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深夜特急が読みたい。ドラムとボストンの環境活動家会議 - Union week2

早いものでweek2が終わった。Biology専攻の友人はもうmid-term(中間)が迫ってきているらしい。Unionは1termが全部で10週間なので3週目のテストは全くmidではないのだけど、学期期間中にあるquizとよばれる小テスト以外の大きめテストは全部midと呼ぶのが習慣らしい。

ここ2週間、政治科学の授業ではずっとリヴァイアサンを読んでいる。宿題ベースで授業が進むので、予習をしないでいくと授業には一切ついていけない。そして成績でAをととるにはほどんど毎回の授業でなにかしら意見を言う必要がある。意見を言わないのならディスカッション=授業に参加していないことと同じなのでマイナスなのだ。

17世紀に書かれた話なので使われている英語の古さも含めて難解だのだが、授業に行くと教授が噛み砕いて情熱的に解説してくれるので毎授業ごとに読みやすくなってきている。

先日ホッブスが実は人間機械論の超先駆けみたいなんじゃないかという話をした。ホッブスは始めに、人間はただのちょこちょこ動き回るロボットで、そこに感情や欲望とといったものがガソリンとなることで動き出すという話を始める。こうやってこの人は人間の本質の考察から最後に国家論まで話を持っていくからすごい。そんなロボットの人間社会は、自然状態だと、それぞれが自身の利益になるように行動するため争いが起きる。自己保存を目的として動くからだ。教科書で”万人の万人に対する闘争”と書かれていたよくわからなかった理論の正体だ。ホッブスはそこで、個人が自分の自由に行動する権利の一部を契約を結んで主権(sovereignty)に託して、それが神のような畏怖を抱かせるものになったらいいんじゃない?っていう提案をしている。
ここで国家自体を”人造人間”に例えてるのも面白いなと思う。人間は国家という大きな人間(=リヴァイアサン)を作っていて、法律というのはその人造人間の理性に当たるわけだ。

主権は一人とはいっていない。絶対君主も、民主主義もあり得る。

まだ読み終えていないので何を学んだか今後も更新していく。

深夜特急でどこかに連れてってほしい

最近は忙しくて日本語の本を読めていないのだが、無性に悲しくなったり、思考を止めたくてインスタのリールをみ始めてしまいそうなときは、小説を読むことにしている。一つの連続した物語に自分が集中できることで別の世界に行けるからだ。ネットを眺めるのだと物語がぶつぎれなのでこうは行かない。遠く離れた国での生活には、小説がなければいけない。

アメリカ生活も1年経ったので英語の小説もけっこう読めるようになってきた。というか、挫折せずに集中して読めるようになってきた。最近は朝早く起きすぎた日などにAndré AcimanのCall Me By Your Nameを読んでいる。昔は洋書を読むとなると時間がかかってなかなか物語に入り込めず、結局すぐに辞めてしまったものだ。この1年を通して語彙力が上がったのもあるがそれよりも、出会った英文からは自分が学べる新しい単語を搾り取ってやるぞ!というこれまでの姿勢から、読めたらいいや!という姿勢に変わったことで、知らない単語が出てきても予測したりスルーして読み進める力がついたからだと思う。自覚ありありの完璧主義だった私は、ようやく完了主義の道を歩み始められたわけだ。長かった。

さて、洋書もいいのだが、実はここ数日Kindleで深夜特急を買おうか悩んでいる。沢木耕太郎の代表作だ。変わらない生活に飽き飽きしていた今年の春休み、滞在させていただいたニューヨークの知人の家で1巻のインド編を読んだとき、同級生くらいの青年の自由な旅記録が面白くて、疲れているのに深夜まで読み込んでしまった。

もう4,50年も前の話なので円の価値の違いに驚く。

ノンフィクションだが、この本こそが自分を世界に連れて行ってくれる!と思った。Kindleで6巻セットで3700円なのでそんなに好きなら買えばいいじゃんと思うのだが、実は小説はどうしても紙がいい、という強いこだわりがある。荷物が増えるとか日本から持ってこなくちゃいけないとか留学生にとってKindleが最高なのは重々わかっているのだが、気分転換だからこそ、小説は紙なのだ。パソコンは違うのだ。とりあえず海辺のカフカを読み終わってから考えることにする。でもカフカは読み終わりたくないので1章ずつ読むことにしている。いつ読み終わるんだろう。こうちびちび大事に読んでいることを考えると、夏に急いで読んだノルウェイの森はすごく贅沢だった。一体なぜ自分がこんなに村上春樹を読むのかわからないし何に惹かれているのかもわからないけど、なんかすごく好きだ。

ミュージシャンへの道

実は檻のような殺伐とした部屋なのだが環境としては申し分ない。ありがたい

あと、念願のドラムを始めた。小学生の頃からずーっとやりたいと口先だけ言っていたので10年越しのDreams Come True。中学の部活は忙しい吹奏楽部ってことで入らなかったし、高校は軽音も考えたけどダンス部との両立が無理そうだったので諦めた。習い事での検討もしたことがあったけど、そこまでの度胸とやる気がなくて結局実行しなかった。
今学期は週に1回のlessonと、24時間のドラムルームのアクセスが与えられる。まだ1回しかlessonを受けていないのだが超楽しかった。Jazzのオーケストラクラブ(正確にはプラクティカム)にも参加しているので、今の目標はそこで叩けるようになることと、あと丸の内サディスティックを叩けるようになることだ。

ボストンとルイーザと聞いて

一番奥がルイーザで、気候アクティビストやオーガナイジングの専門家、ジャーナリストなど登壇者はさまざま。

日曜日は朝5時に起きて大学から出るバスに乗ってボストンの大学に行ってClimate Conferenceに参加した。ドイツの活動家、Luisa Neubauerがきているときいて。彼女は28歳の気候アクティビストで、質疑などでもユーモアあふれるはっきりとした受け答えはさすがだなと思った。実は3年前、イギリスのグラスゴーで開催されたCOP26のときに何度か同じ会場でFFFのアクションに参加したことがある。

2021年11月、グラスゴーにて、FFF Germanyのアクション。
私よくみたらルイーザの隣りにいるわね

話を聞いたり、コールをしたり。個人的に1年ぶりくらいに環境活動に参加したので色々新鮮だったし、かつての自分について思惑を巡らせた。What do we want? Climate Justice!ってさんざん自分が掛け声上げてたのにね。
会場にはXRや、アメリカでおきた運動Sunrise Movementなども来ていた。参加したCOPは開催国がそれぞれイギリスとエジプトだったというのもあって、経験したことのある気候変動系の国際会議は、北アメリカの存在感は結構薄かったように思う。アメリカ人、ぜんぜん会わなかったもん。今回のアメリカの議論は新鮮だったけど、やっぱりいろいろ大統領選に帰結していた。

個人的に面白かったのは、60代以上の人が集まった活動家グループが、どうしたらより多くの人々に運動に参加してもらえるか、すでに関心を持っている人をどうしたら行動に移せるか、今進められているパイプライン建設の強制的な閉鎖にまで踏み込まないとこのまま止まらないのではないかなどの悩みを吐露していたことだった。自分が高校生の時に悩んでいたことと土地や年代は違えどほとんど同じことだった。

私が活動していた頃は環境運動の歴史も何も知らなかったし何もかも自分が時代の先頭を走っている気持ちがあったけど、高3くらいから環境運動には長い歴史があって、自分が使ってたコールや、運動のオーガナイジングや、思想や、悩みが何年も何年も人類の中で繰り返されたりしていることを知った。繰り返されているのだ、本当に。アクティビズムの意義や可能性について一歩離れて見れた良い機会だったと思う。

あとボストンとかいうからシティ観光ちょっとできるかな!と思って期待してたのだが普通に郊外でシティのかけらもなかった。これはこれですごく好きだったけど。早くボストン行ってみたいな。

Unionの生徒たちとルイーザで最後に一枚。広いキャンパスいいね。

week3も走り切ろう。


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