい。
「さしすせそ」を卒業して「まみむめも」に変える強者もいた。
余談になった。
嫌いな相手に対する受け答えを思いつかないか模索中。
・地を這うナプキン
いわゆる持ち物を隠す・さらす行為。
持ち主が誰かは特定できていない。
ある日の授業中、どこからともなく机と机の間を転がっていた。
誰も取ろうとしないし、(未使用でも)汚いものだとそばに寄らない。
結局先生が全員を叱って片付けた。
・靴隠し
犯人を特定できない。陰湿。
※寝床にマヨネーズ
寮生から聞いた話。
犯人を特定できない上に、夜中汚れを落とす作業が待っている。
ひとまず、こんなところで。
TPO、「時」「場所」「場合」に加えて、「距離」があると見えた。
Distance. だからといってどうということはない。
ひとかけらの勇気
する側から見れば、時が立てば忘れられることだろうが、された側にとっては一生残る傷となる。
Hちゃんの訴えは勇気あるものだった。
先生が介入すること、大人が立ち入ること、自分が何かを言うこと。ヘタをしたら、余計に言われる立場、がけっぷちへと追いやられるかもしれない。
”自殺”という最終手段にまで追いやられた彼女は、親の発見によりギリギリ命を救われた。命があるからには生きるため現状を変えなければならない。
ひとりではかなわぬので、先生に話すしかなかった。
それが現実・・・
しかし、この出来事から先、公然とした行為はなくなり、彼女にも多少の笑顔が戻った。
先生が話を聞いて毅然と行動してくれたこと、する側が話を受け止めたこと、すべての歯車がうまく合わねばこのような結果にはならなかった。周りのものには真実を受け止める力がないといけないと思う。
彼女の勇気ある行動が人を動かし、事を動かした。
勇気を持って行動すれば、根本は変えられなくても、面と向かって傷つけられることはなくなる。
この事件は、学校中に知られる騒ぎにならなかったが、知った人の間では、後まで影響するものとなった。
嫌いを好きにはなれない
嫌いという感情は、誰かが注意したからといって好きにはなれない。誰にも左右されない、自分だけの感情のはずだが、する側の間では、しばしば情報交換がなされ、”嫌い”を共有する動きが見られる。
この人のこんなところが嫌い (ムカつく・ウザい)
私も私も
この会話がはじまると、嫌いなところを発表する悪口大会になる。
つまり、”される側”にとって気にしていること・コンプレックスを強調する、まつりあげである。
集団の恐ろしさは、共感と同調による、相手を叩き壊す増幅機能にあるといってもよい。
嫌いを好きになることはまずないので、一度嫌うとずっとそのままつきあうことになる。相手にしなけりゃ済む話なんだけど、閉鎖的な学校空間では、つき合わなければならない状況が生まれる。もう少し大人になれば、距離をとることも覚えるだろう。しかし、ティーンエイジャーは気に入らないことに対して異常なほど排他的になる。
どうすればよいのか?という問いに対しては、明確な答えを出せない。
その人にとって何が最良であるかは、本人にしかわからないからだ。たとえ何かを言ったとしても、受け入れがたいものであれば意味がない。
自分を嫌っている人間とは付き合わないのが一番だが、嫌いを強調してくる人間と教室をともにしなければならない現実は、受け入れるしかない。
それに対して、他に居場所を見つけたり、楽しみを見出すことで、未来に希望を持てるだろう。
学校という場所、他人に期待しないことで自分らしく生きられる。
ときには悪口言う人間に対して怒るのもいいと思う。
『嫌われる勇気』という本がある。これは集団に属する者の考え方で、集団からはずれたものの考え方をしていない。フロイトの「原因論」に対するアドラーの「目的論」なのだが、アドラーはトラウマを否定している。弱者切り捨て論なので、対人関係にトラウマを抱え、悩んでいる人にはおすすめしない。
今を生きる中学生は、その先の未来を深く考えてはいない。その場のノリでどうとでもなる。今さえよければいいのだ。
実際、”する側”の中には、高校に進学してからも悪口で友人関係を得ようとし、孤立したという話を聞いた。中学時代の自分そのままでは成長もなく、他人から受け入れられる要素を持ちえない。環境が変われば付き合う相手も変わり、おのずと自分も変わる。それを忘れた者は、自分が”される側”となる。因果応報とはこのことだ。
もっとも順応して上手くやっていく者も少なくない。
絶滅した恐竜と生き残った生物のように、自然淘汰されずに生き残るには、変化に対応する順応力が必要だ。
「好き」の反対語
中学のことはじめたときに綴っておいたこと。
「です・ます」調のままだけど、このまま載せる。
「好き」の反対語は「存在否定」です。
いじめの現場を目の当たりにしてたどり着いた答えですが、「好き」の反対にあるのは「嫌い」でも「無関心」でもありません。
男子は、視界に入るなって目でにらんでくるんですよ。汚物を見る感じかな。表情・身体全体で拒否してきます。
女子も似たようなものですが、加えていうと、仲間と笑いあう噂話のネタ、やることなすことすべてネタにされます。
視界から消えて、存在がなくなることで、はじめて「無関心」になると思います。
伝えたいこと
今、生きるか死ぬかを考えている人へ。
これから綴ることはひとつの選択肢にすぎない。
他の選択肢もあるし、選ばないこともできる。
大人の言うことは「逃げ癖がつくから逃げるな」だし、
経験者の私は「逃げる者あり」と考えている。
すべては、自分が決めること。
「人に言われたからそうした」では、どこかに後悔が残る。
自分で選んだ道なら後悔はないでしょ?
***
がけっぷちに追いやられた者は、勇気をもって立ち向かえ。
立ち向かって、それでも無理なら逃げたっていい。
大人は一度逃げたら一生逃げることになるって言うけど、死がすぐ隣にあるのに逃げるなって言われるのは、出口をふさがれたようなもの。
逃げた先に幸福があるかは、自分次第だけど、
我慢して、我慢して、自ら死を選ぶくらいなら、逃げた方がいい。
人に言われたからではなく、自分で決める。
自分で決めたことなら後悔はないはず。
後悔のないように自分の選んだ道を生きてほしい。
思い切った行動に出たっていい。
ただ相手を殺すようなことは絶対にしてはいけない。
殺した先はもっと苦しい未来になる。
自分が苦しんだことを忘れないで。
夢見てきたことは何?
何になりたい?
どう生きたい?
笑っていた自分を思い出してみて。
どうか夢をあきらめないで。
***
イメージ絵:青い春
消しゴムかけたら折れたー。泣
お疲れ様です。
長文を読んでいただきありがとうございます。
ヤンチャ話につづく。
200831 YUHUA O.