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【掌編】パスタでも食べにおいでよ #シロクマ文芸部

レモンから滴り落ちる香りが、鼻の奥に漂っている。この部屋にはレモンはないから、これはきっと記憶の香りだ。夫と離婚の話し合いをしながら今、わたしは7年前の元カレとの別れ話を思い出している。心がここにはないような証明のように、舞台が暗転して過去になる。

「それは、もう、そういうことなんだよね」

パスタにかけたレモンが絶妙に口の中で踊っている。章くんのセリフもまた、絶妙だと、思ってしまう。

「うん、そういうことだって気付いてしまって」

わたしのセリフは絶妙だろうか。別れの理由が、「本当の恋愛対象が同性だから」というのは。

「そっか……」

その続きを待っている。なんとなくそれによって、わたしたちの未来は決まるような気がして、わたしから言葉を発するのが、怖い。考え込む章くんの様子を見ながら、あ、でも、このパスタが食べられなくなるのは惜しいな、と、どこからか俯瞰しているわたしも発見する。

「わかってた、かも」

と、聴こえて、思わず、え? と返す。

「いや、わかってはいないんだけど、心が通わないまま抱き合ってるなって思って。自分の欲を満たすだけのセックスって、本当に虚しいんだなって、感じてたから。たぶん、俺以上に虚しかったよね? ほんと、ごめん。わかってたのに」

確かにそうだ。好きじゃないのに、いや、嫌いとかでもないけど、惰性のように体を差し出すことが、辛かった。辛かったのに、本当の感情と向き合うのが怖かったから、もしかしたら間違いかもしれないから、辻褄を合わせようと必死だったのだ、きっと。

「うん、辛かった」

と言った途端に、涙が溢れて、章くんの作ったパスタに落ちていった。

「だからさ、これからはちゃんと、好きな人としなきゃダメだね。お互いにね。ぶっちゃけ、未練タラタラだけど、僕が男である限り、恋人ではいられないだろうから、たまにはパスタでも食べにおいでよ」

パスタでも食べにおいでよ。
パスタでも食べにおいでよ。
パスタでも食べにおいでよ……

彼は3回それをリフレインして、そうして泣いた。それから間を繋ぐように、ふたりとも、レモンと涙の混じったパスタをトボトボ食べた。

カミングアウトしたのは、章くんだけで、それは本当のことなのだけど、わたしはその後の一歩を踏み出すことができなかった。一度だけ女性と付き合えたけれど、その彼女には浮気されてしまった。別に自分の恋愛対象がどうであれ、恋愛のゴタゴタは、おんなじようにやってきて、おんなじように傷ついたのだった。

そして、その傷を抱えたころに、夫と出会い、これは「本当の気持ちではない」とわかりながら、結婚してしまった。おそらく夫もまた似たような傷を抱えていた気がする。あんなにも、虚しいセックスはしないと思っていたのに、結局、わたしは同じことを繰り返した。わたしは何も変わっていない。それを言ったら、目の前の夫は、なんというだろうか。章くんと同じように、受け止めてくれるだろうか。暗転していた舞台が、もとに戻る。

「そっか……」と夫は唇を噛む。

きっとまた続きは、わたしたちの未来を変える。わたしは固唾を飲んでいる。意を決した顔をして、夫が言った。

「俺も、自分にウソを付いてた。本当は男のほうが好きなんだ、ごめん」

あ、あぁ、そっか……
わたしたちはきっと、おなじところをぐるぐるしているのか。



レモンといえば、これになっちゃいますね。
あやしもさんのスピンオフでいかがでしょうか? それぞれいろいろあるんだから、誰が悪いとかじゃないんですよね〜。誰かと話が被ってたら、ごめんなさい🙇

シロクマ文芸部さんのお題にノッてみました、ありがとうございました!


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