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【備忘録】生きるコツ #noteことはじめ
ずっと生きるコツを探してたんだと思います。
シロクマ文芸部さんの企画より、いちばん初めのnoteでの投稿記事を紹介します。
いちはん初めは2014年8月29日のこちらの記事でした。
自分の詩のスタイルにいろんな時期がありまして、尾崎豊期、銀色夏生期、草野マサムネ期、おーなり由子期、金子みすゞ期、などなど。
この時期は、相田みつを期です。
この時期はまだブログやその他の創作サイトで小説を書いていて(現在閉鎖)、小説以外の創作ができる場所を探しておりました。
そして、始まったばかりの「note」と、ふとした拍子に出会い、広告のないシンプルなプラットフォームに惹かれて始めた、という経緯です。
2014年の8月といえば、ちょうど9年ぶりに再会した現在の妻と付き合い始めた月。正直、付き合う気はなかったのですが、なぜかわからないけど、その9年前に噛み合わなかった波長が、どうも合ってるような気がしたんですね。その間のお互いの恋愛事情のもろもろが、そのタイミングでの再会によって、回収されていった感覚がありました。今までの全部が伏線のような。
それは、自分の意思ではない何か大きな流れのようで、それに抗うことをやめてみたら、今に至った気がしております。
だから、それまでの一つ一つ、会っていなかった時間でもさえも、そのために積み重ねたんじゃないかと思うこともあります。それを確かめながら、一つずつ好きになる。そういう感覚だった気がします。
そういうわけでそれから10年経っているわけですが、創作でも「なにかを目指してやる」わけではなくて、目の前にやってきたものを抗うことなく、積み重ねていく、という感覚になっているので、果たしてこれから何がやってくるのか、わかっておりません。想像しないので、こんなことをやるとは、ということが、よくあります。
短歌を詠むとは思ってなかったし、ラジオで喋ること、弾き語り配信すること、自分主催のコンテストを開催すること、それらは、こちらから手を伸ばしたのではなく、自分の中にやってきたので、やってみますか、と思っただけなんですけど、そう思えることがすごいです。
人前で喋ったり、歌ったりすることなんか、むしろコンプレックスがあってやりたくないことだったのに(やることもあったけど、あまりに自信がなく、恥ずかしい)、躊躇せずやってしまってる。
たぶん、技術とか能力は向上していません。変わったのは、「それでいい」と思えるようになったということでしょう。自分がすごいものでなくていい。大きな評価もなくていい。
別に世の中にとって大きな何かをしてるわけじゃないですが、自分にとって、大きな何かを感じて生きることができている。そんなふうに思えるようになった10年間なのです。
ああ、自分って、いいなあ。
足りないところがたくさんあって、ダメだなあと思う自分も、悪くないなあ。
これからも、思いもよらないことがやってくるので、魂がやれっていうなら、やるんだと思います。それのほうが人生が、おもしろくなるので(やりたくないことは、やりませんが)。
あー、これから何がやってくるんだろうなあ。期待も不安もなく、フラットで居続けること、それが自分を生きるコツなのだと、気が付くことができました。