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【日本一周 京都・滋賀編6】 惰性で寺田屋へ行く


・メンバー

明石、尾道

・歴史のエセ証人  筆者:明石


 宇治駅から三十三間堂へと向かう途上にある中書島駅の近くに、坂本龍馬の寺田屋事件の現場となった寺田屋があるらしく、僕たちはついでながら見物しにいった。


 駅前のパブの立ち並んだ極小歓楽街には、モダンな造りの銭湯があった。その佇まいは興味をひいたが、あいにく銭湯は休業中だった。残念。もっとも、開いていたとて入浴する時間はないのだけれども。


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銭湯の外装


 寺田屋は何の前触れもなく、ひょっこり現れた。建物は車道に面しているのだが、その道幅は狭いにも関わらず車通りは激しい。しかも、皆一様に結構なスピードで走行している。


 下手に浮かれた観光客が車道に出ようもんならあっという間にお陀仏である。僕たちは寺田屋提灯を画角に収めた自撮りを押さえると、そそくさとその場を退散した。


 後から知った話だが、現在の寺田屋は再建されたものであり、坂本龍馬らが実際に奇襲にあった寺田屋は、鳥羽・伏見の戦いによって焼失してしまったらしい。


 となると、現在の寺田屋の弾痕はナニ?(補足:寺田屋に、事件による弾痕と思われる凹みがあるという説明書きがあったのだ)


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不意に現れる寺田屋


 中書島を含む伏見区は、古くから日本三大日本酒の地として知られる酒蔵の町。このことを中学生のときに耳にした僕は、「いつか伏見に訪れることがあったら日本酒を飲んでやろう」と心に決めていたのである。


 しかし、寺田屋から駅への帰り道には酒屋はなく、ついに購入することはできなかった。とほほ。とはいえ日本三大にも数えられる日本酒は、京都の中心地においても販売されているに違いない。私は今夜の晩酌を想って、密かに決心したのであった。


追記

 寺田屋は火災によって焼失し、再建されたというのが公式見解である。しかし、寺田屋側の見解としては、全焼せずに残った史料の一部を用いているというが、その真偽やいかに。


・ある意味寺田屋事件  筆者:尾道


 平等院鳳凰堂と三十三間堂の丁度間に寺田屋は位置する。特段期待もせず、単に導線上行きやすいという理由のみでこの地を訪れた我々であるが、案の定寺田屋が心の琴線に触れることはなかった。


 そもそも営業していなかったのである。おまけに車通りの多い道の曲がり角に位置しているため、じっくりと外観を楽しむというわけにもいかなかった。


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 まぁ構わない。「寺田屋について知る」ことより「寺田屋に行った経験がある」ことを優先する私からすれば、こんなもんで十分である。看板に記された「龍馬とその妻が日本初の新婚旅行をした」という雑学をお土産にできただけで満足だ。


 訪ねた証拠として、建物の前で写真を撮ったのち退散した。少し予定が押していたが、ここでカッチリ戻した。


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